第16話 そしてため息をつく

 あっという間に時間はすぎていく。

 二週間もするとサリもミレーヌも、ガラルドの私邸にすっかり落ち着いてしまった。


 カナルディア国そのものは大陸の東にあり、愛と平等の国と呼ばれるほど自然が美しい。

 ガラルドが居を構えた王都カナルは、恵みの森と呼ばれる、妖精や古の力に満ちた自然の要塞に囲まれている不思議な場所だ。


 そして、豊かな東の王国の中心に位置する、世界最大規模の都市である。

 都市ごとに色鮮やかな花に満ち溢れ、王都カナルは特に花の都とも評されているし、食物自給率も高いので他国に輸出してもなお物資に満ちていた。


 城門を抜ければ王場へとまっすぐに続く大通りが見事で、登れば小高い山をそのまま利用した王都としての営みが一望できる。

 頂上に王城がそびえ立ち、上から貴族、裕福な商屋、広い公園、公共施設、ふもとに下街が広がっていた。


 石畳が敷き詰められた街並みに、大きな石造りの館が整然と連なっている。

 公園や花壇も公的に整備されて花と緑にあふれ、庭園のように美しい都市である。

 交易に有利な運河も王都内には存在し、都市内部も緻密に入り組んでいる。

 そのすべてが古代遺跡や聖地の力を利用していることは、なぜか公然の秘密だった。


 王都カナルならではの特殊な場所もある。

 魔法街である。

 国王の支配下にあっても、存在は独立していた。

 王都内部に王権と相容れない、独特の神秘の文化を形成しているのだ。


 王都を囲む恵みの森の力が強いうえに、多数の亡命者を受け入れたカナルの自由の精神から魔法街が発達した。

 昼間や表の顔は占いや呪具を売っている、正規の商いの場所だ。

 だが魔法街に一歩踏み込んでしまうと、内偵や盗賊などの裏のギルドが暗躍し幅を利かせる、王都にある異国のようなものだった。

 反目しあうのは賢くないので、他の都市にはない秩序や法が王都内に厳格に整備されたと考えられる。

 そのため神秘の力に畏怖を覚える者も多いが、特異性が目立たないからと古い血を持つ者も自然と集まってくる。


 人口が非常に多いのは、物資の豊かさだけが理由ではないのだ。

 あふれるほどの雑多な人間が日常的に激しく出入りする。

 そのおかげでガラルドが王都カナルに邸宅を構えても、移動民に慣れているからそれほど大騒ぎされなかった。


 王都の民は思考が柔軟である。

 騎士団もいるのに東流派まで抱え込んだのだから、カナルは世界で一番安全な都市になったねと、サラリと流された。

 黒熊隊の者たちが目立たないのも、傭兵の匂いが抜けた立ち振る舞いを覚えた以上に、そういった都市事情が強い。


 目的の一つ。

 常日頃は目立たないけれども、最後の砦のようにこの王都にしっかりと根を張る。

 退魔を生業にしている以上、ひどく難しいことだと考えられていたが、うまくいきそうだ。


「あなたのおかげだよ」

「こうまでうまく馴染めるとは思えなかった」


 なんて。

 日頃からよく喋るデュランだけでなく、飾らないサガンやラルゴにも素直に感謝されて、ミレーヌはひどく感激していた。


 流派の代表を務めるだけあって、みんな年齢以上に大人びている。

 付き合いが深まれば深まるだけ、見えてくる側面が好ましい。

 口には出さないが、目の保養になるほど精悍だし豪胆だし偉丈夫と呼んで遜色ない。

 そのうえ、毎日のように「あなたが来てくれてよかった」なんて率直な言葉で褒められると、非常に気分がいいのだ。


 見栄えが良くて仕事もできる同年代の隊員に囲まれ、ミレーヌ様なんて敬われているのだから、コレで不機嫌になるのはおかしいだろう。

 キャッ♪ と内心は乙女の気持ちで舞い上がっている。


 気になることと言えば、たった一つ。

 最近ではなぜか「ミレーヌ様」と呼ばれていた。

 ただの家政婦なのに。

「貴女は我ら黒熊隊の真の指揮官だ」なんて、おだてられるしまつだ。


