第5話:邪教徒と羊の角

「司教様だ! 司教様がお越しになったぞ!」

「おお、司教様……いつもありがとうございます」


 ヴァイスレイン領の東にある、大きな村。

 その賑やかな村の広場を、上半身が大きく発達した体格の良い男性が通りかかる。

 豪華な刺繍が施された上質の法衣は、その胸筋ではち切れんばかりだ。

 歳は40代後半といったところだろうか?

 何より特徴的なのは、その眉の位置の高さで真っ直ぐに切り揃えられた髪型だ。

 髪全体をぐるりとその高さでカットしており、毛先も全て整えられていた。

 遠目には、まるでお椀を被っているかのようにも見える。

 そんな特異な見た目の彼を、周囲の大人たちは一様に讃え、出迎えた。


「嗚呼、皆さん……ご機嫌は如何ですか?」

「司教様のおかげで、すっかり目もよくなりました!」

「私はもう歩けるようになったんです!」


 どうやら、この司教と呼ばれる男性に、なんらかの治療を施してもらったようだ。


「嗚呼、それは良かった。皆さんの平穏こそが私の……いえ、神の願いです」


 優しげな目で、周囲に集まってきた村人を照らすかのように手をかざす。


「ありがとうございます!」

「ありがとうございます!!」


 村人の声を受け、司教は頷くようにして皆に応えた。

 と、その村人たちの輪の外に、フードを深く被った怪しげな人物が立っている。

 その人物は、なにやら符牒のようなものを手で記すと、その場から去った。

 それを受け、司教の付き人らしき司祭服を着た細身の男がそっと耳打ちをする。


「司教様……獣が一匹、檻から逃げ出したようです……」

「ええ……詳しく聞きましょう……」


 小声でそう応えると、一瞬歪んだ表情を整え、村人に満面の笑みを向け直す。


「嗚呼、申し訳ありません……そろそろ教会に向かわねばなりませんので、この辺で」

「司教様! お気をつけて」

「またお越しください!」

「お待ちしております!」


 村人たちの声を背に、司祭服の男を伴って司教はその場をあとにした。


「しかし、大人気ですな司教様……やはり経年劣化で衰えた肉体を持つ者は御し易い」

「いやいや、キミ、口を慎みなさい……どこで聞いているかわかりませんよ」


 司教はゆっくりと歩きながら、その軽口を嗜める。

 そこに先ほどまでの穏やかな面影はなく、表情から笑みは消えていた。

 冷たい目で遠くを見つめ、口は真一文字に固く結ばれている。


「申し訳ありません……軽率でした……」

「ええ、それで? どういうことです?」

「先の報告ですと、昨夜の試験の折、一匹の検体が暴走……試験官1名を殺害、そのまま失踪したとのことです」

「嗚呼、なんとも無様な……早急に回収なさい」

「は! 承知いたしました!」


 振り返ることもせず、司教は同じ表情のまま指示を出す。

 司祭服の男は、これ以上司教の機嫌を損ねぬようにと、急ぎその場から離れた。

 わずかな沈黙が周囲に訪れる。


「嗚呼! どいつもこいつも! どうしてここまで愚かなのか!」


 周囲に人の気配がなくなったことを確認すると、司教は突然大声で罵声を上げた。

 同一人物とは思えぬほど表情を歪め、怒りを露わに絶叫する。

「使えない使えない使えない使えない使えないぃ! 愚鈍な下等種どもめぇ!」

 憤怒の形相で口汚い言葉を吐き出しながら、司教は何度も強く地面を踏みしめた。





「殿下、ご機嫌斜めですね」

「ぬ? そうかえ?」


 少年の情報をもとに、件の教会へと向かう馬車の中。

 虚な目で外を見ているレミィに対し、向かいに座った騎士隊長が声をかける。

 面倒な解決法を考える必要はないと知ったレミィの機嫌は、そこまで悪くは無かった。

 だが、先ほど再び目覚めた少年から、改めて聞かされた教会の実情……。

 その話はレミィが機嫌を損ねるのに充分な内容だった。

 それは、ハッキリと態度や表情にも出ていたようで……。


「まぁ、あの話を聞けば……お気持ちはお察し致しますが……」

「辺境にまで目は届かん……という言い訳は通用せんのじゃ」


 身寄りのない孤児を力で抑圧し、年齢性別を問わず手籠めにするその醜悪な所業。

 そして更には、怪しげな儀式と薬物を用いた人体実験。

 少なからず、この帝国の領内では許されざる行為であり唾棄すべき悪行。

 “真竜教”と名乗るその邪教徒の連中は、正義の名の下、裁くに値する罪人だった。


 ──予言書が指し示すヴァイスレインの異変というのは、このことかもしれんのじゃ。


「しかし、本当によろしいのですか?」


