第31話「目を覚ます自然」

 突然の地震とディオナの直感。それらが偶然重なるというのも考えにくい。俺はそちらに望みを懸けて予定を変更した。


「これから、最深層に向かう。これまで以上に気をつけろ」


 昨日今日の調査でディオナが魔境の歩き方に精通しているのはよく分かった。彼女は隠れ潜んでいる魔獣も敏感に察知し、その奇襲を避けるという芸当もやってのけていた。むしろ、この強行軍では俺の方が足手纏いになる可能性すらある。

 だから、今日はこのまま真っ直ぐに中層を突っ切って、できれば深層も抜けて、森の中心へと向かいたい。そこにディオナが察知した何か――地震の正体があるような気がしていた。


「分かった。アランも気をつけて」


 中層と深層、深層と最深層はまるで世界が違う。危険度は跳ね上がり、生息する魔獣はひとつひとつが災害級だ。しかし、真正面から戦い勝ち進まなければならないわけではない。彼らの目を掻い潜って進むという選択肢がある。

 俺たちは全身に土を擦り付け、顔面にも泥を塗る。できる限り匂いを消し、視覚的にも森と同化する。まるで野蛮な山賊のような見た目だが、森林においてはこの姿がもっとも適しているはずだ。


「こっちだ」


 ディオナを連れて、鬱蒼と茂る森の中を進む。さっきの地震のせいで、魔獣たちの気が立っている。不用意に刺激しないように気を付けながら、ゆっくりと進まなければならない。


「アラン、前の方に何かいる」

大牙芋虫ファングキャタピラーだな。毒を持ってるから近づくな」


 前方の茂みからモソモソと現れたのは、大きな牙を天に向けて掲げるずんぐりとした芋虫だ。芋虫などと言いつつも、その大きさは2メートルほどもある。基本的に大魔獣と呼ばれるような奴らはでかい。

 大牙芋虫ファングキャタピラーは毒を持ち、危険を察知すると周囲にそれをばら撒く。凄まじい臭気を帯びたそれをまともに浴びると、それはもう酷いことになる。

 俺は周囲に他の芋虫がいないことを確認して、遠回りに迂回して進む。


「何か走ってくる!」


 繁茂する草むらを掻き分けながら歩いていると、再びディオナが声を上げる。彼女の指し示す方向から現れたのは、立派な枝角を持つ鹿だった。


「まずい、大魔角鹿マジックホーンだ!」


 俺は慌ててディオナの手を引き、近くの魔樹の幹へと身を隠す。次の瞬間、強烈な熱線が俺たちのいた地面を深く抉る。


「うわああっ!?」

「あいつはもう逃げきれないな。戦うぞ」


 熱線が途切れたのを見て、魔樹から飛び出す。

 大魔角鹿マジックホーンはその枝角に魔術的な意味を持つ奇妙な大魔獣だ。複雑な形状を見せるツノの形そのものが、天然の魔法陣となっている。故に、奴らは魔力の消費なしに、大気の魔力を流用して強烈な魔術を次々と放ってくる。


「ディオナ、あいつのツノを折れ!」

「分かった! うおおおおおっ!」


 ディオナは初めて見る魔獣のようだが、すぐにあのツノが力の根源であることは理解した。俺は槍を構え、彼女がツノを破壊するまでの時間を稼ぐ。


「せいっ! はぁああっ!」


 突き出した槍は軽やかなステップで避けられる。だが、続いて振り払った槍の穂先が鹿の首を捉える。刃を立てる余裕はなかったが、問題はない。槍は打撃武器としても優秀だ。

 一瞬体勢を崩した鹿の懐に、素早く槍を突き込む。ざくりと滑らかに刃が滑り込み、毛皮を切り裂いた。赤い血が滲み、鹿がいななく。


「うおおおっと!?」


 大魔角鹿マジックホーンの枝角がこちらを向く。急激に魔力が高まっていくのを見て、慌てて槍から手を離して飛び退く。次の瞬間には周囲の雑草が焼き払われ、焦土が広がった。


「なんて威力だよ」


 魔法陣というのは消費魔力を抑える代わりに出力がほぼ一定になるような技術のはずなのだが、この鹿野郎は何をどうやっているのか出力を自由に変えられるようだ。まったく、獣の方が魔法の扱いに長けているというのはどういうことなのか。


「しかし、あの槍も槍だな……」


 エイリアル公から授かった槍は凄まじい切れ味を誇り、今も大魔角鹿マジックホーンの首元に深く突き刺さっている。それは鹿の魔法陣が放った強烈な熱線をまともに浴びたはずなのに、傷ひとつ見当たらず焦げている様子もない。いったいどんな材質で作られているのか、気になるような知りたくないような。