 理由は簡単である。

 長であるガラルドを、一撃で倒したから。


 油断していたのだろうが、釈然としない。

 英雄で剣豪のくせに、フライパンの直撃を後頭部で受けるなんてどうかしている。

 出来るだけあの時のバカバカしい状況は、思い出さないように努力しているが、つくづく不思議である。


 そのガラルドはといえば、一歩でも家の外に出れば剣豪の顔になる。

 黙っても喋っても畏怖を醸し出す武人らしいし、渋くて威厳に満ちていた。

 一目で只者ではないとわかる存在感は隠せない。

 遠くから見れば、本当に自分と同じ人間かとため息をつくほど姿が良くて、ついつい見とれることだってある。

 さすが英雄と素直に尊敬の念を抱けた。


 ただ、実情を知ってしまうと幻滅なのだ。

 豪快な性格は、大雑把と同意だった。

 最悪としか表現できなかった。


 とてつもなくずぼらだし、とっぴな行動がほとんどだし、当たり前の常識をガラルドはまったく知らない。

 わざと? と思うほど外している。


 それだけではない。

 最初の日から、挨拶代わりのように朝から晩まで、結婚しろ、結婚しろ、と口癖のように繰り返されて耳にタコができてしまった。

 そのたびにけんもほろろに断るが、まったくこたえていない。

 それどころか「照れる歳か?」とか「じらすのも女の手だしな」などと、ポジティブな誤解をして、まったく懲りない。

 そして相変わらず、アライグマを褒め言葉と勘違いしている。


 思い出してムカッとした。

 やめてくださいと言っても、あの「アライグマ」呼ばわりをやめる気配すらないのだ。

「嫌です!」と断っている意向は、多少なりだが伝わっているので、無理強いがないのは幸いだった。


 おまけに。

 三日に一度は花街に足を運ぶ上に、わざわざ「行ってくる」と伝えに来るバカである。

 馴染みを作らなくてはいけないが俺にはお前だけだとか、ミレーヌには理解できない理屈を声高に語ってくる。


 隠すとか、ぼかすとか、そう言った気遣いすら皆無である。

 仕事だからいいんだと言いきって、ドーンと胸を張っていた。

 もう、ガラルドにかける言葉も思いつかない。

 それでいて、それなりに嫉妬深いらしい。


 先日のことだ。

 サガンたちに遠征先で清潔感を保つ、洗濯講座をしていたときのことである。

 扉に張り付いて、聞き耳を立てていたらしい。


「何をしている!」

 突然、バァンと扉を開けて、飛ぶ込む勢いで登場した。

 あんまり大きな声だったから、洗っていたシャツを手に握りしめたまま、ミレーヌは驚きすぎて固まってしまった。


「なんだ洗濯か、人騒がせな」

 一人で勝手に納得したのか、ブツブツ言いながらクルリと背を向ける。

 肩を怒らせてドカドカとすぐに出ていったので、訳がわからなかった。

 あれはなに? と謎に思っていたら、サガンたちが一斉に大爆笑した。

 ヒーヒーと腹を抱えて笑い転げながら、その理由を教えてくれた。


「あのそこは……とか、いけませんわとか、もっと優しくしてとか言ってただろ?」

「あのバカ、ミレーヌ様の甘い声に花街を思い出して妬いたのさ」

「俺らが集団でイケナイことをしていると勘違いしたんですよ!」

 それだけ説明すると「もうダメだ、笑い死ぬ」と腹を抱えて、洗濯どころではなくなった。


 ありえない。本当にどうかしている。

 想像が下品すぎて、軽蔑してしまった。

 そんな調子で顔を合わせればケンカしてしまう。

 なのにケンカができたと、ガラルドだけは実に満足そうな顔をしている。

 そこがお前のいいところだとか、自分ひとりで納得しているのが腹立たしい。


 なにを言っても通じない。

 だからイライラしてしまうのだ。

 ミレーヌ自身はストレスがたまり続けている。


 どうしてあれほど変わっているのだろう?


