第5話「オーガ族の掟」

「アラン、あれも食べたい!」

「はいはい。……本当に食べ切れんのか?」

「余裕だ! ワタシはオーガ族だからな!」


 メディッジの処置が効いたのか、帰る頃にはディオナもずいぶんと元気になっていた。彼女は店仕舞い間近で売れ残りの叩き売りを始めている店をひとつひとつ覗いて回っては、めぼしい食べ物を見つけると指差して知らせてくる。

 多少手間を掛けたおかげで懐には余裕があるため、俺はこれも将来への投資だと考えて言われるままに買っていく。彼女の腕が生えてくれば、ユガに頼んだ義手の代金も浮くのだ。


「よいせっと。ふぅ、重てぇ」


 それにしても、ボロアパートの部屋に着く頃には足元がふらつくほどの大荷物になっていた。ちょっと稼いだくらいで調子になって財布の紐が緩むのだから、俺も金持ちになれない訳だ。


「義手ができたら、自分の食いものくらい自分で運べよ」

「ギシュってなんだ?」


 早速紙袋を破って脂の冷え固まった肉にかぶりついているディオナは、肉に歯を立てたままこちらを見る。

 学校へ行きたいなどと息巻いていた割に、医者という言葉も知らないような無知ぶりだ。悪徳商人にとっ捕まるのもさもありなんといった頭だが、オーガ族というのはこれでも賢い部類なのだろうか。


「ディオナの右腕の代わりになるもんだよ。明日、それを作ってくれる奴に会いに行くからな」

「もぎゅ……分かった!」


 冷えた肉を力づくで噛みちぎりながら頷くディオナに小さくため息をつき、彼女の手もとにある肉の塊に手を伸ばす。すると、すかさず彼女は食べかけの肉を咥えたまま俺の手を払いのけた。


「だめ! これはワタシの!」

「別に横取りしようってわけじゃない。温めた方が美味いだろ?」

「温められるのか?」

「魔導コンロ……なんてもんはなかったのか」


 オーガ族の文明レベルに危惧を抱きつつ、肉の塊を鉄鍋に移して火にかける。こんな吹けば飛ぶようなボロアパートでも、魔導線は引き込まれている。おかげで多少な魔導具なら男の独り身でも簡単に使えるのだ。

 魔導コンロの上で肉を温めると、脂身が溶けて柔らかくなる。ついでにディオナが放り投げていた紙袋の残骸を漁ってみると、中に固まったスープが入っていた。どうやら、本来はこれと一緒に火にかけて煮込み料理として楽しむものだったらしい。


「ほれ」

「うわぁ、美味そうな匂いがする!」


 皿などという高尚なものはない。男は黙って鍋から直喰いだ。鍋敷き代わりの古紙を机に広げて鍋を置く。沸々と煮える鍋を見て、ディオナは真紅の瞳を輝かせた。鋭い歯の並ぶ口を大きく開けて、表情を変える。


「はぐっ! もぎゅ、もぐ。やわらかい!」

「冷えた肉と比べたら、そりゃあな」


 一口食べたあと、彼女は感激した様子で食事に没頭する。一心不乱に口を動かす彼女を見ていると、それだけで腹も膨れてくるようだ。

 俺はその後も買い集めてきた肉料理を温め直し、テーブルに運ぶ。ディオナは餌を待ち構える雛のごとく、料理がやってくるたびに大騒ぎして一瞬で食べ尽くす。気がつけば、あれほどの量があった料理がすっかりなくなってしまった。


「これは……義手ができても稼ぎを増やさないとやっていけないか?」


 毎日この量を食べられると、食費がとんでもないことになる。俺はリリから貰ったパンフレットを開いてめぼしい資格を探した。食品衛生取扱者の資格を取れば、多少は賄えるだろうか? しかし、こいつも取得条件が面倒だな。


「ぐぅ……」

「ディオナ?」


 資料に目を落としていると、騒がしかった食事の音が聞こえなくなっていた。違和感を覚えて顔を上げると、ディオナが白い髪をテーブルに広げていた。ぎょっとしてよくよく見てみると、ちゃんと肩はゆるく上下に動いている。どうやら、突っ伏して寝落ちてしまったらしい。


