第29話「オーガ式狩猟法」

 周囲に茂る雑草を踏み倒し、軽く土地をならす。そこの中央に横たえられた山火事猪ファイアファングは、自身の炎によってこんがりと焼かれていた。肉が焼ける香ばしい匂いが広がり食欲をそそるなか、ディオナは肩を縮めて正座していた。


「ディオナ」

「はい……」


 俺が名前を呼ぶと、彼女は消沈した様子で応答する。意気揚々と山火事猪ファイアファングを投げ飛ばし、その勢いで背骨を折って仕留めてみせた彼女だが、その時の覇気はどこにもない。雨に濡れた犬のようにしょんぼりとしている。


「俺がなんで怒ってるか、分かってるな?」


 彼女の目の前に立ち、腕を組む。そんな俺の顔を見て、ディオナはこくりと頷いた。


「勝手に突っ走ったから」

「違うだろ」

「うぐぅ」


 まだ分かっていないのか、と嘆息する。そして俺は彼女の左腕――唯一生身の腕を見た。

 山火事猪ファイアファングの業火は凄まじく、分厚く丈夫なオーク革の防具も焼けこげてしまっている。それだけならばともかく、下に着ていた鋼布の服も駄目になっているし、何より焼け爛れた素肌が大きく露出している。この火傷は、人間族であればすぐさま活動を中断して町へ戻らなければならないほどの重症だろう。

 ディオナがおとなしく正座して説教を受けられているのは、オーガ族の生命力あってのことだ。


「なんで投げ飛ばしたんだ。俺は避けろって言ったよな?」

「だって……」


 追及を受けたディオナは唇を尖らせる。俺は黙って彼女の言い分が出揃うのを待つ。


「ボボア――燃える猪の肉、美味いから……」


 初めに言いかけたのはオーガ族の言葉での山火事猪ファイアファングの名前だろうか。燃える猪というのは、それを直訳したものだろう。どうやら、山火事猪ファイアファングはディオナの故郷であるオーガの里にも生息しており、彼女はそこで仕留めたものを食べたことがあったらしい。だから、ただ避けるのではなく狩ることで、それを食卓に並べようと画策したようだ。

 俺はディオナの言い訳を聞いて、思わず額に手を当てる。


「オーガの里が魔境なのはよく分かった。山火事猪ファイアファングなんて、普通にそのへんを歩いてるような魔獣じゃないからな」


 存在するだけで周囲を燃やし、山火事を発生させる天災のような魔獣だ。魔樹のような特殊な木々が生える魔境でなければ棲めないこともあり、この猪は魔境を代表するような存在でもあった。そんな山火事猪ファイアファングの肉の味を知っていると言うことは、はやりディオナの故郷は魔境なのだ。


「けど、それとこれとは別問題だ。今回の依頼がとても危険性の高いものだってことは、分かってるのか?」

「うぅ……。でも」


 ディオナに足りないのは危機感だ。彼女の里がどの程度の魔境なのか知らないが、この大森林はアルクシエラ領に存在するいくつかの魔境の中でも筆頭格となるほどの規模と危険性を孕んでいる。だからこそ、特別な名前もなくただ“大森林”と呼ぶだけでも広く通じるのだ。

 この広大な森の中には、人間族どころかエルフすら圧倒するような魔法の力を持つ獣すら存在する。深層には、竜種や古の巨獣が眠るという話もある。

 ここ以外では存在しない希少な薬草や、特殊な鉱石もある。そういったものを傭兵が持ち帰ることで、人々に計り知れない恵を授けている。だがそれと同時に、毎年数百人という数の傭兵が行方を晦ます死地でもあるのだ。


「ごめんなさい……」


 滔々と大森林の危険性を説くと、ようやくディオナも事の重大さを思い知ったのか、素直に謝った。独断専行だったとはいえ、彼女が山火事猪ファイアファングを投げ飛ばしたのは事実だ。その力は、大森林の調査においてはとても頼もしい。


「これからはしっかりしてくれ。――それで、その傷は治るのか?」

「うん。肉を食べれば、すぐに治る」


 説教は終わり、ちょうど時間は昼頃だろう。見るだけでも痛々しい火傷の痕を付けたディオナは、これまでの神妙な顔をころりと変えて、楽しそうな笑みで山火事猪ファイアファングに向き直った。