「それが英雄なのさ」


 そんなふうにデュランが説明してくれた。

 それがどういう意味か、ミレーヌにはよくわからなかった。


 英雄なら、もう少しピシッとして欲しい。

 世界中の人の憧れと期待を背負っているのに。

 本物のバカじゃないのかしら?


 ただ一つだけ、心からガラルドに感謝できることがあった。

 問題としては、コレしか感謝できることはない。

 サリを非常に大切にしていた。


 先日はいきなり揺り椅子を土産だと持ち帰った。

 居間を兼ねている食堂の、自分のスペースの横に置くとサリを座らせた。


「実にいい。福招きの猫台にピッタリだ!」

 なんてご満悦なぐらい、気持ちの中心に置いていた。


 縁起物と同じ扱いはどうなのかしら?

 そう頭を悩ませたが、陽のあたる場所で編み物をしているサリは、確かに福招きの置物のようだった。

 本人が幸福そうなので、これでいいのだと思う。


 ガラルドは少しでも暇があれば、サリサリとそれこそ子犬のように、家の中でくっついていてまわっている。

 それだけではなく、耳の遠いばあさんの語りに辛抱強く付き合っていた。

 短気で辛抱がまったくできない日常が嘘のようだ。

 孫のミレーヌにもできない芸当だった。


 会話の内容は、ミレーヌが聞くと要点が飛びまわって、まったくかみ合っていない気がするけれど。

 ガラルドは奥深そうな顔をしてうなずいていることが多いし、サリは子供を相手にするように、頭をはたいたりなでたりしていた。

 それはどこかほのぼのとしていて、昔語りをねだる子供と、その相手をするおばあさんの図にしか見えない。


「薬師の能力は使わなくても、経験を生かして全身全霊でしつけをしてる最中だからそっとしとくよ」

 などと、隊員たちも仕事よりも、二人の会話を優先して見守っているようだった。


 ミレーヌにとっては謎だったが、サリは隊員たちからも尊敬されていた。

 人生経験が豊富だから、というだけではないらしい。


 どうしてですの? と聞いたこともある。

 だが、尊敬に値する方だからだよ、としか教えてもらえなかった。

 古い血の影響を受けないミレーヌには、なんのことかまったくわからなかった。


 サリの影響なのか、少しはガラルドに変化があった。

「行ってくる」とか「帰った」とか、必ず誰かに声をかけるようになった。

 確かに花街に出かけるとき、ミレーヌまでわざわざ報告しにくるくらいだから、仕事でかかわる隊員たちにもマメに行き先を伝えているらしい。

 不意に姿を消してしまうような気まぐれな行動がなくなったと、みなが喜んでいた。


 それだけではない。

 とりあえず食事時間は守るし、横になる時は自分の部屋に入って休むし、中庭や玄関のソファーでグーグー寝ることも減っている。

 ミレーヌから見るとまだまだ目に余るところが多いのに、これでも規律正しい人間になっているらしい。


「お二人は猛獣使いだ!」

 満面の笑顔を浮かべ隊員がそろって喜んでいたので、今まではそうとう気ままに自分の考えだけで動いていたのだろう。


 制御の利かない猛獣扱いされる流派の長ってどうなの?

 実力はともかく、長としてまったく役に立っていない存在なのでは? などと思ってしまう。


 だけど非常時においては決断力も判断力も行動力もあって、第三者の視点に戻れば頼りがいもある。

 ガラルドという男、非常に魅力のある人物なのは確かだった。


 つまりガラルドは不確定要素が多すぎて、ミレーヌには判定不可能なのだ。

 確かにむかつくことも多いし、噂と現実の落差にも驚愕する。

 惚れたはれたにならないが、連日のように率直な求婚を受けると、年頃なのでそれほど悪い気はしない。


 素直にうなずく気になれないのが残念だけれど。


 ハァァ~とミレーヌは長いため息をついた。

 もっとまともになってくださればいいのに。


 そんなことを思いながら過ごす毎日である。

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