夏の音が聞こえる

日出詩歌

夏の音が聞こえる

 空には花が咲いていた。

 幾星霜の青い光が円を描き、外側に向けてぱっと大きく広がっていく。

 それがくるりと横に向きを変えたかと思うと、真ん中から膨らんで地球儀を形作った。地球儀はそのままくるくると縦横に回りだす。

 行き交う人の群れの中、満は立ち止まって空を見上げる。

 そういえば今日はドローンショーをやっていた。何の為にやっていたかは、思い出せない。

 代わりにふと、あの男の事が気掛かりになった。突然家にやって来てこの空を破壊しようとした妙な男。彼は今、どうしているのだろうか。何事もなくひっそりと今日を過ごすか。それとも、無意味なテロリストになるのか。何故か不安が心をよぎる。

 彼が見守る空には変わらず、規則正しい星が舞っていた。



 男が家に現れたのは、2、3週間程前の事だった。

 時計の針が12時を回った頃、ドアのチャイムが鳴った。誰だろう、とインターホン越しに相手を見る。相手は60代後半くらいの、知らない壮年男であった。そして彼は画面越しにいきなりこう言った。

「俺ぁここいらに住んでるモンだけどよ。兄ちゃん、ギッパー持ってるだろ。今暇なら、ちょいと作って欲しいもんがあるんだが。謝礼はちゃんと払うから」

「はあ」一瞬ぽかんとして訝しむ。

「何でウチに?」

「俺の知り合いにゃギッパー持ってる奴が居なくてな。そしたら偶々ギッパーのある家を見かけたもんで、ちょっくら作ってもらおうと思った」

 成る程、満は休みの日になると家のガレージのシャッターを開けてギッパーを使って趣味の金属加工に勤しむ。それがこの男の目に留まったのだろう。しかし幾ら何でも全く知らない人間をいきなり訪ねて、作ってくれなんて言う事があるだろうか。

「業者に頼む事は出来ないんですか」

「それが、業者じゃ取り扱ってくれないもんでな」

 男のもどかしい表情に一応納得する。それから、まあ暇だしいいか、と満はドアを開けた。 

「これ設計書ね」

 満はガレージに男を通すと、彼から分厚くて古い紙の本を渡される。ぺらぺらと捲ると、その内容を見て満は目を見開いた。

「これ……爆弾じゃないですか」

「ただの爆弾じゃない。そいつは花火だ」

 聞き慣れぬ言葉に、満は聞き返す。

「ハナビって何ですか」

 すると男は深く嘆息した。

「最近の若い人は花火知らないか。見せ物の爆弾だよ。ひゅー、ばーんってな。夜空に綺麗な火がぱっと散るのよ。俺がガキの頃は夏といえば花火だった。大会も全国どこでもあったし、その度に祭りが開かれて出店が沢山並んだもんよ」

 男の顔が何処か過ぎ去った遠くを見つめている。

「それを発射する筒を俺に作れって事ですか」 

「ああそうだ。なかなかやりがいある仕事だろ?業者に頼むとさ、今の時代検閲が入って多分バラバラにほぐされちまう。そうでなくても歴史的史料として博物館に保管されんのかもしれねぇ。一生役目を果たさずにな。それだけは避けてぇ。親父の遺品だからな、絶対に打ち上げるって決めてんだ」

「へぇ……」歴史的史料か。そんなに貴重なら売れば儲かるのに勿体無い。

「因みにこれ、何処で発射するつもりなんです」

「何処って……今度ここいらでやるドローンショーでだよ」

 男は決まりが悪そうに言った。

「そこでこれを使って、ドローンショーを潰す」

「潰すって……」満は絶句した。 

「さっき俺の親父が死んだって話したろ?あの花火玉は親父が作ったんだけどよ。俺がお前さんより若かった頃に自分で首吊って死んじまったのよ」

「どうして……」 

「ドローンの方が花火より簡単で便利だからだよ。花火ってのはとにかく手間が掛かる。火薬作んのも花火作んのも花火打ち上げんのも。それよか手間も人も危険も少ない方が便利だろ?あっちの方に人が行ったから、花火はすっかり廃れちまったのさ」