「そうはならんだろ……」


 せっかくの綺麗な髪の毛がソースに浸かってしまっている。俺は手拭いで拭き取り、彼女を起こす。食べるだけ食べたら腹が膨れて眠気が襲って来たのだろう。多少揺らしたところで起きる様子はない。

 仕方がないので彼女を抱き抱え、ベッドの方へ連れて行く。


「よっこいせ」


 歳は16と言っていたが、それにしてはずいぶんと軽い。まだ肉が体に付いていないような印象だ。せめて今後は穏やかに眠れる日々を送ってほしいと願いつつ、彼女の胸にシーツをかける。

 よく食べて、よく寝て、オーガ族らしい屈強さを見せてほしいものだ。


「とりあえず、俺も何か食べるか」


 ディオナの食べっぷりに押されて満足していたが、彼女が静かになると腹の虫が起きてくる。腹をさすりつつ食卓へと向かい、包み紙の残骸を掻き分けて何か残っていないか漁る。あれだけ大量に買い込んだのだから、俺の一食分くらいは流石に――。


「マジかよ。本当に全部食いやがった」


 包み紙を全て片付け、綺麗になった机上を見下ろして愕然とする。あれほど大量にあったはずの食料が綺麗さっぱり無くなっていた。いったいあの小さな体にどうやって収まったのか。オーガ族は魔法の才がないという話だったが、腹に空間魔法でも備えているのか。


「……何かしらの資格取るか」


 今日使った金をおおまかに合算し、その桁の大きさに腹を括る。ディオナの依頼を引き受けた時に支払われた金額など、木端のようだ。二級傭兵になるほどのものではないが、今のままでは確実に財政破綻してしまう。俺の安定して穏やかな老後の貯蓄のためにも、ディオナには早く一人前の傭兵となって学校でもどこでも行ってもらわなければ。

 幸せそうな笑みまで浮かべて眠る彼女を傍目に、俺は空きっ腹を抱えてパンフレットを熟読するのだった。



「というわけで、今日はよろしく頼む」

「それは良いが……。なんでこの嬢ちゃんは泣きべそかいてるんだ?」

「うぐっ、ひぐっ」


 翌朝、俺はディオナを連れてユガの工房を訪れた。思い立ったら当日にでも休みを取れるのが、傭兵という自由業の良いところだ。今回は事前に言ってあったように、ディオナの腕の寸法を測って、彼女のための義手を作らねばならない。

 工房の戸口に現れた俺たちを、ユガは快く出迎えてくれた。しかし、彼は訝しげな顔をして、俺の背後に目を向ける。そこには、目を真っ赤に泣き腫らしたディオナがいる。


「ごめんな、アラン。ワタシ、アランのぶんも全部食べちゃった……」

「それは別にいいって言ってるじゃないか」


 朝からずっとこんな調子の彼女に、俺の方がげんなりしている。

 というのも、昨夜たっぷり食べてたっぷりと寝た彼女は、ベッドを失って壁に持たれて寝込んでいた俺を発見した。机の上には空の包み紙、俺が何かを食べた形跡はない。そこで彼女は、自分が肉を食い尽くしたせいで俺が餓死したとでも思ったらしい。俺が起きたのは、ディオナが勢いよく前後に揺らした勢いで後頭部を壁に強く打ちつけた衝撃からだった。


「食べ物は仲間で分け合わないといけないのに、全部食べちゃった」

「だから朝飯は食べたからいいんだよ。ディオナも一緒に食っただろ」


 ユガを訪ねる道すがら、朝市でリンゴやら肉の串焼きやらを軽く食べたのだ。もちろん、ディオナも大の大人が驚くほどの量をぺろりと平らげている。それなのに、彼女はいまだに俺に負い目を感じているようで、ずっと腕に絡みついて離れない。俺にしがみついたまま、その手でタレのかかった串肉を食べるもんだから、袖にはべっとりとその跡が残ってしまっている。


「まあ、なんだ。仲良くやってるようでなによりだな」


 そんな俺とディオナの様子を見て、ユガは呆れたように適当な感想を放つ。


「それよりもとっとと始めよう。嬢ちゃん、とりあえず傷口を見せてくんな」


 俺たちの関係には微塵も興味がないと、ユガは話を進める。工房の奥へと通されて、ディオナは袖の結び目を解いて傷を見せた。メディッジのおかげか、たっぷり食って寝たからか、傷口は見違えるほど綺麗になっていた。


