第十五話  僕、いてるだけ

「おじゃましまーす」

 僕は結依ちゃんとインターホンのやり取りを終えて、深い赤茶色のドアを開けて、早苗さんのおうちに入った。

 結依ちゃんからうちに来てくれることの方が多いわけだけど、もちろん僕からも何度も来たことがある早苗さんのおうち。

「いらっしゃい、雪忠くん。今日はこっちで結依と遊んでくれるのね」

「はいっ」

 出迎えてくれたのは、結依ちゃんの母さん。

「こんにちは」

「こ、こんにちはっ」

 インターホンに出てくれた結依ちゃんも。今日は白色長そでブラウスに、赤色チェック柄スカート。

 僕は紺色の長そでシャツにジーパン。

「おお雪忠くん、いつも結依と仲良くしてくれているようで、ありがたいよ」

「いえいえっ」

 おっと廊下から結依ちゃんの父さんが。スーツ着てるから、これからお出かけ?

「晩ごはんまでには帰れるよ。あー雪忠くんさあさああがって。おじさん靴履くからね」

「あ、おじゃまします」

 僕はいそいそ紺色の靴を脱いで、早苗さんのおうちに上がった。入れ替わるようにして、おじさんが黒い革靴を、オレンジ色の靴べらを使ってささっと履いて、立ち上がった。

「いってらっしゃーい」

「いってらっしゃい」

(じゃあ、一応僕も?)

「い、いってらっしゃい」

「いってくるよ。なんだか息子が一人増えたみたいだなぁ、はっはっは」

 流れるような動作で、あっという間にいなくなったおじさん。

「結依の部屋に入ってもらうのよね? お菓子、持っていってね」

「うん」

(……結依、かぁ……)

 僕が結依ちゃんに対して結依っ、とか、ははっ、なんだか今さら……ねぇ?

(おかしいな。淋子や汐織や瑛那は淋子や汐織や瑛那なのに)

 ちなみに結依ちゃんには、勇太ゆうたくんという、みっつ下の弟が一人いる。そう。結依ちゃんは結依お姉ちゃんなのである。


「おじゃま、します」

「どうぞ」

 同級生女子と洗面台で一緒に手を洗うのも、充分緊張するけど……同級生女子のお部屋に入って、緊張しない男子って、この世界に存在しないと思うんだ。うん。

 あの果物いっぱいな柄のカーペット、相当古いよね。あ、あんまりじろじろ見るのも、あれだよね。あ、制服。あの勉強机でいつも勉強を~

「……どうぞ?」

「お、じゃまし、ます」

 ドア付近で立ち止まっていた僕は、えっと、まずドア閉めよう。ああ静か……。

 結依ちゃんは、すでに展開済みなオレンジ色の折り畳みテーブルの上に、つやつやな赤茶色のおぼん・そこに乗っている何かのジュース・ガラスのコップふたつ・クッキーサンドのお菓子が入った木の器を置いた。

 あ、僕はそこに座るんですね。マカロンみたいな形の白いクッションが設置された。ピンクいクッションも設置され、結依ちゃんはそこに座った。

 テーブルをこっちから見て、僕が手前側、結依ちゃんが右側のポジショニング。結依ちゃんはよく僕の右隣をポジショニングしている気がする。すいませんダイニングテーブルでは左隣でしたね。

 って僕も座らなきゃ。そわそわ。

 改めて近い結依ちゃん。やっぱり学校と違って、静かな空間に結依ちゃんっていうのは、こう、実に平和っ。

 そして早速、大きめな透明容器のジュースと思われる液体を、正規の向きに直したコップに、両手で優しく注がれていった。

 薄い黄緑みたいな……マスカットジュースに一票。

 結依ちゃんの分も注がれました。

「どうぞ」

「いただきます」

 結依ちゃんから、謎の黄緑ジュースを差し出されました。

「……えーっとー……」

 結依ちゃんが僕を見ている。じゃあ、僕はコップを手に取り、

「……乾杯?」

「乾杯」

 チーンじゃなくコッって感じだったけど、乾杯の儀が執り行われた。飲んでみよう。ごくごく。

(…………ラ・フランス?!)

