第24話「示された指名依頼」

 馬車は大通りを堂々と進み、忙しなく歩く下々の民を押し除けていく。誰も彼もが突然現れた貴族の乗り物に驚きと戸惑いの表情を浮かべていた。不思議がる子供の手を引いて逃げる母親や、アルクシエラ家の紋章を目ざとく見つけて深々と頭を下げる忠臣など、その反応は様々だ。


「アラン、これも美味しいぞ!」

「お前はもうちょっと遠慮してくれ……」


 馬車の窓からその様子を眺めていると、口にクリームをたっぷりと付けたディオナがこちらにシュークリームの載った皿を押し付けてくる。辺境伯ともなれば特別な魔法でも使えるのか、いくらでも甘いお菓子が出てくるのだ。


「ふふふ。ディオナの食べっぷりは見ていて気持ちがいい。アランも遠慮しなくていいんだぞ」

「そう言うわけにもいかないでしょう」


 幸い、エイリアルは無限に菓子を頬張るディオナに暖かい目を向けて笑っている。しかし、状況を考えるとキリキリと胃のあたりが痛くなってくるのだ。

 そうこうしているうちにも馬車は軽快に進み、城壁で区切られたアルクシエラの中心へと入っていく。そこに広がっているのは、町を取り仕切る貴族達の館が立ち並んだ貴族街だ。

 壁一枚を隔てただけだというのに、泥臭い傭兵などとはほとんど縁のない別世界だ。道も広く、石畳も綺麗で、何より道ゆく人々の身なりが平民街とはまるで違っている。街角には重武装の騎士たちが立ち、数人の使用人を連れた貴族が胸を張って闊歩していた。


「すごい! ここが貴族街なのか」

「そうだな」

「アラン、あれはなんだ!?」

「貴族向けの菓子店だよ。お前が食べてるシュークリームもそこのやつだ」

「そうなのか!?」


 貴族街にはディオナの見たことがないような店がいくらでもある。立派なショーウィンドウの中に煌びやかな宝石や儀礼用の剣などが並び、ドレスで着飾った貴婦人が別のドレスを物色している。どれもこれも、俺たちには縁のない場所だ。


「私はあの店には行ったことがないんだけれどね」

「そりゃあそうでしょう」


 もっとも、店を訪ねて歩くのは貴族の中でも下級の家だけだ。辺境伯家ほどではなくとも、多少歴史と権力のある貴族であれば、向こうから出向いてくるものだからな。

 そもそも、何の前触れもなく組合に飛び込んできたこの女性がおかしいだけで、普通は七面倒くさいやり取りで日程と段取りを決めて、ようやく動き出すのが貴族というものだ。そりゃあ、商人からすれば自分から出向くほうが色々と手間も省ける。


「アランは貴族社会にずいぶん詳しいようだ」

「……どっかで読んだんでしょうね」

「アランは物知りだからな!」


 少し喋りすぎたようだ。俺は不敵に鋭い目で笑うエイリアルから逃れるように、馬車の外へと目を向けた。

 貴族街も走り抜けた白馬車は、ついに町の中心にある広々とした庭の中へと入っていった。一瞬街の外まで出てしまったのかと錯覚するが、そうではない。隅々まで細やかに手入れされた緑地は、すべてアルクシエラ家の敷地なのだ。

 町の中心を切り取る広大な土地。小さな森さえその中に収めるという、規格外な敷地。そこには町の行政を司る施設なども立ち並び、まさに小さな町のようですらある。

 馬車が向かったのは、そんなアルクシエラ家の建物の中でも一際立派な館、エイリアルたちが住う邸宅だった。


「ワタシたちのアパートより大きい……」

「あんなもんと比べるなよ」


 馬車は噴水を囲むロータリーに停まり、玄関の前にずらりと並ぶ大量の使用人達が出迎える。自然な所作で降りていくエイリアルに促されてディオナもぴょんと飛び降りて、最後にガチガチに緊張した俺が後に続く。

 あれよあれよと言う間に俺たち二人は、広々とした豪奢な客間へと通された。


「ディオナ、絶対に余計なことをするなよ。壺なんて割ろうもんなら、入学金なんて言ってられないくらいの借金を抱えることになるんだからな」

「えええっ!?」


 何気なく飾られている小さな壺ひとつ取っても、俺たちの稼ぎでは一生かかっても買えないほどの金額だ。そんなものが不用心に置かれているところをみて、改めて辺境伯家の力の大きさを実感する。


