第27話「前夜」

 アルクシエラの町から大森林までは、馬車でおよそ1日。早朝に外壁を抜けて街道の線上を伝い、数時間おきに休憩を取りつつもまっすぐに移動する。

 途中、いくつかの農村があるが、物資の補給などはしない。そもそも帝国とも大森林を間に挟んでいる関係でほとんど交流がなく、農村も数十人程度が身を寄せ合って暮らしている小さなものだ。王国側から大森林に挑む傭兵のために多少の商品を揃えた店もあるが、値段のわりに品質はまちまちである。


「アラン! 牛の肉が売ってるぞ!」

「冬を越すために締めた残りだろ。たいして美味くないぞ」

「そうなのかぁ……」


 ディオナは村を通り抜けるたびに何かと売り物に目をつけてこちらの腕を引っ張ってきたが、そんなものに時間を費やしている余裕はない。しょんぼりとする彼女をできるだけ視界に収めないように努めつつ、俺は手綱を握って馬を急かした。


「ディオナ、見えるか? あれが大森林だ」

「おおっ?」


 そして、正午をいくらか過ぎた頃。ようやく俺たちの視界に黒々と茂った森の影が現れた。広大でなだらかな平野を越えて、突如現れる巨大な木々の群れだ。大森林は魔力濃度が特異に高い特殊な土地――魔境の上にある。そのため、そこに生える木々も普通のものではなく、魔樹と呼ばれるようなものだ。

 ただの草原と魔境との狭間は明確に線で区切られており、そのため足元の高さまでしか生えていない浅い草むらの直後に、黒い樹皮の立派な木々が屹立している。その様子を見るだけでも、一目でここが異様な土地であることが分かる。

 逆に言えばこれほどくっきりと境で分かれているということもあり、普段は強大な魔獣も森の奥から出てくることはないのだが。


「とりあえず、境界の側で野営する。今日は腹拵えと睡眠を取って、明日から本格的な調査だ」

「分かった!」


 大森林の姿を目で捉えてから数時間。馬車は順調に進み、徐々にその威容も大きくなる。夕方ごろには境界のすぐそばに到着し、大地に根を下ろす魔樹の巨大さがより鮮明となった。


「ディオナ、荷物を下ろしてくれ」

「わ、分かった!」


 ツノという第六感を備えたディオナは、俺よりも機敏にその魔力を感じているのだろうか。初めて目の当たりにする魔境という土地に、少し気圧されているようだった。

 俺はあえていつも通りの調子で彼女に話しかけ、キャンプの準備を始める。今日が最後の安らかに眠れる日だ。しっかりと食べて、ゆっくりと寝て、英気を養わなければならない。


「大丈夫か?」


 焚き火を起こしながら、緊張気味のディオナの顔を窺う。大森林は近所の森とは何もかもが大違いだ。場に満ちる魔力も濃厚で、夕闇を背にしていることもあって異様な雰囲気を纏わせている。しかし、ディオナの反応はただそれに恐れをなしているだけのようには見えなかった。むしろ、どこか安堵さえ覚えているような、そんな気がする。


「大丈夫!」


 近くの川で汲んできた水を地面に置いて、朗らかな声で答えるディオナ。彼女の顔に浮かぶのは不安や恐怖ではなく、漲る自信と活力だ。


「この森、ワタシの住んでたところに似てるから」

「ええ……っ!?」


 その言葉に絶句する。ディオナはまさか、魔境に住んでいたのか。

 たしかにドラゴンも日常的に目にするような過酷な土地とは聞いていたが、まさか魔境だったとは思わない。魔境とは魔獣の領域であるからこそその名がついているのであって、決して人が定住できるような場所ではない。しかし、ディオナの様子からはそれが嘘や誇張ではないということがよく分かる。


「そりゃあオーガが他との交流を持たないわけだ」


 人間族に限らず、エルフや竜人でさえ好き好んで踏み入ろうとは思わないような土地だ。そんなところに住んでいれば、たとえ看板を立てていても旅人などやってくるはずもない。ディオナの里に時折やって来たという商人は、決死の覚悟で物資を積み込んでやって来た傭兵あたりだろう。

 ともあれ、彼女が魔境の歩きかたに精通しているのは暁光だった。もしかしたらエイリアルはそのことまで知っていたのかもしれないが。


「俺も何度も大森林に入っているとはいえ、深部まで踏み入ったことはないからな。今回ばかりはディオナに頼ることになるかも知れん」

「任せて。ワタシもアランとおんなじ三級傭兵なんだから。もちももちもちだ!」

「持ちつ持たれつって言いたいのか?」


 元気に頷くディオナに呆れつつ、食事の用意をする。リリたちが用意してくれた食料の入った木箱を開けると、立派な肉がわざわざ冷蔵保存の魔導具と共に入っていた。


「やけに荷物が多いと思ったら……。二人には後で礼を言わんとな」


 今回の遠征に向けて、組合からは手厚い支援を受けている。だが、それだけではなく、リリもユリアも親身になって一緒に準備を進めてくれた。この馬車も元々は徒歩で向かおうとしていた俺に説教しながら手配してくれたものなのだ。


