悪意と善意を込めた行動の話

丹央心夏

一節 水道の話

時間をくれるかな?なに、ちょっとだけでいい。このお兄さんがためになる話をしよう。


───仕事を終えて、梯子で道路へ上がってくる。鞄のスマホからは着信を示す音が鳴り響く。手は汚れていて、このままでは鞄を汚してしまう。だが着信には出たい。


手間取っていると、通りすがった少年が自分に向けてポケットティッシュを差し出していて、「どうぞ使ってください。」と一声かけて足早に去っていく───


と、こんな文章はさておいて。私達が見るありふれた光景の裏側に、どんな世界が広がっているか考えたことがあるだろうか。


生活を支える水道の裏にある、安月給で働く人々とか。


日々の移動に使う鉄道の裏にある、運転手の責任とか。


例えば……どこかで触れる、親切の裏側とか。


丁度いい、最初の例えを扱おう。


水道の整備の仕事がある。もちろん立派な職業ではあるし、なくてはならない仕事だろう。


キツい異臭、突然の怒声を伴った電話、汚泥のような水。


知らないかもしれないが、水道の中でも下水道と呼ばれる排水が流れる現場のネガティブだ。


なんの考えも無しに流した液体が、そのまま異臭を伴って流れる。朝1番に水が流れないなんて電話の向こうででイラつく客から浴びせられる罵声に、嫌々足を運ぶ業者。底辺のような匂いの現場に着いてみればそこには雑に流されただろう布切れが詰まっていて、虫が蠢く、描写したくもない地獄が待っている。


───ここまで。一旦話を止めて、最初の物語を振り返って見てほしい。


……梯子から登ってきた人は、きっと水道の詰まりを取り去って戻ってきたのだろう。気にしている手の汚れはきっと梯子の錆だけではなくて、下水の汚れも入っているのだろうな。どうせその鞄だって下水の匂いを伴ったものだろうし、誰でも出来るような仕事をやっている辺りきっと大学には進んでいないんだろうな。先に声を掛けられて、ハンカチを貸してくれなんて言われたら迷惑だ。ハンカチをそんなもので汚したくはないし……そうだ。駅前で貰ったティッシュを渡して立ち去ろう。無言だと理解されないかもしれないから一声かけて。あーあ、朝からあんまり見たくないものを見てしまったな。今日は良くない日だ。


1度淡々と悪意を込めて書き綴ったが、どうだろうか。彼は少年に、憐憫の込められた目で、どうでもいいティッシュを渡されて足早に逃げられた可哀想な人になってしまった。


───続きを。


だが、その場所は私達にとって必要なのだ。


汚れをどこかに置いておく訳にはいかない。これらは1度浄水場まで運ばれてきちんとした処理で清潔なものにされて、海へ大地へと還っていく。そこまでこの水を汚れを、どうやって周りを綺麗に保ちながら運ぶかという考えで生み出された場所であり、ここが無くては社会が回らないのだ。


だから、この仕事は大切なのだ。誰も進んでやろうとしないから、その人達は私達の代わりにそこを守ってくれている。


だから、敬意を示すべきなのだ。どう考えても損な役回りを担ってくれているその人々に、私達が持つべき最低限のものこそが敬意であり、これをせずに蔑んだ目で通りすがっていくなど人とも呼べぬのだ。


───悪意を取り除いてみよう。


梯子から登ってきた人は、きっと水道の詰まりを取り去って戻ってきたのだろう。気にしている手の汚れはきっと梯子の錆なのだろう。そもそもこの仕事をする時にはゴム手袋をする。終わって途中で外してきたのだろう。鞄はきちんと対策されたものだろうし、そもそもこの仕事は公務員などがをやっている仕事でありきちんと資格まである仕事だ。大事なインフラを任せる仕事に信用できない人間なんて選ばない。ハンカチを貸したら遠慮されるかもしれないし、返す手間を取らせてしまう。持ち歩いているティッシュなら遠慮せずに使ってもらえるかな。働いてくれている感謝の気持ちが伝わるように声を掛けて。よし、今日は人助けができて心がすっきりした。


と、このように。


私達は普段の生活の中で何にでも無意識に好意と悪意を持ち、そこから何かしらの差別意識を持つ生き物だ。


この生活がなにも無しに成り立つ訳ではないことは、覚えておくべきだと思う。


え、作り話だよね、って?


……どうかな。


どこにだって、残酷な刃物は落ちているからね。

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