 男は忌々しげに舌を打つ。

「親父の誇りも、ガキん頃の思い出も、あれに全部取られた。あれが無けりゃ親父も死ぬ事は無かったし、花火も消える事は無かった。俺はな、時代だから、古いから、そんな理由で他人の人生奪ったり伝統が忘れ去られるのが許せんのよ。それが仕方無いで済ませられていい訳が無ぇ。俺ぁ親父が守ったもんはどうしようもねぇガラクタだったって、そんな風には思いたくねぇんだよ」

 感情的になったからか、男の顔は真っ赤になっている。

 しばし考えて、口を開いた。

「わかりました。但し条件があります」

 満の言葉に男はばっと目を見開く。

「もしやるなら、誰も邪魔しないところでやって下さい。ドローン飛ばしてる人だって、観てくれてる人に喜んで貰おうって頑張ってるんすよ。それと、俺の憶測でしかないっすけど」と、付け加える。

「ハナビって多分楽しむ為にやるもんだと思います」

 男は少し間を置いて呟いた。

「……そうだな。お前さんの言う通りだ。ちょっと頭が冷えた。どっか邪魔しないところで打ち上げる」

「ええ、それが良い」

満は頷くと、ギッパーのパネルを操作してステンレス板を投入口に入れる。

 その完成を待つ間、満はじっと考えに耽る。

 こんな古いものの、何処に価値があるのだろう。

 ハナビは時代に敗北した。ならば勝ち残った方がより優れていて、負けたものに価値などもう無い。そうではないだろうか。満はハナビなんて知らない。それ故、どれほど力説されようとも、どうしても古臭いものだと思ってしまう。このハナビもやったところで何かが変わる訳でもない。単に、懐古に浸る男の自己満足に終わるのだろう。

 それでも引き受けたのは、きっとハナビを語る男の顔が、子供のように眩しかったからかもしれなかった。

 やがてピーと音が鳴って、ギッパーからコロンとステンレスの筒が出力される。 

 満は男に筒を手渡した。

「あんがとな兄ちゃん。それじゃ」

 男は財布から札を数枚取り出すと、満に押し付けて満の家を去って行く。その後ろ姿を、満は止める事は出来なかった。

 何故ならその時に見た男の眼は、諦めなど微塵も無い、何かを決意した眼であったからだ。



 隊列を組んでいたドローンの瞬きが、一つ、一つと消えていく。

 ショーは何事もなく終了した。

 爆破騒ぎが起こる事も無ければ、乱入者が現れる事も無い。

 空を見上げていた人の群れはぞろぞろと空に背を向け、満の横を流れていく。

 それに倣って満もまた、踵を返した。

 その時。

 背後から空を割く音を聴いた。

 振り返ると、一筋の光が天高く、真っ直ぐに伸びている。周りの群衆も足を止め、何事かと口々に騒ぐ。

 そして一縷の光はふっと闇に溶ける。

 次の瞬間。

 夏の合図がした。

 力強い音が身体の内側までずしりと響いて、遥か彼方に消えていく。

 紛れもなく爆弾の音。その筈なのに、不思議なくらい鮮やかで、何故だか昂揚感が湧き上がってくる。その音に混じって、満は聴こえる筈の無い音を聴いた。

 夏を彩る、人々の歓声を。

 満は、男が去り際に言った事を思い出した。

「お前さんの頭に無くったって、古いもんの価値が無くなった事にはならねぇ。だから空を観てろ」

 夏の音を聴かせてやるよ。

「これが、夏の音……」

 眩しいほどに咲く夜の花は、幻の如く一瞬にして散った。隆盛が衰退するかの様に、花火の音は遠くへ消えていく。辺りにはいつもの雑踏が戻りつつある。

 それでも満の耳には夏の音がずっと残り続けていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夏の音が聞こえる 日出詩歌 @Seekahide

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る