第7話 戦士と平穏は相容れず
幼い頃、俺は「自分の名前」を呼ばれるのが怖かった。
別にキラキラネームだからとか、呼ばれた後に酷い目にあっていたとかじゃない。
ただし「自分の名前が呼ばれた」とき、それを聞き逃すことが嫌だった。
もし、初対面の人が俺のことを呼んでいたとする。
当然だが、俺の名前を叫ぶだろう。
そのとき、他の人が合図したら。
俺を探していた相手はソイツを「俺」と勘違いする。
そして聞き手が間違いに気付かなければ、一生ソイツを「俺」と思い込むのだ。
もちろん実際にそんなことは起こらない。けれども、頭の小さかった俺は怖かった。
もしかしたら自分の知らない所で「俺の名前」を名乗るヤツがいるかもしれない。
多くの人が「俺の名前」を聞き、「俺」ではなくソイツを想像しているのかもしれない。
いつか「俺の名前」は誰か別の人のものになってしまうかもしれない。
そんな妄想のおかげで、俺が名札を付け忘れたことはなかった。
文字には不思議な力が宿る、なんて信じ始めたのも、この頃からだろう……
□□□
目の前に、そこに刻まれた印。
いつでも視界に入っていた筈なのに気付かなかったソレは、紛れもなく魔法陣だった。
その模様が何を指すのかは分からない。
けれどもこの白い部屋の中に、ポツリと描かれた魔法陣。
単なる落書きであるはずがない。
その模様を発見した勇者もそう思ったのだろう。
俺を見ながら、彼は誇らしげに語り出す。
「見事な魔法陣だな。アレだけの大きさと複雑さを描くには、二、三日だけでは不可能だろう。しかも、かなりの魔法に関する知恵が無ければ描けない。最低でもウチの賢者ぐらいの技量が必要だな。
……つまり!! アレを描いたのは魔王だなッ!!
そして魔法の効果は、恐らく時空転移といった所だ!! どうだ!? 間違いないだろうッ!!」
……知らないよ。
俺に言われても困るのだが。
せめて、その賢者さんに向かって言ってくれ。
空間転移ってなんだ?ワープみたいな奴か?
だが、勇者が興奮したように話して続けてくれていたお陰で、冷静さを取り戻す。
ふう、危うく拷問に掛けられる所だったが、この流れを上手く掴めば、回避できそうだ。
俺は勇者を煽てるようにして話してみる。
「ゲヒヒッ……流石は勇者と言ったところかな。
確かにあの魔法陣は魔王様の描いたもの。効果も、勇者の予想と似た様なものだ。
俺は詳しく知らんが、かなり重要な内容だったはずだよ。
もしあの魔法陣の内容を読み取れるものが入れば、魔王様の居場所も分かるだろうよっ……ゲヒヒヒッ!!」
取り敢えず勇者の言ったことは、俺に知識がない以上、信じてみるしかない。
彼の発言によると「あの魔法陣で凄い空間転移ができる」らしい。
だったら、それに乗っからない手はない。
さて、ここからは想像だ。
俺は魔法陣を、科学で言うプログラムコードだと思っている。
コンピューターを使っていれば誰しも一回は目にするであろう、謎の文字列。
文字は、ある程度決まった形式で並べられ、結果パソコンを動かしている。
この暗号に似たプログラム。
素人には意味不明でも、技術者には判断できる。
これは、魔法陣にも当てはまるのではないか。
もう一度、その魔法陣を見てみる。
全体としては円型であり、文字や線には、規則的な配置が見られる。
ゲームでは六芒星の形が有名だが、この魔法陣の形と似ていなくもない。
やはり、知識のある者には、理解できるように感じる。
さて、ここには「賢者」と呼ばれている人がいる。
彼女に確認してみようではないか。
「そこの虹色ちゃ……ではなく、虹髪の少女よ。お前なら、コレを理解できるんじゃないか?」
少女は黙って俺や勇者を見渡す。
何だか、クイズ番組のような緊張感が流れる。
下手に間違えれば、あの惨劇が再び!!……となるかもしれない。
だが、少女は小さく溜め息をつき呟く。
「……今すぐは無理。かなり複雑で、面倒くさい……」
「じゃあ、時間をかければ解析できるんだなッ!!よし、頑張ってくれッ!!」
勇者がポジティブに捉えた。
虹色ちゃんはまた溜め息をつく。今のは、完全に呆れて吐いたものだ。
それに対し、メガネくんは俺に尋ねる。
「あの魔法陣が魔王への手掛かり、か……それで、貴方はどうするつもりだ? 魔王の下へ案内するとか言っていたが、結局、何処にあるのかは証明できていないが」