 まさかの洋梨ジュースだった。うま。

 コップ置いてっと。結依ちゃん見よっと。本日もお元気そうです。

 あ、結依ちゃんこっち向いた。しばらくおめめぱちぱち。にっこりしてくれた。最・of・高。

 今日は宿題もない。平和。ここは大通りからは離れているから、車の音もほとんど聞こえない。平和。夏真っ盛りまではまだ遠いから、過ごしやすくて平和。雨も降ってないし、ああ平和。

(ねぇ神様ぁ~。これだけ平和なんだから、しばらく時間止めててくれてもいいんですよ?)

 ……ちぇっ。神様は通常の時間の進め方を粛々と送っているようです。

「雪忠くん」

「ん? な、なに?」

 クッキーサンドに手を伸ばそうかなどうしよっかなーって思い始めた瞬間に声をかけられたので、ここはノークッキーサンドで。

「いつも学校で、みんなといっぱいおしゃべりしているのに、今、静か」

「うぇ? あー、そう?」

「うん」

 僕としては、結依ちゃんとも結構おしゃべりしているつもり……?

「しゃべって、いいよ?」

 そ、そんなにしゃべってなかったかなぁ………………そうかもしれないっ。

「……布団が吹っ飛んだ?」

 ご要望におこたえして、しゃべってみたよ。

「……くすっ」

 んぁー。いい。結依ちゃんほんといいよ。

「電話に、だれも出んわ?」

「……ふふっ」

 結依ちゃん。お笑い番組とか見たら、やばいんじゃ?

「隣の客はよく柿食う客だ?」

「すごい」

 今なんですんなり言えたのか、僕もよくわからなかった。

「雪忠くん、学校でそんなこと、言ってないよ?」

「そ、そうかもしれない」

 結依ちゃんくらいだと思うよ、そこまで笑ってくれるの……。

(ああ、そんなうきうきしなくったって……)

 ほんとまぶしくて平和だよぉ……小さい負けにこだわっていたあの時のむなしき僕は一体っ。


(あ、これがあのうわさの……ひょっとしてっ)

 僕は見逃さなかった。視線を外した結依ちゃんが、コンマ数秒わずかにうとうとったことをっ。

「お昼寝のときに、僕が横にいればいいだけだよね?」

「うん」

「じゃあ……どうぞ」

 僕はどうぞどうぞポーズを、ベッドに向けた。小さい花が散りばめられた柄のベッド。赤とかオレンジとか黄色とかの花。

「マンガでも読もっかな」

「うん」

 許可が下りたので、本棚へ。ぜ、全然知らないタイトルばっかり。

(……んじゃあ、これにしよっかな)

『恋する彼にはWhipperホイッパー!』っていうのを選んだ。表紙は、なんかパティシエな感じ。

 僕がマンガ選定を行っている間、結依ちゃんはベッドに入ってすやすや準備完了の模様。

(こう、でいいの、かな?)

 とりあえずー……ベッドの前に座り、もたれてみた。結依ちゃんがすぐ後ろにいる形。

「ひとまず、こんな感じで、よい?」

「うん」

 まだ結依ちゃんはおやすみしていないので、いったん結依ちゃんの方へ向こう。

 布団から顔が出てる結依ちゃん発見。うわ眠たそう。

「……普段、勉強とか頑張ってるー……とか?」

 僕はお昼寝したーいなんて、ほとんど思ったことないしなぁ。って、そのまばたき。違うんでしょうね。

「ほ、ほら。普段疲れてるのかなー、なんて」

 あ、視線が上を向いている。

「どうなのかな」

 僕たち。今なにしゃべってんだろう?

