第30話 嵐の前の静けさ

 月が傾き始めた。

 夜明けがやってくるまで、三時間ほどある。


 あれから数時間、経っていた。

 やっとミレーヌも静かになった。


 オルランドはホッとした。

 うるさいままだと危なくなるから、さすがに気になっていたのだ。

 耳を澄ませても聞こえるのは風の音ぐらいだ。


 普通ならメソメソ泣いたりするものだが、ミレーヌは図太いので寝たのかもしれない。

 夜明けまで時間はあるが、建物に囲まれた中庭側なのでそれほど寒くもないだろう。


 少し前までミレーヌが叫んであんまりうるさいものだから、中庭に人が集まって檻を見上げていた。

 幸いか当然か、誰もミレーヌを解放しに上がってこなかった。

 台所に侵入した半殺しの四人を探す者すらいなかった。

 そっちは「いてぇいてぇ」と今でもうめいているが、しぶとく生きてブラブラと断崖で揺れている。悲鳴で居場所に気付いた者もいそうだが、ずっと放置である。

 よほど死神に関わりたくないのだろう。


 うっすら笑った。

 それが普通の反応なのだ。


 頭は殺って、死神の能力は見せつけている。

 こっちのやることに手出し口出ししなければ、好きにしていいと自由を保障しているから、彼らも最低限しか近付いてこない。

 彼らはオルランドにとって、生きた玩具でしかない。

 フッとミレーヌを思い出して、憮然とする。


 なんで僕を呼ぶかなぁ?


 口の中で文句をたれる。

 悪い奴に襲われた時ぐらい、信頼できる相手の名前を呼べばいいのに。

 ミレーヌはオルランドと呼ぶばかりで、他の名前を一度も呼ばなかった。


 胸がざわついて、落ち着かない。

 物見台の屋根に寝転んだまま月を見ていた。

 屋根と屋根が重なって他からはオルランドの姿が隠れるが、入り口である吊り橋が一番よく見える位置だ。


 その時。

 オルランドはある事に気がついて、ちょっと自分が嫌になった。


 オルランド。

 それを自分の名前だと、すっかり受け入れてしまっていた。


 え~嘘だろ?

 僕、今度からそう名乗るのか?


 ロクな名前じゃないような気がする。

 どこかで聞いたことがあるけど思い出せない。

 なんとなく耳にはしっくりくるけれど、心の中が落ち着かないのだ。


 名前を持つこともだが、オルランドという名の由来が非常に引っかかった。

 あまり日常に関わりのない部類だった気がして、あのお姉さんはとんでもない勘違いをしているのではないかと眉根を寄せた。


 問答無用で命名しておきながら、肝心の由来を間違えるとか、大いにありそうな性格だ。

 死神相手に、かわいいと懐いてしまったり、思考回路もかなりズレている。


 あの思い込みとバイタリティを、もっと別の分野に生かせばいいのに……いやいや、誘拐したのは僕だけどさ。

 本当に変な女を誘拐したと後悔する。


 オルランドって、なんの名前だったっけ?

 う~んと悩んでも、珍しく記憶から引っ張り出せなかった。

 よっぽど日常に関わらない分野に違いない。


 お、と不意に表情を変えた。

 身体を起こす。

 風の音が変わったのだ。

 魔物の匂いがする。


 なんだ~双剣の使徒が、まだここをつきとめていないのに。


 ちょっとがっかりした。

 せっかくカナルディア国内で死神の名を一つ残して、ミレーヌ愛用の買い物カゴを大通りに残しておいたのに。


 ヒントが少なすぎたのだろうか。

 あれっぽっちの情報でも、流派の要ならこの要塞ぐらい見つけてほしい。

 黒熊隊結成からまだ一カ月足らずらしいから、自由師団よりも集団の動きに慣れていないのかもしれないけれど。


 東流派初の精鋭部隊だとの前ふりが先に立ち過ぎて、実は能力のかいかぶりだったのかと、がっかりしてしまう。

 他に間違われるような事件や勢力はないはずなのになぁ。


 そんなふうに考えながら、細い切り立った渓谷を越えて続々とやって来る魔物を見ていた。

 この周辺に群れている輩を集めるためにいくつも罠を張ったが、うまく誘導できたようだ。


 へぇ~とその種類の多さに目を丸くする。

 思ったよりも渓谷近くの森林に巣くっていた魔物が多い。

 街道や大街道には騎士団管理の警備隊や、退魔を生業にする自由師団が活躍しているので、こうした僻地に逃げていたのだろう。


 下の物見台にいた連中も魔物の群れに気がついたのか、ザワザワと騒ぎ始めた。

 吊り橋を上げろと騒いでいるので、フフッとオルランドは笑った。

 遅いなぁとおかしかった。


 吊り橋は手動でしか上がらないし、止め具を壊しておいたから、たくさんの人の手でずっと支え続ける必要がある。

 押し寄せてくる見たこともない大量の魔物の恐怖に耐えながら、どこまで冷静に吊り橋を上げ続けていられるか見物だった。

 想像して、つい笑ってしまった。


 あいつらに何ができるだろう?


