第17話 はじめての

 その日。

 フンフン♪ と鼻歌交じりで、ミレーヌは非常に機嫌が良かった。

 天気もいいし、気候のいい時期だから物価も安いし、商品も豊富な時期で選ぶ楽しみも大きい。


 メニューを考えながら、足取りも軽く買い物商店を巡っていた。

 ある程度の目星はつけているが、それでもお買い得品を見つけると心が弾む。

 今日はニンジンが安いわと喜んで、他の野菜もいくつか見つくろい、八百屋に配達を頼む。


 良い買い物ができたと思いながら通りに足を踏み出したが、ひどく驚いた。

 突然、黒い服が目の前に立ちふさがったのだ。


 まばたき一つ分ぐらいの間で、現れたのはガラルドだった。

 均整は取れているが非常に大柄なので、こうして至近距離だと服しか見えない。

 見上げなければ顔も見えず壁と変わりないから、キャーッと叫ばなかったのは僥倖だった。


 ドキドキドキドキ。

 心臓が壊れそうだ。

 驚きすぎて息がつまる。

 少しは落ち着こうと胸を押さえていたら、そんなに喜ぶなと言われてムッとしてしまう。


 あいかわらず、ふざけたことばかり!

 驚きすぎて心臓が止まりかけただけなのに、どこまで自分に都合よく物事をとらえているのか。


 とにかく、信じられないと思った。

 台詞もだが、今まで影も形もなかったのに。

 こんな大きな男がいつのまに現れたのか、実に謎だった。

 とりあえず怒っても意味がないので、憮然としたまま問いかけた。


「どうかなさいまして?」

 どこか険のあるむくれた顔になるのはいたしかたない。


 ガラルドはちょっとひるんだ。

 ああ、とか、うむ、とか珍しく歯切れ悪く言いよどんだ後で、時間が空いたと言った。


「暇だから手伝ってやる」


 あいかわらず、偉そうに胸をそらしている。

 それでもちょっと横を向いているし、なんだか照れているようだ。

 そう思ったもののもう帰る手前なので、ミレーヌは「う~ん」と悩んでしまった。

 手伝いと言われても、頼めることがない。

 結論が出るのは早かった。


「けっこうですわ。卵を注文したら終わりますもの。男手は必要ありません」

 重い荷物は何もないからと説明して卵屋に歩きかけたら、ガラルドはその横に並んだ。

 どうやらついてくる気らしい。


「なら、お前も暇だな? 付き合え」

 パッと目に見えてとても機嫌が良くなったが、ミレーヌは相変わらずねぇとため息をついた。


「まぁ! 私の仕事はこれからが忙しいんですのよ。帰って仕込みをしなくては……」

「仕込みならライナに頼んできた。問題はないぞ。何事にも手順があるとサリが言ったから、それでいいんだろう?」


 大丈夫だとガラルドは胸を張る。

 夕方まではお前を借りることに、ライナもサリも許可をくれたと自慢気だった。


 どうでもいいけどわたくしの都合は?

