岩山田は熱心に遺体を観察した。解剖にまわされる前に少しでも自分の目で見ておきたい。遺体から放たれているであろう何かを、実際に感じておきたい。


 ──不思議だ。こんなに顔もひどくつぶされて、指紋まで焼かれていて、さらに海に捨てられているというのに、強烈な恨みのようなものを感じない。


 岩山田は、オーラや第六感など、スピリチュアルなものは全く信じていない。しかし、いわゆる「刑事の勘」は、確かに存在すると思っている。それは勘というより、おそらく膨大な経験に基づく微かな違和感なのだろう。その微かな違和感が、この遺体にはあった。それが何なのか、まだわからない。でも、「こんなザマ」になるような遺体にしては、きれいなのだ。損傷の具合からすれば、「きれい」だなんて言い難い。しかし、なぜかきれいな印象がある。その違和感の正体を知ることが、この事件の鍵になりそうだ、と岩山田は思った。


 鈴木は、熱心に遺体を観察している岩山田の後ろで、少し目をそらしながら「早く終わってくれ」と願っていた。捜査一課に配属されたからには、グロテスクな遺体にも慣れないといけないのだろう、と頭ではわかっているが、よくそんなにまじまじと見つめられるものだ、と岩山田に対し、新米は少し呆れていた。


「敬二、このご遺体、どう思う?」

「どうって……残虐だな、と思いました。何も、そんな顔になるまでつぶさなくてもいいかと」

「強い恨みを感じるか?」

「そうですね。怨恨かな、と思います。だって、そうじゃなきゃそんなことしませんよね」

「そう思うか?」

「はい。だって、身元を隠すためなら、今どき、顔や指紋を消したところで、DNA鑑定があります。そこまでやらなくても良いのではないかと」

「仮に顔は怨恨の結果だとして……指紋まで焼いたのはなんでだ?」


 これは、鈴木に対して質問しているようでいて、岩山田の独白のように聞こえた。


「お前が言った通り、指紋なんて焼いたところで、DNA鑑定をすれば身元なんて特定できる時代だ。そんな知識もない人間の仕業ということか? それに、顔をつぶしたわりに血痕がほとんど飛んでいない。服がきれいすぎる。これはどういう……」


 岩山田はぶつぶつ言いながらブルーシートの外へ出て行った。鈴木は、ようやく解放された、とばかりに急いで後を追った。薄く白み始めた空に、夏の一日が始まろうとしていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る