「心配しなくても、それくらいで弁償を求めたりしないよ」


 客間へ入ってきたエイリアルは、しっかり俺たちの話を聞いていたようだ。弁償を求められなければ、貴族に借りを作ることになる。それはそれで非常に恐ろしいのだが、ディオナは無邪気に胸を撫でおろしていた。


「それじゃあ、お互い親睦も深め合ったところで。早速依頼の話に入ろうか」


 ソファに腰を下ろし、エイリアルが早速切り出す。

 依頼という言葉を聞いて、俺もディオナも浮ついていた気持ちを切り替える。色々と急な展開に圧倒されてしまっていたが、俺たちは彼女から指名依頼を受けてここまでやってきたのだ。


「我がアルクシエラ領が帝国と国境を接しているのは知っているね?」

「それは、もちろん」


 俺たちが住んでいる王国と、隣接している帝国。両者の境となっているのが、アルクシエラ領と帝国領土の間にまたがっている大森林だ。濃密な魔力を宿した深い森で、中心に向かうほどに強力な魔獣が跳梁跋扈している魔境でもある。

 王国と帝国が長年敵対しつつもここの境が変わらないのは、この森の存在が大きい。辺境伯として版図防衛の任を負っているアルクシエラ家も、帝国からの侵略よりも大森林から魔獣が現れるのを警戒しているのだ。


「国境線上にある大森林で、きな臭い噂がある」

「噂とは?」

「帝国の定期調査隊が、魔獣の活性化を確認したようだ」


 優雅に紅茶のカップを傾けながら、エイリアルはあっさりと言う。しかし、それを聞いた俺は動揺を隠せなかった。


「それは……」

「まだ爆発するほどのものじゃない。微かな兆候らしきものを見つけただけだ」

「それでも、無視はできませんね」


 エイリアルは頷く。

 大森林は今でこそ安定しているが、それは非常に繊細で脆いバランスの上で成り立っている。その均衡がひとたび爆発すれば、帝国はもちろんアルクシエラ側も非常に危険な状態になる。


「こちらからも調査隊の派遣を?」

「あまり大々的に動いて、それが最後の一押しになるのが一番まずい。仮に爆発を抑えられても、その原因がこちらであると判断されてしまえば、帝国にとっては格好の交渉材料になるだろうね」


 大森林という爆弾を抱えている以上、王国と帝国はこの場面においては協力関係にある。エイリアルが帝国側の調査隊が挙げた成果を知っているのも、そのためだろう。

 しかし、大森林の魔獣が暴れ出すきっかけがこちらにあると断定されてしまえば、それは帝国が牙を剥いて襲いかかってくる隙を見せることになる。アルクシエラ領にも甚大な被害が及ぶ上に、少なくとも多額の賠償金が請求されることは想像に難くない。最悪の場合、アルクシエラ領そのものが帝国に飲み込まれる可能性すらあった。

 そのため、エイリアルとしても大森林の動向は掴みつつ、こちらが魔獣爆発の契機とならないよう細心の注意を払う必要がある。


「時に、オーガ族は強力な魔獣の闊歩するような場所に住んでいると聞く」


 エイリアルが何を言いたいのか。その言葉だけで、俺もディオナも察することができた。


「つまり、俺たちに調査してこいと」

「そういうことだ。アランも森の歩き方は心得ているだろう?」


 挑戦するような鷹の瞳に、否定することはできなかった。大森林はアルクシエラの町からも一日あれば行き来できるだけの距離にある。三級傭兵に持ち込まれる依頼の中には、そこでしか採れない物品を求めるものも多い。当然、俺自身幾度となく大森林に足を運んでいた。


「アラン、ディオナ。両名には極秘の依頼をしたい。大森林の内部を調査して、何か異変がないかを探ってほしい。仮に対処可能なのであれば早期に危険の芽を摘み、もし難しいのであれば迅速に報告してくれ」


 ディオナが三級傭兵になって間もなく、突然飛び込んできた指名依頼。それはとても厄介で危険なものだった。

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