第12話 イウォンク・イウォンカー
レンの魔法で包まれた青いドームの中はとても居心地が良かった。強風も、雨も、不安を煽る音すら侵入を許さない。
絶対的な安心感。
ずっとここに、留まっていたい気分。
に、なってはいけない。
私は。
私だけは。
最初の集団をドームまで送り届けると、私はすぐに駆け出した。
ぴったりした布が邪魔で、2つに裂いた。
ぎゅっと結んで、内股を隠す。
これで、だいぶ走りやすい。
まだ助けなきゃいけない人たちがたくさんいる。
まだ怖がっている人たちがたくさんいる。
私は視界の悪い被災地を走り回った。
強い風が街を吹き荒らし、道の上まで巨大な波が押し寄せていた。打ち上げられたメザシが5尾つらなったまま跳ねていた。
窓は割れ、看板は飛び去り、建物は崩れ、灯りは火事の現場だけになっていた。
震える人々を見つけ、説得し、先導する。
青いドームまで送り届けて、また次の捜索に駆け出す。
悔しかった。
力がないことが悔しかった。
ひとりで何もできないことが悔しかった。
ドームに到着する前に、風に吹かれて行方不明になってしまったひともいた。雨に打たれて崩れ落ちるひともいた。
私には力がない。
安全地帯まで誘導することはできても、魔法は使えない。
このひとたちを、守ってあげられない。
住人の中には私と違って、少しは魔法を使えるひともいた。
でも、完全に災厄から身を守れるひとなんて滅多にいない。
レンやゴクコクみたいな魔法使いは、稀なんだ。
落雷を免れた家に閉じこもって耐えようとしているひとたちもいた。
いちばん骨が折れた。
駆けつける頃にはたいてい、家は半壊して、雨水が入り込んで、洪水になっていたから。
家の中が海になっても、みんな必死に生き残ろうとしていた。首まで水に浸かりながら。テーブルや机を使って浮かんで、壊れた家具を使って風から身を守った。
みんな、生きたがっていた。
絵画や彫刻も、溺れたようにあえぎながら浮いたり流されたりしながら。
彼らを救うべきかどうかも悩んだ。物なのか、生物なのか、判断が微妙だった。
悩んだ挙げ句、掴めるだけ掴んでドームに放り込んだ。
風の音が爆発するみたいにうるさくて、上空を振り返る。
台風がばちばちと電流を飛ばしていた。
しっぽが大きく揺れて、強風を巻き起こしている。
女王は無事だろうか。
レンは。
首を振って、私はまた走る。
走り回れるところは全部走って。
走って、走って、走って。
何度目かの往復で、息切れしながらドームの中に崩れ落ちた。
髪の毛、ぐしょぐしょ。乱れすぎ。
ブラウスも着物も泥まみれ。汗と泥水が混じった匂い。臭い。
靴と泥の境目がわからない。手は、傷だらけ。
疲れと痛みに満ち溢れていた。
女の子台無し。
それでも、構わない。
私は、王女なのだから。
女王に、なるのだから。
立たなきゃいけない。誰よりも強く、誰よりも頑張らなきゃいけない。
萎えそうになった膝に、力を込める。
ぷるぷる震えたけど、なんとか立てた。
女の子なんていらない。国民のために動くんだ。
そう意気込む私の前に、小さなシャボン玉が差し出された。
淡く光を放って、妖精のように揺れている。
シャボン玉よりも、小さな手の平。
女の子が、泥に塗れた顔で笑っていた。
「おーじょさま、あげる」
屈託のない声色で、そう言う。
私はシャボン玉を、指で摘んで受け取った。
ドームの青い光にかざすと、笑うように歪んだ。
「ありがとう。これなあに?」
私は女の子に訊く。
「キャンディだよー。おーじょさま、知らないの?」
キャンディ? このぷるぷるが?