「ゲヒヒヒッ……いや、違うさ。魔王様の居られる場所は知っている。
何しろ………たった3分で着ける場所だからな」
「何だとっ!!」
勇者が声を上げる。
「3分って、一体何処にいるんだ!!」
「ゲヒヒヒッ……魔方を使えない俺でも、歩いてスグに向かえる場所、と言っておこう」
「馬鹿なっ!!俺たちはここを探索し尽くして、最後にこの部屋に辿り着いたんだぞっ!!」
俺はこの部屋から出たことがないので、外の様子は全く分からない。
けれども彼らの様子からすると、巨大な建物の一角であることは間違いないようだ。
だからこそ、嘘の付け入る隙がある。
「幾ら勇者と言えど、ココを完全に理解することは出来なかったようだな。隠し部屋に隠し通路の数を、貴様は知らないだろう? というか、全てを理解しているものなど、仲間であっても少ないのだ」
そして、鼻を鳴らし、ゲヒヒヒと笑う。
こうすることで、如何にも「俺は全てを知っている」風の雰囲気を醸し出した。
「さて、俺を信用するかは別だが、俺は貴様らを魔王様の下へ連れてってやろう。それとも……」
虹色ちゃんを見る。
「いつ終わるか分からん、魔法陣の解析を待つというのか?」
「……貴方は今、道を口頭で言えないの?」
金髪ちゃんが発言する。
だが、その質問は想定済みだ。
「逆に聞くが、俺がこの場で言った発言を鵜呑みにするのか?信憑性を取るなら、俺の案内に従いながら移動した方が良いと思うのだがな」
この発言を最後に、勇者らはしばらく黙り込んだ。
約1分後、一人手を上げるものがいた。
金髪ちゃんだ。
「……二人がソイツに道順だけ教えて貰って、賢者ともう一人がココに残る、っていうのが最善だと思んだけど……」
彼女の言葉を皮切りに、幾つか意見が飛び交う。
虹色ちゃんはジーっと俺を見続けている。解析とかしてればいいのに。
数十秒後には意見がまとまったらしい。
メガネくんが最終決定を下す。
「……仕方ないが、勇者と俺がソイツに付き、途中で引き返すとういうのが妥当だろう。僕たちなら、例え罠があろうと乗り切れる。君たち……射手と賢者の二人は、魔法陣の解読をしていてくれ」
「ああ!!」
「……了解」
「……分かったわ」
全員でまとめた案のはずだが、女子二人は渋々納得したようだった。
何でだろう、二人は仲が悪いのか?
まあ、今気にすることではない。
さて、意見がまとまり、俺は引きづられながら扉の前に立たされる。
手綱を勇者が握りしめ、メガネくんが扉を開けようとしていた。
ああ、やっとココから出れるのか!!
時間的には半日も立っていないはずだが、死にすぎたせいで時間感覚が狂ってきている。
だが、この一歩を踏み出せば、確実に俺の世界が変わるのだ。
興奮するが、同時に不安にもなる。
果たして何が待ち受けるのか。身体が緊張感し始める。
危うく頭が真っ白になりかけたので勇者に質問をして、冷静を保つことにした。
「なあ、ところでさ」
「何だ?」
「さっきから、「勇者」とか「賢者」とか言ってるけど……名前で呼びあったりはしないのか?」
「あんた、バカなの?」
金髪ちゃんが呆れたように言う。
「名前ってのは、その人自身を表す言葉なのよ?下手して敵に知られたら、呪いや魔法に掛けられるかもしれないの。だからパーティーの間では、ニックネームで呼び合うのが普通なのよ」
まあ雑用係のアンタが知っているわけないか、と付け足し少女は笑った。
なるほど、これでまた一つ知識を得た。
俺の死に戻りも、思ったより早く脱出できるかも。
……そう思ってた。
少なくとも、メガネくんが扉の取っ手を握り、そのまま崩れ落ちるまでは。
「…………え?」
いや違う。
彼の腹から上が、寸断され、前に倒れたのだ。
上半身が頭を扉に擦り付けながら落ちる。
下半身はまっすぐとしたまま、切れ目から血を滲ませる。
ズシャッと音がした。
うつ伏せになった彼の頭が横に曲がった。
そこから見えた顔に生気はない。
段々と、赤い血だまりが広がる。
メガネがカランと外れ、
赤く染まり、
パリンッとヒビが入った。
その時になって初めて、
名前も知らない彼が
静かに殺されたのだと気付いた。
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