 夜明けとともに姿を消す妖物の類もいるが、ほとんど日中も活動する。

 周りが絶壁の要塞だから、魔物がなだれ込んできたら逃げ場もなくなるだろう。

 さんざん犯罪に手を染めているのだから、野盗がどうなるかなんて知ったことじゃない。


 上げろ上げろといくつもの叫びと共に、吊り橋が巻き上げられていく。

 しかし、すぐに「止め具が使えないぞ!」と悲痛な悲鳴が届いた。


 バカだなぁ~今頃気がついてる。

 オルランドはクスクス笑った。

 壊したのは昨日の夜なのに。

 屋根の上からのんびりと観察していた。


 手を離すなとか、逃げろとか阿鼻叫喚である。

 せっかく上まで上がっていた吊り橋が、ガラガラと音を立てて降りていった。

 再び橋を上げることもなく、野盗たちは逃げ惑っている。

 入り込んできた魔物は多種にわたり、犬に似た四足の魔獣や、人の倍はありそうな鬼までいて、まるで博覧会のようだ。


 チェッと肩をすくめた。

 このままでは英雄たちが来る前に、あいつら全員が食べられちゃう。


 ふと、切り立った崖の方角から来る魔鳥の群れに気付いた。

 う~んと悩んで、ミレーヌのいる檻を見た。

 夜明けになったら消える類だが、少し数が多い気がする。

 静かにしていれば大丈夫だが、集中して魔鳥が檻を囲んだら、ほとんど餌状態である。


 そもそも、静かになんてできない性格だろう。

 さすがにそれはあんまりな気もするので、剣豪たちが早く来ないかなと思った。

 まだここに目をつけてないとか、朝を待って探そうとか、警備団か騎士団みたいなぼんくらと同じ感覚でいたらどうしよう?


 少し不安になった。

 檻ごと下に落とされたら、中にいる者も助からない。

 さすがにそれは困ると頭を悩ませた。


 だけど、すぐに顔をしかめた。

 なんであんな口数の多い奇妙な女のことを気にしているのだろう?

 意外な心の動きにギョッとした。


 ダメダメ、考えないようにしなくては。

 食べられちゃっても僕のせいじゃなくて、見つけられなかった剣豪がトロイだけだし。


 でも心配だなぁ。


 フラフラと風に軽く揺れている檻を、しばらくのあいだ落ち着かない気持ちで見ていた。


 かすかな空気の変化に、フイッと渓谷の先を見た。

 魔物の動きが乱れていた。


 よかったと安心する。


 双剣を手にした男が四人見えた。

 魔物たちの間を風のように駆け抜けて、まっすぐにこの要塞に向かってくる。

 行く手を塞いでいるモノは切り捨てているが、他には目もくれずすり抜けて走っていた。


 恐ろしい程に速い。

 常人の目には人と判別できないほどの速度だ。


「へぇ、ここで迎え撃つ気だ」


 思わず感嘆の声をもらした。

 途中で魔物を討伐するような、時間をとられる無駄な行動はとっていない。

 疾風の速度で抜けるので魔物たちが気付いた時は、とっくにその姿はすぎ去っていた。


 オルランドはもっとよく観察するために、見晴らしはよくても自分の姿が目立たない位置へ移動する。

 隠れていても見つかってしまうと、剣豪たちは見逃してはくれないだろう。


 それにしても速いなぁと、オルランドはうっとりと見つめてしまった。

 これほど速い者たちを見たことがない。


 あっという間に双剣持ちは吊り橋までたどり着き、三人が要塞の中に走り込んだ。

 それぞれが別の方向に散っていく。

 合図もなにもなかったのに、申し合わせていたような動きだった。


 要塞の内部に入り込んだ魔物を、風そのままの速度でためらいもなく狩り始めた。

 ご丁寧に襲われていた野盗を保護して、符で結界を作った中に集めている。

 殺傷許可の出ている連中でも、生かす気だとオルランドにもわかった。


 なんだか意外な気がした。

 手にかけてくびり殺すと犯罪者だが、魔物に襲われた者をほったらかしても罪にはならない。

 殺していい者まで保護する理由がわからなかった。

 それが流派の道だとか言いそうだなぁと、人ごとのように予想しながら観察していた。


 魔物を狩る手際も、パニックに陥っている野盗たちを昏倒させ保護する手際も、見惚れるほど鮮やかだった。

 たった三人しかいないのに、一騎当千と評されるのも偽りではない。


 そして。

 要塞の中に入らなかった男を、オルランドは興味深く見つめた。


 しんがりを務めていたひときわ大柄な男が、吊り橋の前で仁王立ちになっていた。

 青白い闘気がその身を包んでいる。

 具現化された気迫が身の内から放たれ、煌々と燃え立つようだ。


 一目でわかった。

 それが、英雄と呼ばれる男の姿だと。

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