果てることなき闇

馬村 ありん

第01話 暗闇

 水滴が頬に落ちてきて、私は覚醒めざめた。


 眼の前は完全な暗闇で、物音は何ひとつ聞こえなかった。


「ここはどこ……?」


 身じろぎすると、背中の下にゴツゴツした硬い感触を覚えた。


 どうやら岩の上に私は横たわっているらしい。


 やけに体は身軽く、少し肌寒かった。


 心細いときにいつもそうするように自分を抱きしめると、柔らかな生肌の感覚があった。


 驚いたことに、私は何一つ身につけていなかった。まったくの裸だったのである。


「えっなんで……?」


 ドッと心拍数が上がった。


 なぜ私はここにいる?


 なぜ服を着ていない?


 どこから来た?


 最後に覚えているのは、クラブのVIPルームで武志たけしとその友人たちと居た時のことだ。


 着飾った都会の住人に混じって、私はたくさんお酒を飲まされた。


稲穂いなほちゃーん、強いねえ、お酒」


 猫なで声で言ったのは、サークル主催者の宇堂だ。プロレスラーをほうふつとさせる体躯、それとは裏腹の甘いマスク、肌は日焼けしていて、歯はやけに白かった。


「武志となにかあったみたいだねえ。話聞いたよ」


 宇堂はほとんど初対面なのにも関わらず、私のキャミソールの肩に手を回してきた。すっかり酔っ払っていた私には、その野太い指がキャミソールの紐の上を撫でさすってくるのも気にならなかった。


「なんでもないです。――知らない、あんなやつ」


 私はシャンパングラスを飲み干した。すかさず宇堂はウエイターを呼び止め、私にもうひとつ寄越した。


 別のボックス席で、武志はサークルの女の子に囲まれてずいぶん嬉しそうだった。はしゃいでいた。あんな武志、今まで見たことがない。


 私は嫉妬した。


「ふーん」宇堂は脂ぎった視線で、私のロングヘアの先端からパンプスの先までを舐め回すように見た。「じゃあさ、あいつに見せつけてやらない? 俺たち二人で部屋を抜け出すところ」


「そんなの見せつけてどうするっていうんですか」


「悔しがらせてやるのさ」


「へえ」私はデレデレする武志を睨みつけながら答えた。「いいですねそれ、宇堂先輩。私、乗りますよ」


「じゃあ、決まりだな」


 エスコートするように宇堂の手が私の腰に触れた。私たちはクラブの出入り口へと向かった。分厚いドアを引いた。宇堂はBGMに負けないぐらいの甲高い音で指笛を吹き注意を引いた。


 武志はぼんやりした表情から一転、クラブから出ようとする私達の姿に仰天していた。私は笑った。この顔が見たかったのだ。


「この後はどうするんです?」


「稲穂ちゃんは、楽しいところに行くのさ」


 そこから記憶はぷっつり途切れていた。


 あの後私はどうしたのだっけ?


 宇堂と建物を出て、それからは……?


 何も思い出せなかった。

 

 お腹がなりだした。


 喉が渇いた。


 露出した全身は寒さにこわばっていた。 


 家に帰りたい。


 武志と暮らすアパートに。


「でも、どうしたらいいのよ……?」


 まったく身動きが取れなかった。


 何分なにぶん、暗いのでどこに何があるのかわからない。


 一歩踏み出せば断崖絶壁が開いているのかもしれないし、あるいは剣山じみた岩棚が待ち受けているのかもしれない。


 私以外の生き物がいる可能性だってある。


 蛇とか、コウモリとか、毒蜘蛛とか……。


 何か見通せないものだろうかと一縷いちるの希望を懐いて暗闇に目を凝らしてみるが、やはりそこにあるのは暗闇だけだった。

 

 唯一わかるのは背中に岩を敷いているということだ。


 私は意を決して上半身を起こし、手で足で、地面に触れた。


 尻の下を基点に、どこまで岩場が続いているのかを確かめようと努めた。


 幸い、落とし穴はなかったし、毒針に刺されることもなかった――少なくとも今は。


 身を乗り出し、指先で地面を探るようにして進めればどこかには行ける。


 進めるだけ地面を進むのだ。


 何もしないで手をこまねいているよりはいい。


 絶望に飲まれて身動き取れないでいるなんて、私らしくないじゃないか。

 

 うような格好で、私は地面を進んだ。

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