 とにかく、俺が死んでもあの槍だけは無事に残っていることだろう。


「とりあえず返してもらうぞ!」


 熱線を放った後は流石に多少の冷却時間を空ける必要があるらしい。そうでないと、自慢の枝角が壊れてしまうからな。俺はその隙に駆け寄って、槍を引きぬく。その痛みに鹿が猛り狂うが、憐憫の情を抱いている暇はない。


「さあ、こっちばっかり見てろよ」


 余裕のなくなった大魔角鹿マジックホーンが俺を睨む。草食獣とは思えないほどの気迫に足が竦むが、恐怖の感情はない。なぜなら、俺はひとりではない。


「うぉおおおおおおっ!」


 大魔角鹿マジックホーンの意識の外から、巨大な暴力が降ってくる。それは忍耐強く草むらに身を隠し息を潜めていたディオナだ。彼女は棍棒を振りかぶり、勢いよく大魔角鹿マジックホーンの背骨へと叩きつける。

 絹を裂くような悲鳴と共に骨が砕ける音がする。それでも大魔獣はしぶとく、彼女のむけて枝角を向ける。急激に魔力が収束し、強烈な熱線が放たれる。


「シールド展開!」


 まばゆい白光を放つ熱線がディオナに直撃する。だが、その間際、彼女は右腕を体の前に持ってきて内部機構を動かした。


「へっちゃらだ!」


 渾身の熱線が途切れる。もはや大魔角鹿マジックホーンの立派なツノはボロボロで、今にも崩れそうだ。対するディオナはほとんど無傷と言っていい。彼女の右腕――魔練鋼という特殊な金属で作られた義手は、大きく平らに展開し、頑丈な盾となっていた。

 魔練鋼は重大な罪を犯した魔法使いの拘束などにも使用される、魔力遮断率の非常に高い金属だ。それを使った彼女の義手は、あらゆる魔法攻撃を跳ね除ける盾になる。


「おしまい!」


 棍棒を振り下ろし、大魔角鹿マジックホーンの頭蓋骨を粉砕するディオナ。事切れた大魔獣を見下ろして、ようやく緊張を解く。

 義手に仕込んでいた盾の展開機構を実戦で使用するのは初めてだったが、よくこの土壇場でやろうと思ったものだ。あれが動かなかったら、ディオナの頭は吹き飛んでいた。さしものオーガも、頭が飛べばどうにもできないだろうに。

 ディオナの胆力に舌を巻きつつ、彼女の活躍を労う。しかし、いつまでもここに留まっている余裕はない。大魔角鹿マジックホーンとの戦闘の騒ぎを聞きつけて漁夫の利を狙う魔獣が寄ってくるだろう。


「ディオナ、先に進むぞ」

「うんっ!」


 大魔角鹿マジックホーンもきちんと処理して持ち帰ればいい稼ぎになるんだが、今はそんなことも言っていられない。少し後ろ髪をひかれつつ、森の奥へと足を向ける。

 その時だった。


「うおおおおっ!?」

「また地震か!」


 再び大きく地面が揺れる。

 今度はさっきよりも更に激しい揺れだ。俺とディオナは互いに掴まり、体を支える。大森林中の魔獣たちが叫び、逃げている。


「アラン、前見て!」


 なおも加速する揺れのなか、ディオナがまたもや何かを見つけた。彼女の腰に掴まりながら頭を上げ――そして戦慄した。


「あれは――」


 大地に深く根を張る魔樹が、呆気なく薙ぎ倒されていた。大地が隆起し、深い亀裂の底に獣が落ちていく。

 大森林の中に山が現れるようだった。

 自然の法則を無視するような異常な光景だ。


「あれはちょっと、やばいぞ」


 深く積み重なってきた大地の下から、それが姿を現す。

 悠久の眠りから目を覚まし、大きな存在が君臨する。

 厚い鱗は鈍色で、全身は巌のように逞しい。背中には木々や草花を生やし、厚い苔が生している。土に汚れた小さな翼が、その種族を示していた。


「アラン、あれって……」

豊穣竜ネイチャードラゴン。こんなところにいるのか」


 現れたのは正真正銘の竜種。大自然の豊かな恵みと厳しい試練を体現する、偉大なる緑の化身。その存在だけで周囲の生態系ががらりと変化する、あまりにも強大すぎる存在。

 それが、ゆっくりと目を開く。

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