第二話 『新人類』『旧人類』共同戦線

 いつも通りに勤務していると、どこかで声が上がった。


「システムが作動しないぞっ!」

「こっちもみたいです」


 どうやらどこかの部署で機械トラブルが起きたらしい。私の部署で使用している研磨機は通常運転していたため、私はそのまま作業を続けていた。


 他の部署は大変だねぇ。こりゃ、今日は残業か――そんなことを思いつつ、私はスイッチ一つで黙々と研磨機に部品を研磨させていく。


 しかし数分後、次の作業開始のボタンを押すと、研磨機は完全に停止したままでうんともすんとも言わなくなった。


「えっ? まさか、ここも??」


 何度も操作パネルの開始ボタンを押すが、やはり研磨機は動いてくれない。それからすぐにパネルの画面は消え、操作することさえできなくなった。


「どうしよう……まずは班長に報告しないと」


 私はことの顛末を班長に報告しようと、班長のデスクに向かう。


「工場の機械音がほとんど聞こえない。代わりにそこここで話し声がする。何が起きてるの」


 そんな不安を抱えたまま、『部品製造課 研磨係三班』という看板の下がったデスクがある工場内のエリアまで行くと、そこには同じ部署の人たちが集まっていた。もちろん坂本さんも。


「何かあったんですか?」


 私は後ろに立っていた坂本さんに尋ねた。


「機械トラブルみたいでね。どうやらこの工場全体で発生しているらしい」


 苦い顔で坂本さんは答えた。


「それって大変なことじゃないですか!? 今日の出荷分って大丈夫なんです?」


「うーん、あまり芳しくないだろうねえ」


 芳しくないとは言いつつも、坂本さんは少し余裕そうな言い方だった。もう諦めてしまっているのか。それとも、どうでも良いと思ってしまっているのか。


 どっちにしろ、先日聞いた坂本さんの言葉が嘘だったと思いたくない私は、きっと坂本さんには何か考えがあるからなんだと思うことにした。


「工場内の電子ネットワークにウイルスが見つかったようだ。早急にウイルス対策がされるそうだが、今日の作業は難しいだろう。得意先に迷惑をかけることにはなるが、この際仕方がない。今日はここで――」


 班長が言いかけたところで、坂本さんはスっと手を上げる。


「あの、まだ出来ることはあるんじゃないかと思うのですが」


「坂本さん。システムが止まった今、機械を動かすことは我々には不可能だ。それに、誰かがこのウイルスを意図的に仕組んでいたとしたら、我々にも感染しかねん。自分たちの命を守るためには、無理をしないことが望ましい」


 私たち『新人類』は自分の脳内ネットワークと製造機のネットワークとを繋いで日々の業務を行なっている。直接、手足を動かさずとも製造機を操作できるのはそのおかげなのだ。


 そのため全身と繋がっている製造機のネットワーク内にウイルスが見つかったとなると、みんなは恐怖し震え上がるしかない。


「それは皆さんの場合は、でしょう。『人間』である私に感染リスクはありません」


 坂本さんの言葉に周囲がザワつく。


「『旧人類』のくせに調子に乗っているわよ」

「こういう時にしか偉そうに発言できないからな」


「坂本さん、もうやめましょうよ」


 私がそっと坂本さんの隣で囁くと、坂本さんはこちらを見てニコッと笑い、班長の方へ向き直った。


「考えがあります。機械を使わなくても、人の手で作業すればいいんです。皆さん、日々研磨作業は見ておられるでしょう?」


「しかし、下手な研磨なんてしたら、余計に先方に迷惑をかけるかもしれん。それは本意ではない」


「結局、迷惑をかけることになるのですから、やってみたらいいじゃないですか。『ゼロよりはイチ』の方がいい。少しでも多くの部品を生産すべきです」


「うーむ」と班長は考え込む。


「それに。ここで結果を得られれば、班長の評価がガラリと変わります。我々の班も工場内では一目置かれるはずです。多少のリスクはありますが、結果が出れば誰も損はしないでしょう」


