第5話 終わりと始まり⑤

 友人と出会えたので心が安らいだのかもしれない。余裕が出来た私は現在の状況を整理すべく、ココノアちゃんとこれまでの経緯について話し合うことにした。NeCOのサービス終了を迎えた日に不思議な夢を見た話や、タイニーキャットとの出会いと別れ、そして"メル"の体で目覚めた事――どれも日本で話したら精神疾患を疑われそうな内容ばかりだったけれど、ココノアちゃんは呆れもせずに付き合ってくれている。どうやら彼女の方も似た体験をしたようだ。


「ふーん……大体流れは同じってとこかな。うちもメルと同じよ。駄ネコに無理やり連れて来られたから」


「駄ネコって……お名前で呼んであげましょうよ」


 駄ネコ、というのは一部のプレイヤーがタイニーキャットを呼称するときの蔑称だ。タイニーキャットは見た目こそ愛らしいマスコットではあるけども、ログインボーナスと称して所持枠を圧迫する微妙アイテムを強制的に渡してくるので、そういう風に呼ぶ人は少なからず存在する。


「それにしても、そっか……はそうなるわけね」


「はい? 私がどうかしましたか?」


 本名じゃないはずの名前に返事した後、少ししてから驚く私。10年近い付き合いのおかげだろうか。不思議とメルの名前で呼ばれる事に違和感が無かった。これならこっちの生活でも不便はなさそうかも。

 そんな風に思いつつココノアちゃんの顔を見てみると、彼女の視線が私の足元から頭の先に向かって上下している事に気づいた。一体どうしたんだろう。


「正直なとこ、NeCOだとそのキャラは属性盛りすぎてちょっと感があったんだけど、こうして見ると結構可愛いかったんだなって。ロリ体型の癖になんか妙にムチムチしてる気はするけど」


「うわキツ!? ムチムチ!?」


「その尻尾って本物なの? どこから生えてるんだろ」


 そう言ってココノアちゃんが私の腰を指さす。尻尾なんてあったかなと思い、上半身を撚って背中側を見てみると、たしかにピンク色の毛で覆われた尻尾がワンピースの下の中から伸びていた。今まで視界に入ってなかったのもあるけど、あまりにも自然な感覚すぎて気付きもしなかったようだ。


「意識した途端、お尻のあたりがムズムズしてきました……尻尾があるってこういう感じなんですね!」


「なんですね、って言われても分からないっての。うちはエルフなんだから。獣人ってもっとこう、顔とか腕が毛だらけのイメージを持ってたけど、耳と尻尾だけなら日常生活に支障なさそうで良かったじゃない。それにしても、同じ種族だったうちとメルで差があるのが謎よね。やっぱりNeCOで選んだ装飾品が見た目に影響してるのかな」


「影響、ですか?」


「アバターに付けてたアクセサリが反映された種族になってる、ってこと。ほら、うちにはこの耳がついてるし」


顔を傾けて、長くて尖った耳を私へ向けるココノアちゃん。それは付け耳なんかではなく本物の耳だった。目を凝らすと皮膚の下を走る薄い血管まで見える。


「触ってみていいですか?」


「いいけど……変な触り方はしないでよね。そういうのあんまり慣れてないから」


「分かりました。優しく撫でるだけにしておきます♪」


 承諾を得た私は彼女の耳にそっと指を乗せた。スベスベして手触りの良いそれは、子供特有とも言える体温の高さと柔らかさを併せ持っており、ココノアちゃんの一部である事がすぐに分かった。私の猫耳と同じだ。

 尖ってる先端部分がどんな感触なのか気になったので、さらに指先を這わせる。でもこれは流石にやりすぎだったみたいで、小さな唇から熱っぽい吐息が漏れた。


「んっ……そこは結構敏感なトコなの! だからこれ以上触るのは禁止!」


「ご、ごめんなさい!」


 すぐに手を離して謝ったけど、ココノアちゃんは恥ずかしそうな表情を浮かべて目を逸らしてしまう。なんだかちょっと気不味い雰囲気になっちゃったな……でもこうして再会できたからには、NeCOが終わった時の後悔を繰り返すつもりなんてない。私は彼女との距離をもっと縮めようと密かに決心した。


「さてと、そろそろ話を戻すわよ! まず状況の整理からね。ここは駄ネコが言ってた通り、地球じゃない別の世界だと思う。で、うちらはこの異世界とやらを救うためにNeCOのキャラクターの身体で送り込まれた……そこまでは大丈夫?」


「はい、同じ認識です。もしかしたらレモティーちゃんやリセちゃんも、どこかにいるかもしれませんね! 今から探してみませんか?」


「そりゃ他のプレイヤーがいる可能性はあるけど、まずはうちらだけでどうやって過ごすかを考えるべき。さっきみたいな連中が現れても魔法で何とかできるけど、住む所や食べ物だって確保しないといけないわけだし……」