 じっくりと毛皮越しに焼かれていた山火事猪ファイアファングは、いい具合に火が通っているのだろう。ディオナは腰に下げていたナイフを使って皮を剥がし、その下にある肉を切り出す。

 生命活動を停止し、魔力の循環を失った山火事猪ファイアファングは自身の炎に耐えられない。その高熱が猪の肉を焼き、豪勢な料理に変化させていた。


「そのままでも美味しいぞ!」

「そうか……」


 ディオナはその辺に生えていた植物の葉を皿代わりにして肉を取り、俺の方へ差し出してくる。山火事猪ファイアファングの毛皮焼きなど当然初めて食べる俺は、おっかなびっくりそれを受け取った。

 魔獣の肉というのは昔から滋養強壮に良いとされている。実際、竜種の肉など食べれば不老不死になるなんて話は有名だ。その話の真偽はともかく、普通の獣とは違い魔石という器官を持ち、強い魔力を宿す魔獣を食うと力が漲るというのは本当のことだ。

 この過酷な任務のなかで食事は数少ない精神保養となるだけでなく、実際に肉体疲労の回復にもつながるということだ。


「うん。美味いな」


 燃え盛る毛皮に包まれて焼かれた猪肉は、噛みごたえのある硬い肉質ではあったが、野趣溢れる力強い味わいだった。獣臭も拭えないものの、それすら程よいスパイスとなっている。噛むと中からじゅわりと肉汁が溢れ出し、それもまた美味い。食べれば食べるほど、自然と喉が鳴る。


「あむぐっ!」


 俺が食べたのを見て、ディオナも食べ始める。彼女は山火事猪ファイアファングの左前足を力づくでもぎ取って、その大きな塊に勢いよく歯を立てた。そのままメリメリと筋を引きちぎるようにして剥がし、バクバクと食べる。なんとも大胆な食べっぷりだが、今の状況には一番よく合っている食べ方にも見えた。


「うん、美味しい!」


 その味はディオナにとって懐かしいものでもあるのだろう。彼女はまだ口の中のものを飲み下していないうちに、二口目をかぶり付く。


「ディオナ、お前、腕が……」


 楽しそうに食事するディオナを見ていた俺は、はたと気付く。彼女の腕が、焼け爛れた火傷の痕が、徐々に薄くなっていた。


「燃える猪の肉は火傷によく効くんだ。だから、みんなこうやって殺して、肉食ってすぐ治す」

「ぶっ飛んでるな」


 どうしてディオナが己の身を顧みず、肌が焼けるのにも臆さず山火事猪ファイアファングを投げ飛ばしたのかがようやく分かった。どうせ、倒した猪の肉を食えばすぐに治るからなのか。

 他の種族には真似もできない常識から外れた狩猟方法だ。だが、実際に彼女が猪の前足をぺろりと平らげる頃には、すでに火傷の痕などなかったかのように消えていた。

 オーガ族の再生能力はこれまでもよく目にしていたが、大抵は肉を食って寝れば治っているといった具合だった。食べているそばから治り始め、数分後には完治しているというのは初めて見た。


「普通の肉と、魔獣の肉でも違うのか」

「魔獣でも、どんな傷に効く肉なのかは色々違うぞ。それに、傷とおんなじ所を食べたらもっと治りは早い」

「不可思議すぎるなぁ」


 目を負傷すれば、魔獣の目を食べる。足を折ったのなら、魔獣の足の骨髄を啜る。そうすれば、より早く傷が癒える。彼女が真っ先に山火事猪ファイアファングの左前足を食べたのも、左腕の火傷の治療を考えてのことだったようだ。

 オーガ族というのはただ純粋に再生能力が高いだけの種族だと思っていたが、どうやら彼女達の中にはしっかりとした理論があるらしい。山火事猪ファイアファングを仕留める時にどれだけ酷い火傷を負ったとしても、倒してその肉を食えば治るのだから収支は整うという、かなり力づくの理論ではあるが。


「それじゃあ、何か強い魔獣の右腕を食ったら、右腕も生えるかもしれないな」

「……うん。そうかも」


 知られざるオーガ族の再生能力の深奥を垣間見て、彼女の腕についても少しの希望が差し込んだような気がした。例えば、竜種の右腕なんかが手に入れば、彼女の腕もすっかり元通りになるのではないか。

 しかし、それを聞いた彼女が予想に反してあまり喜んでいないように見えたのが、少しの違和感として胸に残った。

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