「……そう、だな。やってみよう」


 班長は不承不承といったようすで頷いた。


「研磨なんてやったことないぞ」

「わたしもよ。無理に決まっているわ」


 班長の決定に全員が狼狽していた。私もそうだ。生まれてこの方、金属に研磨などしたことがない。本当に大丈夫なのだろうか。


「坂本さん、私。毎日研磨をするところは見ていたけれど、実際にやったことがなくて」


「それなら大丈夫。私は二十年ほど研磨の経験があります。だから安心してください」


 坂本さんはいつものように優しく、そしていつもより心強い顔で笑った。


 その笑顔で、熱せられた鉄のように私の胸の奥が熱くなる。


「はい!」と私は頷き、両手で頬を二度叩く。それは気合を入れるときに、いつもやっている癖だ。


「坂本さん、具体的にはどうする? 僕は研磨の経験がないのだが」


 班長が尋ねると、


「私が皆さんに説明します。経験がありますので」


 坂本さんは、力強い口調でそう言った。


 坂本さんのその精悍さに、私は少しだけ格好いいと思ってしまう。


 ちなみに。この場合の格好いいとは異性的な意味ではなく、社会人として、だ。


「そうか。それじゃあ、あなたにお任せします。みんなもいいな! 坂本さんの指示に従いなさい」


 班長がそう言うと、不服そうにみんなは返事をする。


 それから作業場に戻り、在庫で積んであった研磨紙を持ち寄ると坂本さんからの指導が始まった。


 初めはみんな不服そうではあったものの、時間が経つにつれ慣れてきたのか、楽しそうに作業をしていた。


「坂本さん! これ、どうすか?」


 若い男性作業員の一人が手を挙げ、坂本さんを呼ぶ。


 坂本さんはすぐに駆け寄り、「とても素晴らしいです」と穏やかな笑顔で答えた。


 男性作業員は嬉しそうに「あざっす」と言うと、次の研磨に取り掛かった。


「坂本さあん、こっちもお願いしまあす」


 普段、坂本さんを嘲笑っている女性作業員も、すっかりと坂本さんを頼っているようだった。


 若干複雑な思いはあれど、少しでも彼女にとって坂本さんの存在が変わってくれていたらと願う。


 それから数時間。残業できるギリギリの時間まで、私たちは手での作業を続けた。


 相変わらずシステムの復旧はなかったが、手作業のおかげもあって一つでも多くの部品を生産できたのだった。




 勤務終了後。


「ああ、疲れたなあ」


 午後の勤務はまるまる手作業だったため、両腕がもうパンパンに張っていた。


 私は着替えを済ませると両腕をさすりながら、更衣室を出る。


 少し進んだところで、ちょうど男性更衣室から出てきた坂本さんの後ろ姿を捉えた。


「坂本さん!」と私は坂本さんに駆け寄る。


「白川さん、今日はお疲れ様でした」


 と坂本さんはいつもの穏やかな笑顔だ。


「いえいえ。坂本さんのおかげで今日の出荷分はなんとかなりましたね。ありがとうございます」


「そんなそんな。私なりにできることを考えたら結果ですよ。いつも皆さんにはご迷惑ばかりおかけしていますし」


 とあの時の力強い口調はどこへやらといった様子に戻っていた坂本さん。


 しかし、それが坂本さんの良いところなのかもしれない。


 自分の成果を鼻にかけず、いつも通りのことをやっただけと謙虚な姿勢。


 そういう穏やかで優しい坂本さんだからこそ、私たちの部署には必要な人材なのではないか。私はそう思った。


「迷惑だなんて、私は思ったことないですよ。坂本さんはいつも真面目だし、仕事は正確だし。そりゃ、少しは演算能力が低かったりはあるかもしれないですが、今日みたいに電子トラブルが起きた時は、坂本さんの力が必要なんじゃないかなって思うんです」


「白川さんは嬉しいことを言ってくれるのですね。『人間』なんてもう旧世代の人類で、あなた方にとってはいらない存在なんじゃないかと思っていました。けれど、今日のことがあってまだまだ私たち『人間』にもいる価値みたいなものがあるんじゃないかと思えたりしましたよ」


 坂本さんも、坂本さんなりに悩んではいたのか――私はそのことにとても驚いた。


 いつも笑顔で雑用を引き受けてくれる坂本さんだったから、そんなことを思っていたなんて考えもしなかったのだ。


 工場から外へ出ると、数日前より少し暖かくなった風が私たちの肌を撫でていった。


「もうすぐ春ですね」


「ええ」


「それじゃ、また明日」


「はい。お気をつけて」


 私たちはそこで別れる。


 月が照らす道を私は歩き始め、一日を振り返った。


 機械トラブル。その後の坂本さんの提案。

 みんなで手作業の研磨。坂本さんの楽しそうな顔。


 今日のことで、みんなの坂本さんへの見方が変わってくれたらいいな――。


 そんなことを思い、私は帰宅する。




 翌日。いつも通りに出勤すると、前日の機械トラブルは解消されていた。


 通常作業を行うようにと班長は告げ、私もいつもの持ち場に向かった。


 作業をしていると、坂本さんは今日もみんなの作業場周りの清掃をしている。


 やはり一日だけじゃ、みんなの坂本さんへの見方は変わらなかったのかもしれない。少し悲しく思った。


 しかし、「坂本さん、今日は自分が掃除するんで、こっちの作業をお願いしていいっすか?」


 若い男性作業員はそう言って坂本さんの持っていた箒に手をかけた。


「いやぁ、でも。私がやると遅くなってしまうから」


「いいんすよ。昨日みたいに、みんなで乗り切れば! 坂本さんも俺らの仲間じゃないっすか!」


「そうですか。うん、わかりました。じゃあこれをお願いします」


 そう言って坂本さんは若い男性作業員に箒を渡す。


「困ったことがあれば言ってください! 俺、その工程にかけてはプロなんで!」


「頼もしい限りです。ありがとうございます」


 それから若い男性作業員は箒を手に掃除を始め、坂本さんも作業を始める。


「よかった……」


 ホッと息を吐き、私も作業に戻った。




 『新人類』の進化によって、『人間』の居場所は少しずつ減っていくのかもしれない。


 けれど、その『人間』たちが必ずしもいらない存在であるとは私には思えない。


 小さな工場でのたった一つの出来事だけれど、いつか世界に『人間』たちの存在の必要性が伝わったらいいなと私は願う。




(了)

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坂本さんは『人間』である しらす丼 @sirasuDON20201220

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