4 黄泉がえり

 亡くなったはずの、亡くなったはずのおばあちゃんが・・・。


 窓の外、遠くの山並に夜と朝の境が見えたとき、突然静寂を破って、

「うううんっ、・・・」と声が響いた。まるで寝起きの伸びをするような。

 部屋の中の三人。

 隅のパイプ椅子に放心したように腰かけていたお母さんに、慰めるように寄り添うお父さん、そして窓にもたれていたわたし。

 そのわたしたちに、それは衝撃だった。

「あーっ、やっと帰ってきた。あれっ、なにここ、あららら、あんたたちどうしたの。」

 おばあちゃんが、おばあちゃんが生き返った。


 お母さんは椅子から転げ落ち、引きずられるようにお父さんも転げた。

 わたしは、枕元に駆け寄ろうとして、ベッドの足元に盛大につまづき、

 そして、床に這ったまま、大声で叫んだ。「おばあちゃん!」

 涙にくれていたわたしたちを、起き上がったおばちゃんは不思議そうに眺めていた。

 病院中が大騒ぎになった。

 騒いでいるわたしたちに注意しようとやってきた看護師さんが、言葉を失った。

 騒ぎを聞きつけたお医者さんが目を白黒させている。死亡を確認したお医者さんだ。


 このとき、わたしはまた不思議なものを目にしていた。騒ぎでそれどころではなくなったけれど。

 空家の押入れから出てきた、あの白いもの、初めあれと同じものに見えた。ところが今度は前よりも像を結んでいた。

 背中に羽がある。白いものを身に着けている人型の生きもの。

 目と鼻、口も耳もある。片手に乗るくらいの大きさしかないから、ちょっと見、可愛らしさもある。

 それが窓の外、わたしの目の前に浮かんでいた。わたしを見つめていた。

 いつからそこにいたのかわからない。目を凝らしてよく見ようとしたそのとき、おばあちゃんの声を聞いたのだ。

 部屋の中は、窓から差し込む朝日で満ちていくところだった。

 

 おばあちゃんはそれから三日後に退院した。

 どこも異常なし、全くの健康体と太鼓判を押されて。


 おばあちゃんはしばらく我家で寝泊まりすることになった。

 それは、いくら問題なしと医者にいわれても、一時はあの世に行きかけたのだ。すぐにまたひとり暮らしはさせられない。というお母さんの強い希望だ。

 そりゃあそうだ。まったく仕方のないことだ。なのに、今すぐにでも向こうの家に帰ろうとする。

 家の様子が気になる、いろいろと準備もあるからといって帰ろうとする。

「いったい、何の準備なのよ」「いろいろよ、」「急いでやらなきゃならないことなの?」「だから、いろいろよ。それに、あたしの家はあそこだよ。」

 これが何度かあった。ふたりのこんな言い争いをわたしは今まで見たことがなかった。

 

 退院してからのおばあちゃんはどこかおかしい。

 頑なで、イライラして、それでいて、時どきぼんやり考えごとをしている。

 何か気になることでもあるようだ。何かを隠しているような気がする。

 以前のおばあちゃんは、こんなじゃなかった。

 

 結局お母さんが折れた。それはわたし。

 わたしが、当分おばあちゃんちから学校に通うことにすればいいといったのだ。

 自転車で十分よけいに走るだけだし、ふたりなら問題ないよねと。

 これがみんなにとって一番いい方法だと思ったのだ。

 そう、わたしにとっても願ったりかなったりなのだ。

 

 そして、おばあちゃんは田中直紀さんに来てもらうよう連絡した。

 先にお母さんとのやり取りにあった、高橋さんの件でだ。

 どうもおばあちゃんは、田中さんのことを以前から知っていたような気がする。

「あの子、あの若い男の子、なかなか、面白い子だっただろう?」

 初め誰のことなのかわからなかった。

「ああして、いろんな山を何年もかけて巡ってるなんて、よっぽど好きじゃないとできないよね。」

「あ、田中さんね。そうそうすごいよね。わたし、もうちょっとあの鬼の話し、聞きたかったな。」

 違和感がじわじわ湧いてきた。

 お母さんから田中さんのことは聞かされているだろうけど、何だかとってもよく知っている人のような口ぶりだった。

 田中さんがおばあちゃんちに来たのは、あの日が初めてだったはずなのに。

 田中さんに会うのを、とても楽しみしているように見えた。そしてわたしも。

 

 おばあちゃんは、意識を失っていた間のことを、まるっきり覚えていないという。

「やっと、帰ってきた」。息を吹き返したときそういったのだ。それも覚えていないという。

 本当にそうなのか。

 それにあの、度々目にする異形のもの。

 最近のこのわけのわからない事は、きっとその高橋さんがらみに違いないとわたしは思っていた。もしかしたら田中さんから、田中さんとおばあちゃんのやり取りの中から見えてくるものがあるのではないかと、そう思ったのだ。

 

 

 その日は雨が降っていた。珍しく空が重く暗い。

 街はどこもかしこも花の頃だというのに、今日はどうしたことか、冷たい風が嵐の前触れのように吹き始めている。

「春に三日の晴れなし」と気象予報士のおじさんはいう。にしても、木々を揺らし花をけちらす勢いだ。


「嵐を呼ぶ男、なのかねえ、田中さんって。」「なにそれ、どこのことわざ?」

「おや、明日香は知らないのか、知らないよねえ。知らなきゃいいよ。」

 何だかちょっと面白がっているようにも見える。

 元気になってよかったよ、ホントに。

 良子叔母さんに連絡する前でよかった。余計な心配をさせるところだった。


 玄関のベルが鳴った。「ごめんください」と聞き覚えのある声がする。

「おばあちゃん、田中さんだよ」「田中さんだね。」わたしたちの声が重なった。

 まじまじと見つめるわたしにかまわず、開けたドアの向こうの彼に、

「いらっしゃい。」とおばあちゃんは声をかけた。


 田中さんとおばあちゃんの笑顔が、ぎこちなく張り付いているように見えるのは、気のせいだろうか。きっとわたしも同じように笑っているのだろう。

 居間に腰をおろし、挨拶もそこそこに、おばあちゃんが口を切った。


 まず、高橋さんは過労に伴う肺炎で亡くなったこと。亡くなる前に、自分の亡骸は先祖の墓ではなく、「樹木葬」の手配をしてある墓所へ運んでくれといっていたこと。

 他に、大学退任後から積み重ねた資料はすべて処分して欲しい。自分がどこで何をしていたか特に書き残すつもりもなかったが、少々覚書程度はあったかもしれない。何もかも処分しておいてほしい。そう言い残したことを伝えた。


「まるでこの世から自分の生きた証を消したい、痕跡をきれいさっぱり無くしておきたい。何も残したくない。とお思いのようでした。

 再び別の者として蘇るのだから、今生の一切は不要。といっていました。」


「再び別の者として、蘇る・・・」田中さんが呟く。




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