文月  朔  天の川

 子供のころから、七夕の日付の設定には悪意があると思っていた。

 なぜにわざわざ、一年に一度の逢瀬に、これほどまでに雨の多い時期を選んだのか。


 そう主張する私を、日本酒をめながら、クサブキさんが興味深そうに眺めている。


「アマネ殿は、私の知る女人の中ではまれなほど、激することの少ないお方だと思うのだが、時折、存外のところで情深いのですね」


 私は押し黙る。

 彼にとっては、織姫と彦星の物語など、おとぎ話の一つに過ぎないのだろう。今、私たちの逢瀬がこんな形であったとしても。

 平安時代は、通い婚という婚姻形態があったと聞いている。私とは、やはり少々、感覚が違うのかもしれない。


「……私どもの用いていた暦では、七夕は、今よりひと月ほど後のことだったのですよ」

 目元を緩めて、クサブキさんが立ち上がる。


「アマネ殿。ここには雨は降らないが、私は一人の夜は毎晩、次の月が無事に消えるように、丸くなるように、祈っているのですよ」


 彼は私の隣に座り、肩を抱いて、そっと口づける。

 私はほんの少し泣きそうになり、彼の肩に頭を預ける。

 私の心の内なんて、どんな細かいひだの裏までも、きっと彼にはお見通しなのだ。


 これほど情のこまやかな人を、鬼に変えた出来事とは何だったのだろう。また、私は考える。



「……天の川がここまで見事なのは、やはり新月ですね」


 白い夜空の真ん中を、黒い川が横切っている。


「……クサブキさん。私は、あなたのことを、知りたいです」


 私のつぶやきに、クサブキさんはしばらく口を開かなかった。



「……私には、かつて、身命しんめいを投げ打ってた、想い人がおりました」


 しばらく静かに天の川を眺めていたクサブキさんから出た言葉に、私はぎくりとする。


「お聞きになりたくなければ、この話は、しまいます」


 クサブキさんは真剣なまなざしで私を見つめる。

 私は黙って、彼の瞳に映る自分にたずねる。答えはひとつだった。私は彼を、知りたい。たとえそれが、私にとって、どれほど痛い事実であっても。私はうなずき、彼を促す。


「……その想い人は、あやかしでした」

 私たちは、正面から向かい合う。


「私は、それを知りながらその人に近づき、その人と契りを結び、自らもあやかしとなったのです。……しかし、その人を、私は裏切った。そして、その人は、私のかつての同輩たちに、首を落とされました」 

 彼の目には、話しきると決めた覚悟があった。


「愚かにも、その人の命を助けるという甘言を信じ、かつての同輩たちを引き入れた私は、その人の首が落とされた時に、真の鬼となった。私は、術者も、つわものも、おびただしい数の者を、殺しました」

 彼の両手は、固く握られている。


「追手より逃れ、この地に流れつき、封じられて千余年。……この白い空を、美しいと感じたのは、あなたと見上げた、夜だけです」


 彼はまっすぐに私を見つめる。


「アマネ殿。あなたは、このような私と、ともに在り続けることは、できますか」


 私は彼の瞳を見つめる。

 彼が一人で越えた千年の夜は、その罪をあがないきるに値したのだろうか。

 それは、私には、分かりようもないことだった。

 私にわかることは、ひとつだけだ。

 私は、握りしめられているクサブキさんの両手をとる。


「私は、私と向き合ってくれている、今のクサブキさんを、信じています」


 クサブキさんの目が、ゆっくりとまたたいた。


「アマネ殿」

 

 そのまま私たちは、言葉もなく見つめ合う。

 二人の間には、白い空を割るように、黒い川が静かに続いている。

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