「ディオナ、これ食べて力をつけとけ」

「やったー! いただきますっ!」


 焚き火でじっくりと焼いた骨付きの大きな肉に、ディオナが勢いよく歯を立てる。そのまま強引に噛みちぎり、幸せそうに咀嚼している様子を見て、少し安心する。魔境へ挑むということに、俺の方が肩に力が入り過ぎていた。彼女を見ていると適度に緊張が抜けて、夕食を味わう余裕も出てくる。


「ああ、ディオナ。今日は一緒に寝るか」

「うん! ……うええええっ!?」


 肉を食べながら、そういえばと思い出してディオナに伝える。彼女がまだ小さかった頃は同じベッドで寝ていたのだが、この頃は成長が著しい彼女と並ぶとベッドが悲鳴を上げるため、新しく頑丈なものを導入していたのだ。

 しかし、今日は馬車の荷台が寝床となる。春先とはいえまだ夜になると冷える季節だし、身を寄せ合わねばゆっくりと眠れない。決死の覚悟で挑む大森林の突入が寝不足というのは笑えない話だ。

 ディオナとはずっと隣り合って寝ていたから、さほど驚くようなことではないと思ったのだが……。彼女は目に見えて動揺していた。


「いいのか!? そんなことして!」

「良いも何も、そうしないと眠れんだろ。毛布も一人ずつ使うより、二人で二枚重ねにした方があったかいし」

「そうか……。そうなのか……。そうだよな!」


 何やら彼女のなかで整理がついたようで、覚悟を決めたような顔でこちらを見る。なんか、大森林を見た時よりも真剣な表情をしているように見えるのは気のせいだろうか。


「みっ! 水浴びしてきていいか?」

「うん? まあ良いけど」


 ガツガツと猛烈な勢いで食事を終えたディオナは、すっくと立ち上がると近くの川まで駆けていく。そうして、溺れていないか少し心配になるくらいの時間を経て、白い長髪をしっとりと濡らして戻ってきた。

 普段はもう一度入れと指示しなければならないほどの行水っぷりだというのに、やはり大きな戦いの前ということでしっかりと身を清めてきたらしい。


「く、臭くないか?」

「いや別に。大丈夫だぞ」


 不安げにすんすんと二の腕に鼻を近づけるディオナに首を傾げる。そもそも普段から生活を共にしているせいで、彼女の体臭にも鼻が慣れてしまってあんまり感じられていないのだが、わざわざ言うことでもないだろう。

 食事を終え、簡単に片付けをして、少し時間を潰す。といっても、ディオナは新しい義手に少しでも慣れるために訓練をしているし、俺もエイリアルから貰った業物の槍を磨いて素振りをしていた。やはり、込められた期待の重さは別にしても、この槍は惚れ惚れするほどの傑作だ。己の手足のように動かすことができ、その力は何も切らずともよく分かる。


「ディオナ、良い槍だぞ、これは」

「槍!? そ、そうだな。立派な槍だな」


 今になって少し緊張して来ているらしい。俺はディオナの肩を叩き、馬車へ誘う。


「あとはゆっくり寝て、移動の疲れを落とそう。明日からが本番だ」

「そ、そうだな……」


 ギシギシと軋む馬車の荷台に上がり、毛布を敷く。これもエイリアルが用意してくれたのか、驚くほど厚手で質の良いものだった。これなら一人一枚使っても暖かかったかもしれないな。まあ、そもそも寝台にする馬車の荷台が少し手狭だからあまり変わらないのだが。


「よっと。ちょっと窮屈だな」

「そ、そうだな……」


 さっきと同じ調子で言葉を繰り返すディオナ。明らかに強張っている肩をそっと撫でる。


「大丈夫だよ。なんとかなる」

「っ! ……うん。ワタシがアランを守る」


 背を向けていたディオナがこちらに向かって寝返りを打つ。間近に迫った彼女の赤い瞳が俺を覗く。いつの間にか少し大人びた彼女の顔に少し驚き、今更ながらに密着した彼女の体温を感じる。


「寝よう。明日からはゆっくり眠れないからな」

「うん」


 瞼を閉じる。そっと彼女が冷たい鉄の腕をこちらに絡めてきた。俺はディオナの少し硬い髪を撫でながら、ゆっくりと眠りに落ちていった。

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