地球の端より、愛をこめて

霞(@tera1012)

第1話

 空中にチラチラと光のかけらが舞っていた。

 ダイヤモンドダストだ、と、夫が言う。

 私は黙って、違う、と思う。ここは本州の冬山だ。確かにものすごく寒いけれど、ほんもののダイヤモンドダストは、たぶん、それほど簡単にみられるものじゃない。

 でも、その単語は簡単に、油断していた私を、エアポケットに突き落とす。



「じゃあ、サナダムシの卵、飲めばいいじゃん」


 どうしても痩せられないんだよね、といった私に、彼が放った言葉はこれだった。

 たしかにその日の1週間前の週末、私たちは目黒の「寄生虫博物館」でデートをした。そこで、たくさんの、控えめに言って気分の良くない標本を見た。怖いもの見たさで、寄生虫に寄生されたらどうなるか、ネットで調べてはさんざん盛り上がったのは事実だ。パトロンに見放されないために、痩せて美しさを取り戻そうとサナダムシの卵を飲んだ歌姫の話とかが出てきて、ヤバい、と私は笑っていた。でも、彼にとってはそれはただの事実で、笑い話でもなんでもなかったのだ。

 しかしそれにしても、彼女に痩せて欲しいからって、寄生虫を腹で飼えというのはどうなんだ。

 私の元彼は、そんな男だった。


 彼はなんでも経験したい人だった。私たちは、たくさんの場所に行って、色々なことをした。アオコの浮かぶ湖でウインドサーフィンをし、映画館の隣にあったボルダリングであえなく剥がれ落ちては笑い転げた。一年後、彼だけ、どちらも玄人はだしになっていた。

 彼にとっては、女と付き合うのもそのひとつだった。私のことなんて、好きでも何でもなかったのだと、はじめの一年間、私はさんざん思い知らされた。とにかく、率直なひとだったのだ。彼も、そして、当時の私も。

 でも私は、彼が好きだった。勇気をもって言えば、おそらく、愛していたと思う。彼は自分に厳しい人だった。体形維持のためならどれだけでも食事制限をしたし、マラソンが趣味だったし、たくさん訳の分からない難しい資格を取って、使うか分からない外国語を勉強していた。私はどこまでもストイックなその生活に、ただ驚嘆し、そして尊敬していた。

 

 最後の冬、彼は、僕の今の気持ち、といって、「初恋」という詩を、私に教えてくれた。

 それは島崎藤村という人の詩で、私たちが別れた後の春、実家にあった「声に出して読みたい日本語」とかいう本でいきなり出くわして、私は親の前でごまかしようもなく思い切り泣いてしまった。今でも、穴があったら入りたい思い出だ。


 私たちが別れたのは、端的に言えば仕事の都合だった。それぞれに私生活などほぼない新社会人生活が決まっていたうえに、お互いにどちらかに合わせて自分の何かを犠牲にしようとする意志は皆無だった。というか、怖くてできなかったのだ。お互いのために、何かを折り合うとか、折り合わせるとかいうことが。



 彼が南極越冬隊に参加していたと知ったのは、共通の友人から、帰国の打ち上げへの参加の誘いが来た時だった。

 マジか。私は思った。

 連絡の取れなかった半年間、あんた、南極行ってたのかよ。


 私は、彼の帰国お疲れ様飲み会には参加しなかった。その時、東京から遠く離れた地方都市で、婚約者と暮らしていたのだった。

 彼と連絡がつかなくなる半年前、私たちは共通の友人と3人で久しぶりに飲んだ。その時、私は転職したばかりで、世界を股にかける(笑)仕事を面白おかしく語っていた。

 そのことが、彼のキャリアになにかの影響を及ぼしたのか、及ぼさなかったのかは分からない。共通の友人が、あえて私を、彼の帰国飲み会に誘った意図も、今となっては、あやふやなままだ。



 今の私の生活は、おそらく幸せといえるものだ。私は、夫を愛している。


 それでも、「ダイヤモンドダスト」は、今でも私のどこかを痛めつける。

 本物のダイヤモンドダストをたくさん目にしたであろう君。今もどこかで、偏屈に実直に、日々を送っているであろう君。

 帰国した君ともし会うことができていたなら、君は私に、何を語ったのだろう。私は、君の声に乗り、君の瞳を通して、本物のダイヤモンドダストを見ることが、できたのだろうか。


 今日の天気はダイヤモンド。

 真冬の青空を見上げ、私は心の中で、ひとりつぶやく。

 

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