食べるの、これ。食べれるの、これ。
小さく当惑する私をよそに、女の子は期待の目で見つめている。
私は指で摘んだまま、シャボン玉を口に入れた。
口に入れた途端、ぽん、と弾けて。
甘い香りが広がった。
「王女様、どうぞご無理なさらず」
若い男性がひとり、女の子の後ろに現れて言った。
「お陰様で、これだけの住民が集まったのです。もう大丈夫です。ひとりで頑張りすぎんでください。捜索と誘導は、我々でもできます。あなた、ぼろぼろだ。一回休んでください」
私は若者の提案に、うなずいた。
でも、休んでいられるはずがない。
「ありがとう。では、私は私のするべきことをしてきます」
少しだけ息が整うと、私は海姫の波舞を見ていたステージへ駆け出した。
レンが防御壁を展開する場所へ。
女王が台風を食い止める場hそへ。
若干、雨脚が弱まって感じる。レンの壁が、完成に近づいているのだろうか。
先ほどの男性の心強い発言も相まって、私の胸中は不安から希望へと変化しつつあった。
血まみれの女王の姿を、見るまでは。
右腕が真っ黒に焦げている。
髪は半分なくなり、生々しい赤がむき出しになっていた。
きれいな着物は、見る影もない。
護衛の黒服も、最後のひとりまで数を減らしていた。
「レン。レン。レン! 壁は、壁はまだ完成しないの? ねえ、まだ? このままじゃ……」
「うる、せえ……話し、かけ、んな……!」
思わず口走ったパニックを、一声で遮られる。
このままじゃ女王が死んじゃう。
そんなこと、この有様をずっと見届けてきたレンのほうが、絶対わかってる。
ひどい声で、台風が鳴いた。
同時に口から、鋭く尖った雷の棘が吐き出される。
凄まじい速度で女王へ迫る。
護衛の黒服が前へ立ち塞がり、肉壁になった。
貫通。
ふたり分の胸を、棘は貫いた。
その瞬間、ガラスの割れるような音。
青い光が濃くなり、空気を包む。
台風をせり出すように、押し出すように、じわじわと外へ弾き飛ばしていく。
やがて、風と雨が止んだ。
同時に、レンがその場に倒れる。
「レン!」
レンの方へ駆け出した足を、突っ伏したままの彼の手が制する。
「女王、陛下、を」
私は無言でうなずいて、女王のもとへ駆け寄る。
そこには、変わり果てた彼女の姿があった。
「ママ!」
女王の顔を持ち上げる。
美しかった女性の顔が、泥と傷で台無しに。
「ママ!」
もう一度叫んだ。
女王は、うっすらと目を開ける。
「……アカ、リ」
震える手で、私に触れる。
弱い、力。
「……みんな、無事?」
こんな状態なのに、最初の一言は”みんな”。
女王だった。
これが、ヤシマテンノの女王なのだ。
「ひどい、顔……ごめんね、こんなこと、させて」
女王は、ママは、私の頬をなでる。
「ごめんね、ひどい、親で」
ママは、私の髪をなでる。
「ごめんね」
ママは、私の目を見て。
「頼むね、あとは」
息を、引き取った。
ママ。
ママ。
ママ。
死なないで、ママ。
私は泣いていた。
出会ってたった数日の肉親。
私の本当の母親。
ママ。
ママ。
ママ。
ほんの数日で、親のぬくもりをくれたママ。
ほんの数日で、私の進むべき道を教えてくれたママ。
ママ。
ママ。
ママ。
ありがとう。
一晩、明けた。
快晴だった。
ママは、白い棺に入って運ばれた。
王宮から黒い着物の連中がやってきて、万事を整えた。
ママが運ばれるとき、イウォンカーの人たちはまだ泥の残った格好で花道を作った。
みんな、サンゴやお花をママの周りに置いていく。
ママが美しいもので埋まっていく。
生き延びたことに感謝を告げる人がいた。
息子の死を悲しむ人もいた。
大事な家がなくなって呆然とする人もいた。
厄災は去った。
それでも。
悲しみは、これからも続いていくんだ。
夢の世界ではテレビの向こうにあった被災地の現状を、こっちの世界で学び直していた。
「アカリ様」
後ろから声をかけられて、私は振り向く。
若い男性が立っていた。
ドームの中で、私を励ましてくれた彼だ。
「このたびはどうも、ありがとうございました。お陰様で、最悪の事態は免れました。名乗りが遅れ、申し訳ございません。私、サッサといいます。ナザラサの息子です。今回の神祭のあと、イウォンカーの長を引き継ぐ予定になっていました」
私は恐怖にすくんだ。
ナギラサの、最後の光景が脳裏に浮かぶ。
思わず、頭を下げてしまう。
「ごめんなさい!」
涙が出る。
「ごめんなさい、救えなかった。助けられなかった。あなたのお父さん。眼の前で……、目の前にいたのに……! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
「謝らないでください」
サッサは、私の肩に手を置いた。
「父の死は、天命です。それは誰にも変えられなかったこと。それより、ほら、ごらんなさい」
サッサに促され、私は顔をあげる。
涙で歪んだ視界に、イウォンカーの人々の顔が見えた。
みんな、私を見ている。
「あなたは、ここにいるイウォンカーの民を救ったのです。あなたがいなければ、きっとみんな波に飲まれ、雷に撃たれ、炎に灼かれて死んでいたことでしょう」
サッサはその場にひざまずく。
私の手の甲にキスをして、力強い眼差しで見つめる。
「イウォンク・イウォンカー」
私の手を離し、自らの胸を押さえる。
「我々イウォンカーとその連合地帯は、アカリ王女のご意思に従うことをここに誓います」
「イウォンク・イウォンカー!」
周囲から、合唱が上がった。
イウォンカーの民、全員分の合唱だった。
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