「あっ、そういえば魔法! 魔法ですよ! ココノアちゃんはどうして魔法が使えるんですか? 私は全然ダメだったのに」


 ココノアちゃんは現実的な心配をしてたけど、私としては魔法を使う方法が気になる。スキル名を叫ぶだけではダメだったのに、彼女は立派に魔法を放ってみせた。


「スキルの発動条件が知りたいの? 別に難しく考える必要なんてないわよ。ただイメージが大事なの、イメージが」


「イメージですか……」


 教えてもらった内容を反復する。確かに、ならず者を吹っ飛ばした時は頭の中で"メル"のモーションを鮮明に想像した。その結果、踏み込む時の軸足や拳を突き出す時の肩の角度、それに力の入れ方まで……全て考えた通りに動く事が出来ている。運動神経の悪い私があんな素早くパンチを出せたのは、まさにイメージの賜物だった。

 でもどうして想像した事が現実に反映されるのだろう――その疑問に1つの答えを示してくれたのは、他でもないココノアちゃんだ。


「NeCOには"想いの力"っていう要素があったでしょ。何かを願ったり、望んだりした時に不思議な能力を引き出せるアレ、こっちでも有効みたい」


「なるほど……だからイメージが大事だったわけですね」


「ま、制約はあるし万能って感じでもないみたいよ。例えば空を飛んだりしたいって思っても無理だし、他のジョブでしか習得できないスキルを再現しようとしても無理。あくまでこのキャラで使える能力じゃないとダメなの」


「凄いですココノアちゃん、もうそこまで色々把握してるなんて……!」


 素直に感心した。彼女もここへ来て間もないはずなのに、異世界の法則を掴みかけている。頭の回転が速いって言葉は、きっとこういう人のためにあるのだろう。


「べ、別に凄くはないし。色々試してたらそれっぽい答えに行き着いただけ。あとイメージだけじゃなくて、対象の指定も大事なの。NeCOでもタゲとってないと魔法は発動しないでしょ」


 "タゲ"というのはターゲットの略称で、指定対象を指す単語だ。ココノアちゃんは自らの発言を証明してみせるように、少し離れたところにあった石へ視線を移した。


「あの石ころ、攻撃魔法で壊してみるからちょっと見てて。まずは対象にしたい相手をしっかりと視界に捉えるの」


「結構大きいですよ、あれ……!」


 石というよりも岩と表現する方が適切な気もする。遠近感で一回り小さく見えているだけで、近寄れば私達の背丈よりも大きそうだった。しかもゴツゴツしてて頑丈そうだし。


「さっきよりもスキルレベルを上げて撃つから、普通に壊せるはず。魔法の光弾エナジー・ショット!」


 スキル名に呼応するかのように、ココノアちゃんの人差し指から小さな光弾が放たれる。術者の狙いから1ミリも逸れずに真っ直ぐ飛んでいったソレは、いとも簡単に岩を粉砕してしまった。壊れたガラス細工のように粉々になった黒い破片を見ると、その威力がどれほど強かったのか分かる。


「す、すごいっ……!」


 現実世界ではありえない、"本物の魔法"。それを目の当たりにした私は、言いようのない興奮を抱いていた。岩が砕かれた時に響いた音がまだ耳に残っており、耳の奥がビリビリする。それがまた眼前の光景に現実味を帯びさせてくれた。


「初級魔法でこの威力って事は……上級クラスの魔法を本気で撃ったら、地形が変わっちゃうかもね」


「流石、魔道を極めし者フォースマスターです……!」


 ココノアちゃんの習得ジョブは魔法使いスペルユーザーに該当する。魔法を専門とする職業はいくつかあるものの、高威力の無属性魔法を得意とするのがフォースマスターの特徴だ。

 そして彼女のステータス構成……もといステ振りは魔力と器用さに特化しており、高威力の魔法スキルを短時間の詠唱で放つ事ができる。大魔法の乱れ打ちで大量のモンスターを殲滅するその姿は、まさに火力砲台と呼ぶのに相応しい。ただ、ずっと隣でその姿を見てきた私には少し引っかかる部分があった。


「今の魔法、詠唱から発動までの間がほぼなかったように見えました。やっぱりゲームと仕様が若干違うのでしょうか?」


「良い所に気付くじゃない。出が早い初級魔法でも無詠唱にするにはバフを色々使わないといけないから、素撃ちじゃ絶対無理。それでも詠唱時間が無いのはエルフの体になったおかげかな?」


「あーっ、確かにエルフさんって魔法が得意なイメージがあります!」


 創作物でしか知らないけど、エルフ族は魔法に親和性のある種族として描かれる事が多い。もしこの世界に存在する様々な人種にそういった"特性"があるのならば、NeCOのアバターに何らかの影響があってもおかしくはないはずだ。

 ちなみにNeCOではエルフや獣人といった種族は存在していない。プレイヤーが選べるのは人間族、天使族、悪魔族の3種族だけだった。しかもその3種族は微妙に初期ステータスの配分が異なったり見た目が違ったりするだけで、キャラクター性能という面では大きな差がない。私とココノアちゃんは天使族のキャラクターをベースにしてたのでアバターには天使の輪っかや翼が付いてたものの、魔法職に有利な補正は一切無かった。