「と、とりあえず、ほら、僕ここにいてるから、どうぞどうぞ」

「……うん」

 お昼寝するから横いといて~なんて、後にも先にも結依ちゃんからしか言われなさそう。

「退屈になったら、起こしていいよ」

「意地でも起こしません」

 断固拒否! ちょっと笑ってくれた結依ちゃん。

「……起こしていいよ?」

「早く寝てくださいほらほらっ」

 拒否! 拒否ったら拒否!

「……おやすみなさい」

「おやすみー」

 そのままゆっくーり目を閉じた結依ちゃん。

 ……寝顔結依ちゃんは、さすがに見るの初めてな気がする。


 読んでいるマンガのストーリーはこんな感じ。

 家庭部所属、中学二年生の元気な女子が主人公で、部活で作ったお菓子を持っていたところを、最近転校してきたクール系男子が見つけた。

 自分が作ったと言ったらすげーすげー言ってくれたので、それをあげたら、うまいうまいと喜んでくれてきゅーん、みたいな。

 どんどん読んでいこう。


 話が終わるたびに、振り返って結依ちゃんを見てみたけど、ガッツリマジ寝。


(……少女マンガも、悪くないっ)

 一巻読みきった。きっとこの、クール系男子が主人公の前だけは表情豊かなのが、萌え萌えキュンというものなのだろうと思う。(なに言ってんだろ僕)

 お菓子作りのシーンもあって、世界のお菓子紹介も混ざってて、知識増えそうだ。

 クラスも明るい感じで、なんか、いい世界観、みたいな。なんか、いい。

(結依ちゃん、こういうマンガ読むのかー)

 マンガの話とか、全然しないもんなぁ。思えば僕が得意な話題を、そのままぶつけまくっていただけな気がするかも。まぁ少女マンガは詳しくなさすぎるけどさ……。

 そして今、結依ちゃんは、超寝てる。

 洋梨ジュース結構飲んじゃったけど……よかったのだろうかっあせあせ。

(はっ!)

 結依ちゃんのおててが目の辺りに当てられ、起きたっぽい?

 その様子を僕はただただ見ていただけだったけど、結依ちゃんが目を覚ましたようで、

「……おはよう」

「おはようございます。おふろにする? ごはんにする? それともた・わ・し?」

 ゆーっくりまばたきをする結依ちゃん。これもまた新たな結依ちゃんのまばたきだな。メモメモ。

「……それは……おかえりなさい?」

「正解」

 さすが結依ちゃん。寝ぼすけさんっぷりでも、しっかりツッコミができているな!

 でもまだ結依ちゃんお布団モード。

「まだ眠たいとか?」

 あ、そこは首を横に振る結依ちゃん。

「どう? 僕がいて、よく眠れた? それとも逆効果とかっ?」

 僕は結依ちゃんが近くにいるとか、超緊張しそうだけど。

「……よく眠れました」

「よ、よかった」

 結依ちゃんは緊張していなさそうである。

「……これ、読んでいたの?」

「なかなかよかったよ。また続き、読みに来てもいい?」

 少しでも結依ちゃんとお近づきになっていかなければっ。

「うん」

 ということは、今このお布団モードな結依ちゃんを、また見る機会があるってー、こと?

「マンガの話って、あんまりしてこなかったかもしれないけど、結依ちゃんは、こういう話がお気に入り?」

「うん」

 なるほど。結依ちゃんは元気っ子お菓子物がお気に入り、とメモメモ。

「また、いててくれるの?」

「もちろん、結依ちゃんが僕を呼んでくれるのなら」

 いつでもどこでも駆けつけますぞ!

「……よろしくお願いします」

「あぁ、こちらこそ、よろしく」

 お布団モードながらに少し頭を下げてくれた結依ちゃん。頭が上がったときには、やっぱりいつもの笑顔な結依ちゃんだった。

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