 独り思考を巡らせていたレミィの意識を、騎士隊長が呼び戻す。


「はやっ? 何のことかえ?」

「いえ、領主に会われる前に、その、教会とやらの問題を片付けてしまって……」

「ふむ……領主の対応を待っておっては、いろいろと間に合わんかもしれんのじゃ」


 まさか、予言書にそう書いてあったからとは言えない。

 今のところは、わがまま皇女の思いつきで行動しているという体裁が一番だろう。


「わかりました。殿下がそう仰るなら、我々は着いて行くまでです」


 そんなレミィの言葉にも、騎士隊長は力強く応えてくれた。


「うむ、心強いのじゃ」


 レミィは満面の笑みで騎士隊長に応える。

 やはり帝国騎士の忠誠は高いようだ。


「殿下、そろそろ……」


 そうこうしていると、馬車の外から声がかかる。

 どうやら、件の教会の近くにまで辿り着いたようだ。

 少し距離を取って拠点を置き、騎士たちにはここで待機してもらうことにする。

 あまり大勢で押し掛けて、下手に騒がれても厄介だ。

 囚われている孤児たちに危険が及ぶ可能性もある。

 レミィは、案内役に少年と、その護衛として1名だけ騎士を連れて行くことにした。


「殿下、今のところ教会の周囲には、見張りも含めておかしな動きは無いようです」

「うむ、偵察ご苦労なのじゃ。もう少し陽が落ちたら動き出すのじゃ」


 斥候の言葉を受け、周辺で円陣を組んでいた騎士たちに向かって指示を出す。

 その横には、曇った表情で教会の方を見つめる少年の姿もあった。


「そう心配せずとも、わらわが全員無事に助け出してみせるのじゃ」

「え!? あ……うん……」


 突然レミィから声をかけられた少年は、不意を打たれ、慌てた様子でそれに応えた。

 そんな少年の様子を横目に、レミィは真剣な表情で教会の方へと向き直る。

 一連の出来事が予言書の指し示す異変というものなのかどうか……。

 それを、確かめる時が来たようだ。





 斥候の情報どおり、森の木々に囲まれた中にある、少し開けた場所。

 東側の大きな村から、馬の足で半日分ほど離れたこの場所に、その教会はあった。

 豪華な煉瓦造りの建物で、中央の聖堂も50人は収容できそうな大きなものだ。

 だが、中に人の気配はなく、明かりも灯されていない。


「聞いた話では、教会の裏手に何かがあるということだったかえ?」

「うん、ずっとそっちに閉じ込められてたから」

「邪教徒の連中もそこに潜んでるかもしれませんね」

「ぬー、それはどうかのう?」


 レミィと少年、そして護衛の騎士は、少し離れた木の影から教会全体の様子を伺う。

 と、外周を囲う塀の付近に、何やら人影らしきものがあることに気がついた。

 どうやらレミィたちと同じように教会の中を伺っているようにも見える。


「あれは、連中の仲間かえ?」

「いえ、あの様子だと、外部の者ではないでしょうか?」

「ふむ……直接聞いてみるかのう」


 言うが早いか、レミィはその人影のところまで一足飛びに近づいて行った。

 少年と騎士は、音を立てぬようその場に控える。

 風の如く、瞬く間にその人影の背後に立ったレミィは、そっと声をかけた。


「貴様は、何をしとるのじゃ?」

「ひゃっ!? ん……」


 できる限り、穏やかな物言いのつもりだったが、相手は飛び上がるように驚いた。

 そのまま大声を上げられそうだったので、咄嗟に相手の口を塞ぐ。


「静かにするのじゃ。わらわは怪しい者では……」


 言いかけておいて、冷静に考えれば、それなりに怪しい気もしてきた。


「……怪しいなりに悪い奴ではないのじゃ」


 人差し指を口に当て、静かにするようにとサインだけは送っておく。

 背後に突然現れた何者かが少女だと気づいた相手は、驚きつつも小さく何度も頷いた。

 それを確認して、レミィは口を塞いでいた手を離す。

 人影の正体はシスターらしき若い女性だった。

 金髪に白い肌の……レミィより少しだけ年上だろうか?

 まだ少し幼さの残った可愛らしい印象……。

 そして、それに相反するかのように完成された豊満な肉体にギャップを感じる。

 だが、なにより一番目を引いたのは、その頭部にある立派な角だろう。

 美しい金髪の合間、耳の上あたりから、一対の羊のような角が生えていたのだ。


「貴様、有角種ホーンドかえ?」


 少し怯えた様子の女性に向かって、レミィはそう問いかけた。

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