「これなら、保護材を当てるだけで良さそうだな。あとは胸囲と肩、首の辺りの寸法も測るぞ」

「むぅ」


 オーダーメイドの装備を作る時も採寸は重要だ。仕事柄、そういった作業は慣れているのだろう。ユガはむず痒そうなディオナの周囲をくるくると回りながら、巻尺で彼女の体を測っていく。

 ディオナも義手についてしっかりと説明したおかげか、行儀良く椅子に座ってされるがままになっている。それだけでちょっと誇らしい気持ちになってくるのは、情が湧いてきたからだろうか。


「義手はどんなものにするんだ?」

「どんなものってのは?」


 手帳に数字を書き留めていくユガに尋ね返す。


「日常生活が送れる程度でいいのか、荒事にも耐えられるようにするのか。なんなら、中に何かしら仕込んでもいいんだぜ」


 それを聞いてそういえばと思い出す。危険が日常茶飯事な傭兵稼業では、腕や足を失くして帰ってくる奴も少なくない。大抵はそのまま引退するが、中には義手や義足を着けて復帰する奴もいる。もともとそれなりに稼いでいた奴なんかは、腕にナイフやボウガンを仕込んでいたり、時には高級な魔導具を内蔵していたりと工夫を凝らしているのだ。

 そうでなくとも、ディオナに傭兵としての生き方を教えるならば、頑丈な腕にしておくに越したことはないだろう。


「ま、今すぐに決めることでもねぇ。最初は訓練用の軽い奴を使うからな」

「そうなのか?」


 急に言われて悩んでいると、ユガはそう言って工房の奥から義手を引っ張り出してきた。外装も何もない、内部のワイヤーやフレームが剥き出しの簡素な木製義手で、いかにも訓練用といった風貌だ。


「最初っから重たい義手なんて着けても上手く動かせねぇ。義手は胸やら肩やら首やらの筋肉をベルトで引っ張って動かすからな、多少の慣れが必要なんだ」


 流石はドワーフ、義手についてよく知っている。腕を失った翌日に義手を装備して、すぐに傭兵に復帰できるかと言われればそんなわけもない。よくよく考えれば、当たり前のことなのだ。


「まあ、練習には二、三ヶ月ってところだろ。はじめのうちはオレも付き合ってやるが、毎日続けるのが大事だからな」


 世話焼きなドワーフは訓練用義手のサイズを調整しつつ言う。彼が大工房に所属せず一人でやっていけているのは、こういった性格も理由のひとつなのだろう。俺が命を預ける槍の整備を彼に任せているのも、その腕と性格を信頼しているからだ。


「ほい、着けてみるぞ」

「うん!」


 義手の調整が終わり、ユガは早速それをディオナの右肩に嵌める。背中にハーネスを回し、胸の半分ほどが隠れるような胸当てを沿わせる。首、肩、脇下にベルトを伸ばし、しっかりと締め付ける。

 義手を装着したディオナは、存外違和感もない。


「うぅ、おもたい。動かせない」

「もともとの腕はもっと重たいんだぞ。オーガ族ならすぐに慣れるだろ。動かし方は今から教えてやる」


 慣れない義手に本人は困惑しているようだが、ユガは丁寧に部品のひとつひとつを指差して教えていく。高級な義手だと魔導具として神経を直結し、考えるだけで動かせるようなものもあるらしいが、こいつはそうもいかない。

 ユガの言うように、毎日地道に訓練して慣れていくしかないのだろう。


「とりあえず、この寸法を元にして義手を作る。しかし、成長に合わせて作り替えなきゃならんからな」

「げっ、そうなるのか……」

「当たり前だろ。義手は成長しねぇんだから」


 一回作ればそれでおしまい、というわけにはいかない。それでも、ユガはアフターサービスの一環としてメンテナンスはやってくれるそうだから、安いくらいなのだろう。改めて彼には頭が上がらない。


「そいじゃ、ちょっと動かしてみるか。アランはそいつを読んでサインしてくれ」


 ユガは俺の前の分厚い契約書と取扱説明書の束を置き、ディオナに向き直る。俺はふらつきそうになりながら、仕方なくびっしりと書き込まれた小さい文字を指で追いかけた。

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