如月  朔  鬼の食べ物(1)

「これは、ジェンツーペンギンと言われる種類みたいです」

「ふむ」


 クサブキさんは、ペンギンの名を復唱することをあきらめたらしく、ただ頷いた。

 私は笑いをかみ殺す。


「南極やその付近の島に生息していて、性格は温厚。結構、環境の順応性は高いみたいです。と言っても温度は-4℃~7℃、……つまり、日本の真冬の寒さくらいの環境が良いようですけれど」


 クサブキさんは軽く目を閉じて頷く。


「相分かった。……先だってのあなたの助言よりこちら、何とか生類しょうるいどもが健やかに過ごせるよう気や水の環境を整えてみた。お話のような気と水の環境であれば、ひと手間加えれば、まずまずのものができるだろう」


 何となく予感はしていたが、この人は、だいぶ凝り性なようだ。


 気温や水温のコントロールは、結界内にエネルギーの傾斜(?)をつけることで、恒久的に行うことができるようにしたらしい。傾斜そのものを保つためのエネルギーは、太陽光から取っているとのことだ。

 正直に言うと、私には細かいところは、よく分からない。

 とにかく、結界の片側は、気温も水温も高めで、熱帯ゾーン。対側は、気温も水温もぐっと低く、寒冷地ゾーンになっている。間が、温帯ゾーンだ。


 服装や話の端々から推し量るに、クサブキさんがここに封じられたのは、平安時代ごろのことらしい。

 そんな時代の人が、きちんと体系だったものではないにしろ、エネルギーといった概念を理解し利用していることに、私は正直、驚愕していた。

 賢い人が長く生きると、すごいことになるんだなあ、と感心する。


 ただ、私が彼の創造性と凝り性に感嘆したのは、そのことではない。


 案内されたそれぞれの動物の居住スペースは、テーマパークもかくやという完成度で、私はしばらく動くこともできずに口を開けて眺めていた。

 私がノートにスクラップした、大量の資料の画像から、ほぼ完ぺきに、アンデスの高原、アマゾンの水辺が再現されている。

 

 この人、多分、ペンギンのために、南極半島も再現するんじゃないだろうか。

 初めから分かっていたが、やはり、ただものではない。



「気や水のぬくみや湿り気などは、用意することは造作もない。岩や土の質感をまねること、草木の見た目をなぞることなども、多少の加工を行えば、訳ないことだ」


 当の彼は、眉をひそめてため息をついている。


「問題なのは、の確保だよ」


 そうなのだ。

 アルパカは、干し草。カピバラは、水辺の草。大変だが、何とか調達するしかない。

 そして、ペンギンは、……魚。

 さすがに無理でしょ。私は思う。


 シホウは明らかに、山である。

 川は流れているが、川魚はいない。結界内には、本来は基本的に、動物は入ってこられないらしい。

 どうしたって、ペンギンの餌の調達は、結界内だけでは無理がある。


「……気乗りはしないが、あの手を使うしか、なかろうな」


 クサブキさんは、もう一度ため息をつきつぶやいた。



 前回、結界内に呼ばれた満月の夜に、送還直前に彼に勧められた通り、私は今回、自分の飲み物と食べ物を、持参していた。

 次の召喚が新月の夜、と分かっていたからこそできた準備だ。


 自慢じゃないが、私にはお弁当を作るような才覚はない。

 とりあえず、ペットボトルのお茶と水、コンビニおにぎりを持参してみた。

 それから、スナック菓子とチョコレート菓子とグミ。これは、クサブキさんへのお土産だ。

 完全に小学生の遠足のノリだが、気にしないことにした。


「……あまり、このようなものは、喫した覚えがないな」


 グミにおっかなびっくり手を出し、つまんではびくっとして手放す様子に、私は思わず笑ってしまう。


「……これは、水菓子の味が、そのままだな」

 

 やっとのことで口に入れ、しばらくすると、心底感嘆した様子の声で彼はつぶやいた。


「あなたの世界には、私の知らない事柄が、数多あまたあるようだ」

 あまりに素直な反応に、私はうれしくなりポテチを勧める。


「……随分と、薄弱な煎餅だな」


 これは、お気に召さなかったようだ。

 チョコレートは、だいぶ冒険かな。鬼は虫歯とか、なるんだろうか。

 寿命長そうだし、歯が無くなっちゃったら、大変そうだよな……

 若干悩む私の手元から、彼はひょいと、アーモンドチョコをつまみ上げて口に放り込んだ。


「……これは、いみじ」


 カッと目を見開いて、抑えた声で言う。

 古文で『いみじ』って、何だったっけ。私はぼんやりと思う。

 もう一つ、口に放り込む様子を見て、安心する。お気に召したようだ。


 この食べ物の名前を教えてくれとせがまれたが、彼が『チョコレート』と発音できるようになるまで、大分かかった。

 相変わらずだ。


 おにぎりに関しては、彼の反応はごく普通だった。


「あなたの世界でも、米を食するのですね」

 突然クールな面持ちに戻って、彼は言う。

 

 観察の結果としては、平安人男性の味覚は、現代の小学生男子と大差ないというところで、私の結論は落ち着いた。




 ところで、鬼というのは、基本的に、食事は必要ないらしい。


「全き虚空でなければ、気の中より生気を補えるのです。……まあ、快楽のために、飲食をするものが無いわけではありませんが」


 酒を好む鬼は多いです。若い女をくらったりも……そこまでつぶやいて、クサブキさんは我に返ったように私を振り向く。


「これは失敬」


 私はもちろん、ドン引きしていた。

 そう、彼は、鬼なのだ。鬼は、人を食べたり、するものなのだ、やっぱり。


「アマネ殿をそのような対象としてみたことは、ございませんよ」

 クサブキさんは明らかに焦っている。

「私は、人を喰らう趣味はないのです、昔から」



 そう、初めの日、強制送還されてうやむやになってしまったが、私にははっきりさせなければいけないことがあった。


「私は、にえだとおっしゃいましたよね」


 私は思い切ってもう一度、彼にその言葉を投げかける。


「私はこれから、どうなるのでしょう。どうして、新月と満月の夜のたび、私はここに送り込まれるのでしょうか」


 クサブキさんは、黙って私の顔を眺める。

 少し、困っている。今の私にはそれが分かった。


「私が供物くもつを供されるあやかしたぐいだということは、お話いたしましたね」


 やがて、静かな声で、クサブキさんは話し出した。


「ここ一年ひととせほど、外界では疫病が蔓延はびこっているのです」

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