ピンホール・スター

Planet_Rana

★ピンホール・スター


 流星群の予報があるだとか、何か物思いに耽りたいとか、そういう日ではなかった。


 ただ「そういえば冬の夜空って綺麗だったよな」と何年振りかに思って時計を一瞥、月でも見えたらいいなと家の外に出てみると曇っていたという――ただそれだけの話だ。


 この冬はたいそう乾燥していて大した雨が降ることもなかった癖に、今日ばかりはつもりつもった空気中の小さな埃だったりに氷がついて分厚い雲の様相を呈しているのである。雲があるから雨が降る、とは限らないわけだが、午後十時を回った現在、ソーラー蓄電が機能しなくなって久しい街灯たちが一網打尽に力尽きたその一角。


 ベランダから空を見上げてみて確かだったのは、肉眼と星空の間に程よく厚い雲を挟むなどすれば空など全く見えはしないという当たり前なことであった。


 そこはかとなく悲しくなったので「月見ようと思ったら曇っとる」とSNSで呟くと、「今日は新月ですよ」と返信が入る。さらに悲しくなった。


 間が悪いことに、私がこの数分間探し求めていた月とやらはおおよそ肉眼でとらえられない真っ暗闇なのだそうだ。その様な日に「月が見たいなぁ」などと思った私のささやかな不幸さたるや気持ちが沈むのには十分で、なーにが新しい月だ見えてないってことはつまり月に一回の死亡日かつ生誕日にぶち当たったってことじゃないか――どんな確率だよと、心の中で思いながらスマホを万年床に放る。


 大した飛距離もなく着地した平べったい通信機器は私の代わりに寝床を独り占めして、諦めきれずベランダにしゃがんだままの私を嗤っているように思えた。


 午後十時ともなると目下の通りに人の気配は無く、親子が住んでいる下階の気配も薄くなる。

 少し離れたところの電線にぶら下がった蝙蝠と、下水蓋の上を走る小さな鼠と、植え込みの中から響いてくる何とも知らない虫の声。


 月は出ないと分かっているのだからこのままベランダで待ち続ける理由はないのだけど、このまま引き下がるのもなんだか負けた気分で嫌だ。月を見たいがためだけに着こんだ上着のファーに頬を埋めて、塗装剥がれが目立つ白壁に背中をつけて、空を見上げる。手持無沙汰になった左手が、窓辺に置きっぱなしだった空き缶を転がした。


 無機質なアルミが転がる。

 そういえば、月が無い日は星がよく見えるとか言うんだよな。確か。


 ……。


 缶を手に、電気を消したばかりの室内へ戻る。台所の豆電球を頼りにキリとハサミを持つ。


 ぶすっ、ぶすっ、ぶすっ。


 ざくっ、がりゅがりゅがりゅがりゅ。


 底に穴を開けたアルミ缶の頭をハサミで切るなんて初めてしたけれど、開けた穴から向こう側が見えるようになって何だか嬉しかった。


 切り口から指を遠ざけて、頭がなくなった缶の下にスマホを置く。

 電源をつけると、アルミ缶の内側に光がこぼれた。


「……ふ」


 穴が三つで冬の大三角、ってか。


 缶を潰して袋に入れる。

 部屋を冷やすだけの窓を閉める。


 低い万年床を窓に寄せると、カーテンの隙間から空が見えた。


 ぬくぬくと布団にもぐり込み、私はスマホの電源を入れる。


 日が変わる前に、寝てしまおうと思った。

 明日のことは知らないが、今日が終わるまで外は曇ったままだった。




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