虚構の口付け

青空一星

妄想と現実

 肉と米だけの晩飯を終えて、ふと野菜が欲しいと思った。

 時刻は深夜00:30、これから買い物へ行く気にはならない。自動販売機に野菜ジュースがあったらいいなと思い、外へ出掛けた。


 外はすっかり暗く、人もいない。かじかむ手はポケットにしまって行ける範囲の自動販売機を全て探した。

 いつもこんなに積極的に行動するわけではない、でも友人の「ちゃんと野菜も食え」という言葉が効いたのかもな。


チャッ、チャッ、チャッ


ピッ ガタン


チャラチャララ


 結果としてビタミンが含まれているというジュースを手にした。残念ながら野菜ジュースは無かった。お釣りの40円をポケットにしまう。


 肩を落としながらも美味かったので機嫌を少し取り戻した。


 男は夢見がちな奴で、よく物語の世界に憧れを抱いた。

 もう時間をとっくに過ぎて、来ないと分かっているバス停のベンチに一人座り妄想の世界に浸る、「この横のベンチに変わった雰囲気を持つ女の子でもいたらいいのにな」と。


 実際にそんな子、というか生き物自体が周囲に見当たらなかった。


 男はよくこのベンチの前をオートバイで通る。時間帯としては今のような夜遅くが多い。そしてその度にこの妄想を膨らませるのだ、現実に起こると信じて。

 だってこんな遅くに自分と同じ事をしている人がいるのなら、自分と同じか本物って事じゃないか!


ぐびっ


 ジュースを勢いよく流し込む。体を鈍らせていた油はすっかり落ちたようだ。


ブーン


 オートバイが道路を通る。男は切に願った。

「こんな自分を見て、話し掛けてきてくれたらいいのにな」と。だがオートバイが止まることはなく、過ぎ去っていった。


はぁー


 漏れ出るため息は予期していた事実を肯定していた。そうだ、現実にそんなことはありえない。夢見るくらいがちょうどいいのかもしれない


カタン


 隣のベンチで音がした。振り返ると帽子を被った女の子がいた。


「えっ」


 思わず声が出た。だってこんなの


「なにか用かな?」


 声を、掛けてきた?えっ、ちょっと待ってくれ心の準備が…


「?」


「すみません、何でもないです」


「そっか、なんかごめんね?」


 ばかー!何してんだよー、せっかく話し掛けてきてくれたのにー!気を使わせた上にこれじゃもう望みが無いじゃないか。


カタ


 あーあ、せっかく何か始まるかもしれなかったのになー。


タッ、タッ、タッ


 そうだよな、ここは現実だ。そもそも俺なんかじゃあチャンスだって掴めやしないよな…この子だって幻かもしれん。


「あ、しまった100円しかない」


 気付けば彼女は自販機の前にいて、ガマ口の財布を覗いていた。


「あの!よかったらこの40円使ってください!」


 ここで動かなきゃ夢すら見れなくなる。そんな想いで必死だった。


「そう?ありがとう!」


 笑ってくれたー、報われたー、「こちらこそありがとうございます」


ガタン


「なんでお礼を言われたか分からないけど、ちゃんとあっちに着いたら返すね」


「…アッチって?」


「本部だよ、本部。

本部行きのバス待ってたんじゃないの?」


 おいおいおいおい、まさか…そんな展開あっていいのかよ。この子もまさか"コッチ側"だったとは…

 この目、嘘を言っているようには見えない。俺より上の妄想力を持つ子と会えるとはね─


シュー


「ほら、バス来たよ」


「は」


 すぐそこに停まるまで全く気が付かなかった。見たことのないバス?が口を開いて待っている。


「乗って、いいんですか?」


「君はどうしたい?」


「ッ、

乗せてください。

俺をそっち側へ連れて行ってほしい!」


 僕はこの境を乗り越えてこれまでとは違う世界の住人になれた。

 生きててよかった、そう思えたある日の夜の出来事。

 これは夢が夢でなくなり、ほんの少し前を向けるようになったある日の分岐点。

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