「次はメルの番。試しに、あそこで伸びてるおっさんへ回復魔法を掛けてみなさいよ。起き上がってきたら効いてるって分かるじゃない」


「えっ、大丈夫でしょうか? もしまた襲ってきたりしたら……」


「その時はまた気絶させりゃ大丈夫だって。ほら試してみて」


 ココノアちゃんに背中を押された私は、ピクリとも動かない暴漢の1人に歩み寄った。彼は魔法で吹き飛ばされて以降、横になったままだ。茶色い革製の鎧に包まれた胸板が上下しているので息はある。体力を回復させる魔法を使えば目を覚ますかもしれない。相手が快復するビジョンを頭に浮かべつつ、私は初歩の回復魔法を詠唱した。


肉体治癒ヒール!」


 スキル名を口にした直後、足元の男性が淡い光が包まれた。NeCOで何万回と見た回復魔法のエフェクトだ。ココノアちゃんのアドバイス通り、イメージさえ固めれば魔法を使えることが分かって、私は途端に嬉しくなる。


「……ん? なんでオレはこんな所で寝てるんだ? 確か、亜人の子供を見つけて……」


「目が覚めましたか? あなたはココノアちゃんの魔法で気を失ってたんです。ここに残ったのはあなた1人だけなので、ここは穏便に話し合いを――」


「勝手な事を言ってんじゃねぇぞ! 兄貴達がオレを置いて逃げるわけがねぇ! さてはあの銀髪の男エルフと結託して、オレらを罠に嵌めやがったな!」


「えっ、罠!? いや、そういう事じゃなくて……!」


 混乱しないよう、丁寧に説明してあげたつもりだった。でも彼は問答無用とばかりに腰の鞘から刀剣を引き抜く。鈍く光る銀色の切っ先はこちらへ向けられており、血走った目付きには強い殺意が籠もっている。しまった、と思った時には遅かった。


「メル、そいつから離れて!」


「まずは獣人、お前から殺してやるよッ!」


 ココノアちゃんの声と怒号が交差する。刃渡り80センチ近い刃物が迫ってくるけど、"メル"の動きを新たにイメージする余裕は無い。恐怖で思わず瞼を閉じかけた瞬間だった。


「お前で最後の1人だな。身の程知らずにも俺の領地で好き勝手してくれた愚か者は……」


 唐突に降り立った人物が私と暴漢の間に割って入る。そして予備動作も無しに氷雪の嵐を引き起こす魔法を放った。キラキラと光る超低温の冷気に包まれ、暴漢は刀剣を構えたまま氷像と化す。鮮やかとしか言い様のない手並みに目を奪われていると、後ろからココノアちゃんが走ってきた。


「注意して! アイツかなりヤバイよ」


 危ないところを颯爽と助けてくれた人影――深い真紅のローブを纏った青年を尻目に、ココノアちゃんと合流する。男性は絵に描いたような美形で、思わず溜息が出そうになる程だった。上品に整えられたオールバック風の髪型は銀色に染まっており、とても日本人には見えない。非の打ち所がない整った目鼻立ちなんて、少女漫画の登場人物みたいだ。

 私は初めて生で見た本物の美男子にドキドキしつつ、こういう時はお礼を言った方が良いよね、などと呑気に考えていた。でもココノアちゃんの顔はさっきからずっと険しい。その理由は振り返った彼の言葉で判明した。


「お前達……この地で生きる民ではないな。感じる魔力の質が根本的に違う。どこの国から来た? 返事次第ではをせねばならん」


「見ての通り、絶賛迷子中の子供よ。別に怪しくなんて無いでしょうが」


「ふむ……人さらいに遭った、というのであれば同情の余地はあるか。亜人の売買を許す国が存在するとはいえ、この国においては違法だからな。しかし昨今の情勢を考慮すると、お前達が王国に災いをもたらす火種になる可能性も捨てきれない。悪いが俺と共に来て貰うぞ」


 眩しい銀髪に加え、長い耳を持った青年は私達に対しても警戒心を露わにする。何を疑われているのか分からないけど、肌をピリピリと刺すような威圧感は本物だ。こちらの言い分が通じそうな雰囲気じゃない。氷漬けにされる前に逃げるべきかも――そんな選択肢が脳裏を過った直後、ココノアちゃんが私をかばうように前へ出た。


「そっちがその人攫いじゃないって証拠はどこにあんの! というか何者なのよ、アンタ?」


「俺は……いや、今はセロという名だけを答えておこう。子供相手に手荒な真似はしたくないが、抵抗するのならば力づくで連れて行くまでだ」


 セロと名乗った青年は冷たく光る青い瞳をこちらへ向ける。緊迫した空気が漂う中、私は戦う覚悟を決めた。"メル"ならココノアちゃんを絶対に守るだろうし、私自身もそうしたい。そして、そのための力はこの拳に宿っている。

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