第42話 平和な情景

 野菜スープにチキンのソテー♪

 今日はデザートにフルーツのコンポートをつけましょう!


 新鮮な野菜が手に入って、ミレーヌはすこぶる機嫌が良かった。

 心配だらけだった、英雄宅の家政婦生活も順風満帆。

 心配の種だった祖母の健康も、良い状態で安定している。

 これで文句があるなんて言ったら、欲が深すぎるだろう。


 それに。

 チラリと身につけたエプロンを見て、口元を緩める。


 生れて初めてもらった殿方からの贈り物だ。

 たとえその相手が下着でうろつくような奇人変人でも、黙ってさえいれば美丈夫の英雄なのだ。

 ストレートであまりある愛の言葉は、乙女心をくすぐるムードは皆無であっても、やはり心を弾ませてくれた。

 やわらかなタンポポ色のエプロンと髪に編み込んだリボンは、ガサツで大ざっぱなガラルド自身も「実に良い」と、ミレーヌにもわかる言葉で褒めてくれた。

 奇跡である。


 ふんふん♪ と鼻歌交じりに夕食の準備に取り掛かる。

 野菜の皮をむき始めたところで、おーいと呼ぶ声が玄関の方向から聞こえた気がした。


 この声は、ガラルドだ。

 なにかしら? と思ったものの「おーい!」と呼ぶ声が近づいてくるので、なんとなく察した。 


 いつもなら「おかえり」と出迎えるサリが、今日は玄関にいないのだ。

 足が弱いので歩行練習も兼ねた定期健診で、デュランが付き添って医師のところまで出かけている。

 ガラルド自身が「連れて行け」と言ったくせに、誰も出迎えないことにすねてしまったに違いない。

 驚くほどいたせりつくせりの雇主だが、堪え性のなさは普通の子供よりも幼い子供そのままの感覚である。


 ガラルド様ったら!

 ご自分が言い出したのに、本当にどうしようもない人ですわね。


「おーい! 帰ったぞ」


 そんな声が近づいてきたが、無視を決め込んでミレーヌは野菜の下ごしらえに取り組んだ。

 この調子なら放っておいても、台所まで乗り込んでくるに違いない。

 案の定、キィッと小さな音をたてて扉が開いた。

 気配すら立てることなく忍び込めるくせに、足音や扉の開閉音をたてたり、わざとらしいことこの上ない。

 少しだけイラッとしながら気付かないふりをして、作業の手を止めることなく夕食の準備を続ける。

 と、バサリと布が落ちる音がした。


「オイ、脱いだぞ」


 この音はもしかして、と思う間もない宣言に、ミレーヌは自分の額に青筋が浮かぶのを感じた。

 またしても自室以外でパンツ一枚になる気なのだ。

 それもミレーヌの気を引くためだけに、わざわざ服を脱ぐとは。


 台所は女の城だとわかっているくせになんてことを! とふつふつと怒りがこみ上げてくる。

 おもむろに振り向いて、キッとガラルドをにらみつけた。


「……ガラルド様」

「なんだ?」


 ガラルドは短く返し、上半身はシャツだけの格好でフンと鼻を鳴らした。

 ハッキリと怒りを込めた声と眼差しなので、素知らぬ顔をつくっているけれど少し腰が引けている。

 怒鳴りたくなった言葉を飲み込むために、ミレーヌは大きく息を吸って、そして吐き出した。


 なんだ? なんて。

 なんてわざとらしい!

 わかりきったことを言わせたくて、こんな子供みたいなマネをするだなんて。


「もう、わたくしは知りませんから」


 くるりと背中を向けると、ほんの少しの沈黙の後、バサリと新たな音がした。

 どうやらシャツを脱いだらしい。

 気配でそれとわかり、ミレーヌはフライパンに震える手を伸ばす。


 ぐっとフライパンの柄を握りしめ、おもむろに振り向いた。

 期待と恐れの混じった表情で、ガラルドがミレーヌを見つめていた。


 本当に、どこまでもスットコドッコイなんだから!


 確かに顔はいいし、態度も尊大なほど堂々として、英雄らしいとは思う。

 しかし上半身は裸である。

 しょせんはパンツ男だ。


 今はズボンをはいているけれど、最後の砦一枚になるのも時間の問題。

 鋼以上に固く立派に割れた筋肉だから、このフライパンで叩いてもたいして痛くはないだろう。


「ガラルド様、覚悟はよろしいですわね……?」


 ウム、なんてガラルドはうなずいたりしない。

 しかし、フライパンを片手にしたミレーヌは、ガラルドに向かって走り出した。


 当然ながらガラルドは逃走する。

 裏口から飛び出し、二人は中庭に走り出て、恒例の追いかけっこがはじまった。


「あ~またやってる」

「懲りないな、毎度毎度」

「ああいうのを仲睦まじいって言うんだろうよ」

「よせ、聞こえたら殺されるぞ。メシも減る」

「僕、今日はあの人と別行動で、ほんと良かった」


 詰所の窓から中庭をのぞいて、黒熊隊員たちは失笑する。

 いつもならあの二人の間に挟まれて肝を冷やすばかりだったと、恐ろしげに喉元の首輪に触れながらオルランドは、今日のご主人様であるキサルの影から追いかけっこを覗き見る。


 ゴイーン☆ と響く金属音もすっかり耳に馴染んでいた。

 叩きのめされる幸せも、この世にはあるのだ。


 長が倒されても、むしろ微笑ましいと思うのはなぜだろうか?

「平和だねぇ」なんて誰ともなくつぶやく、穏やかな午後であった。



【おわり】


長いお話にお付き合いありがとうございました(*´ω`*)

王都の生活を始めるまでのお話は、ここでいったん終了です。

いくつか他にもネタはあるのですが、物語になっていません。

設定資料のUSBが壊れちゃって脳内にしか構想がない現状…頑張れ私(笑

いつか物語の形になりましたら、またお楽しみくださいませ☆

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今日も黒熊日和 ~ 英雄たちの還る場所 真朱マロ @masyu-maro

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