 そう思いながらも他人に相談したことに驚きが隠せない。

 ミレーヌと2人分の外出許可を得る努力をするなんてすごいことだ。


 常日頃目の前で繰り広げられているものすごく自分勝手な行動が、多少は改善されているから文句はやめた。

 当たり前の行動を取ろうと努力をしているのに、水を差してはいけないだろう。


 まともな長に仕立てるのも、ミレーヌの隠れた仕事だった。

 先日、黒熊隊から依頼する重要任務だとこっそり呼ばれたので、何かと思えばガラルドのしつけを頼まれたのだ。


「貴女が最後の砦だ」


 なんて大仰な! と思ったものの、そこにいた者たちはそろって真剣だった。

 全員が、失敗すれば後のない表情をしていたので、きっとミレーヌにしかできないことなのだろう。


 そんなことを思い返して、ミレーヌは決断した。

 夕食の仕込みはライナに任せよう。

 彼女は調理が苦手な分野なので少々気の毒な気もするが、この際は仕方ないだろう。


「それで……どこに付き合えばいいんですの?」

 う~んとガラルドは頭を悩ました。

「まずは卵か? あの、チーズの入ったのがいい。俺は三食あれでかまわん」


 とろとろのチーズオムレツをいたく気にいって、いつもおかわりまでする。

 これはすごい! と叫ぶ子供のようにキラキラした瞳を思い出して、ミレーヌは思わずコロコロと笑い出してしまった。


「まぁ! それでは身体を壊してしまいます」

 本当に好きなのだろうが、いただけない。

「一日一度の楽しみですわ」と言いながらも、それならチーズ屋にもよりましょうとつぶやく。


「そうか? 岩塩があれば一週間は持つし、携帯食など貧相だぞ。いつも同じだ。それが普通だ」


 定住せず流れている間は、村や町の食堂に入らない限り、乾燥した肉やパンがあれば贅沢だ。

 狩りもするがその辺の草で我慢することもあるので、毎日違う料理を食べられる現在は非常に食事の時間が楽しみだった。


「毎回違うモノを口にするだけでおかしいぞ」

 それを聞いてコロコロとミレーヌは笑う。

「旅先ならわかりますわ。でも、わざわざそんな極端なことをするのはどうかと思いますけど」

 ムウとガラルドはうなっている。


「極端か?」

「極端ですわよ」

「ふぅん、王都の普通とは奥が深いんだな」


 非常に感心しているようだ。

 学業に目覚めたばかりの学生のような顔で、チーズオムレツについてそれがどれだけ素晴らしいか、いろいろと語っている。

 その大きな身体やいかつい顔があまりにオムレツ談話に不似合いだったので、ハイハイとうなずきながらもおかしくてたまらない。

 卵屋に入って注文しながらミレーヌは笑った。


「あなたにはそうでしょうねぇ」

 明るく朗らかなその笑顔をガラルドは不思議そうに見て、まぁなとちょっと赤くなった。

 むずがゆいような照れくさいような、めったに見ない表情になっている。

 けっきょくミレーヌの買い物に最後まで付き合い、ガラルドはついて歩いた。


「ガラルド様、これがお気に入りのオムレツに入れるチーズですわよ」

 チーズ屋の棚でその種類を教えられて、ふぅん、と珍しそうに見た。

「ずいぶんたくさんあるんだな。これほど多ければ、喰い方を知らんと選べんだろう? やっぱりお前は大した女だ」


 棚に並んでいるあふれかえったチーズの種類にガラルドは感心しながら、珍しくまともなほめ方をした。

 初めてまともな感覚で褒められたと、ミレーヌはちょっぴり嬉しくなってしまう。


「剣豪の口に合うなら、もう一つ入れとくよ」

「ええ、お気に入りですの、嬉しいですわ」


 店主からおまけを貰ってミレーヌはさらに機嫌が良くなったが、ガラルドは感謝をのべたもののつまらなそうな顔になった。


「今日の買い物は終わりです」


 振り返ったミレーヌは、まぁなんだか不機嫌に戻っていると首をかしげた。

 店を出て大通りを適当に歩きながら、急に黙ってしまったから変だと思っていたら、不意にガラルドが真顔でこぼした。


「普通に身を置く者で、俺と話せる者はいない」

「またそんなことを!」


 ミレーヌは自分が非常に変わっていると言われているようでムッとした。

 非難の声を上げたら、ガラルドはチラッと視線を向けた。


「なんで怒るんだ? 特別だと褒めているのに」

 その調子があまりに真剣だったので、ミレーヌはいつもと違うので頭を悩ませた。

 褒めているつもりなら、それを求めているのと同じだから、とても重要な話かもしれない。

 くってかかっている場合ではないようだ。


「……特別、ですの?」

 そうだ、とガラルドは言った。


「見ろ、当たり前に道を歩いただけでパンダかコアラだぞ、俺は」

 少しだけ身をかがめて、ミレーヌの耳元で小声で告げた。


 確かに。

 誰もが振り返って、剣豪だとか双剣の盾だとかささやきながら、憧れや畏怖の眼差しを向けてくる。


「頼まなくても施しまである」

 ガラルドは非常に不満げだ。

 先程のチーズのことかと思ったが、それの何が不満なのか今ひとつミレーヌには謎だった。


 そのぐらい、当たり前にしか思えない。

 だから首をかしげるしかなかった。


 だって、本物の剣豪で、伝説を持つ生きた英雄なのだ。

 実際の私生活が最低で、パンツ姿でウロウロするのが当たり前の、どれほどずぼらなスットコドッコイでも、それはまぎれもない事実だった。


「黒熊隊の連中も、騎士団も、国王も、他国の国主どもも、お前たちと違って普通ではないしな。まぁ奴等にはそういう立場があるだけだが。俺は他とは違うことが求められる。わかるか?」


 互角に意見を述べたり会話を交わすのはそういった特殊な連中ばかりだから、流派の長は普通や当たり前など知る機会が少ないのだ。

 そんなふうにとつとつと語った。


 なんだかいつもと違って知的に話を進めているわねぇと、のんびりミレーヌは思っていた。

 それでも要点が今ひとつ飲み込めないのだが。


「まぁ、なんとなくですけど、わかりますわ」


 そのどこかあどけない仕草に、これは絶対にわかっていないとガラルドは思った。

 それでもそこが気にいっているし、ミレーヌのいいところだったので、ガラルドは声をたてて笑った。


「やっぱり細かい話はやめだ。剣豪や英雄ではなく、お前はそのままの俺と話すのがいい。それだけ覚えとけ」


 その率直でカラッとした笑顔はひどく精悍で、ミレーヌはちょっとドキドキとした。

 今の笑った顔はかなりかっこよかった。


「いいか、忘れるな。俺をガラルド個人として話をする普通の人間は、サリとお前だけだぞ。だからお前たちは、俺にとって特別だ」


 ずっとそのままでいろと言われて、はい、と優しく微笑んだ。

 心から素直にうなずいたのは、初めてかもしれない。

 全部が全部わかった訳ではない。


 それでも。

 英雄だという現実は、かなり大変なのだ。


 おぼろげに理解できたミレーヌだった。

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