つぶやき小話
第1話 ある陰陽師のつぶやき
俺がこの春から研修という名目で住むことになった西都は、かなり変わったところだ。別名を魔都と言う。碁盤の目のように区画整理された古い都には、「魔」という言葉から連想される禍々しさは一切なく、帝都にはない独特な悠然とした空気が流れている。そもそものところで、魔都というのは、その圧倒的な魔力持ちの多さと、西都を取り囲む山々や、二級河川を合わせると300を越える河川から流れ出る魔素の濃さに由来しているらしい。
確かに、ここを統べるのは、帝国で二家しかない大公爵の嘉承家と瑞祥家で、歴代の当主はもちろん、その縁戚になる公家にも、代々、素晴らしい魔力持ちが生まれている。特に先代の嘉承公爵は、今でも帝国一の制御力を誇り、当代の嘉承公爵は、帝国一の魔力保有者と名高い。そして、そのご子息は、1400年ぶりに生まれた完全四属性の魔力持ちだと言われている。
「
宰相閣下と上司である陰陽頭の署名と捺印のある俺の赴任命令証明書に目を通すと、ゴージャス系美女が、隣の秘書とおぼしき癒し系の女性に手渡した。二人とも俺と同じ火の魔力持ちだ。もっとも、美女は、西都総督府のトップの嘉承頼子総督閣下で、魔力量は俺とは桁違いだがな。
嘉承の名が示す通り、嘉承総督閣下は、くだんの大公爵の実の妹で、魔力を抑えていても、同じ火の魔力持ちには、その魔力量の大きさが分かってしまう。こんな魔力量を持つ魔力持ちなんか、陰陽大学でも陰陽寮でも会ったことがない。目が会う度に、鳥肌が立つほどだ。
「お義兄様、この後は、どうされますの」
俺の新しい上司の茶釜教授は、名が体を表すという言葉が、そのまま具現化されたような人で、人好きのする笑顔がデフォルトの、ほのぼのした狸のような人だ。この狸に弟狸がいて、何と麗しの総督閣下の配偶者らしい。ありえない。
ポーカーフェイスに徹しながら、失礼なことをを考えている俺の前で、茶釜教授は、ニコニコしながら答えた。
「稲荷屋かヴォルぺに寄ってから、瑞祥と嘉承に施火君の紹介に行く予定です。頼子ちゃん、ふーちゃんは、和菓子と洋菓子だと、どっちが好きかご存知ですか」
「あの子は、美味しければ、何でも嬉しそうに頂くに決まってますわ。ああ、でも、最近、兄様が、痩せろと五月蠅いので、お菓子は食べさせてもらえないそうなんです」
「そうは言っても、彰ちゃんとか牧田さんとか、厨房の皆さんが、こっそりと食べさせているような気もしますねぇ」
お二人の会話から想像するに、どうやら、教授は、これから俺の着任の挨拶に公爵家へ行くのに、「ふーちゃん」という人に、手土産で稲荷屋のお菓子を持って行きたいらしい。稲荷屋というと、帝都でも大人気の菓子屋だが、俺の仕事が終わる頃には、確実に売り切れになっているので、実は、いまだかつて買ったことがない。貴族が使用人を使って、買い占めているという噂が、実しやかに囁かれるほどに入手が難しいお菓子だ。そうか。西都大学の研究助手となると、早く帰れることもあるだろうし、毎日研究室に通う必要もないということだから、稲荷屋にも、洋菓子部門のドルチェ・ヴォルぺにも、売り切れ前に買いに行けるんじゃないか。魔力持ちのほとんどは、超がつくほどの甘党で、俺も、もちろん甘いものには目が無い。
「どうしました、施火君、やけに楽しそうですね」
「はい、教授。公爵家へご挨拶に伺うのが楽しみでして。ふーちゃんさんには、ぜひとも稲荷屋とヴォルぺの両方のお菓子をお持ちしましょう」
ポーカーフェイスが崩れて、にやにやが止まらない俺に、教授が人の良い笑顔で頷いてくれた。
「それがいいですね。魔力持ちや、妖について研究をする施火君にとって、ふーちゃんは、必ず強力な助けになる存在になりますからね」
お菓子だけで強力に助けてくれるのか。誰かは存じ上げないが、そんなチョロくていいのか、ふーちゃんさん。
「ふーちゃんは、嘉承一族には珍しい礼儀正しい平和主義な子ですし・・・あ、頼子ちゃん、これは、とんだ失礼を」
教授が、いかにも口が滑ったという風に、口元を手で押さえて、総督閣下に謝った。
「お気になさらないでくださいな。あの子が、毛色が違うのは、今に始まったことではありませんし、嘉承は、1400年、礼儀や平和とは、かけ離れたところで生きている一族ですから。特に兄様と、あのロクでもない側近四名ときたら・・・」
おほほほと、いかにも公家の姫らしく扇で顔を隠して、上品に笑う嘉承総督閣下だったが、何故か、ものすごい悪寒が走った。教授も、じりじりと後ずさりを始めている。
「頼子ちゃん、今日は、私達は、これで失礼させてくださいね。施火君と両公爵家に挨拶をして、その後、霊泉先生のところにも寄る予定でして」
そう言うと、教授が、俺の手を引いて、ものすごい勢いで総督閣下のオフィスから逃げるように立ち去った。
何なんだ、一体?
「いやあ、施火君、怖かったですね。頼子ちゃんの【烈火】が発動するかと、冷や冷やしましたよ。どうやら、あの五人、また何かやらかしたようですね」
西都総督府の壮麗な石造りの建物を出た途端に、教授が息を吐いた。
「あの五人と仰いますと?」
「頼子ちゃんの兄君の嘉承公爵と愉快な仲間たち、ですね。いつも何か悪さをしては、頼子ちゃんの【爆炎】で焼かれているんです」
「は?」
ちょっと待て。どこの悪ガキ小学生だ。嘉承公爵というと、もういい年をした大人じゃないのか。愉快な仲間たちというのは、まさか四侯爵のことじゃないよな。しかも【爆炎】?あれは、火の中でも超上位の攻撃魔法で、使った瞬間、魔力が切れて寝込むような大技だぞ。
「教授、つかぬことを伺いますが、嘉承公爵と愉快なお仲間の皆さんは、その、【爆炎】で焼かれた後は、どういう感じになるんでしょう」
普通は死ぬ。消し炭状態だ。
「時々、ちょっと焦げる時があるみたいですが、あの五人ですしね。全く、気にも留めずに、へらへらしているそうですよ。それで頼子ちゃんの怒りに、文字通り、火に油を注いでしまうというか・・・」
だから、ちょっと焦げるって何だよ!【爆炎】というのは、火の魔力持ちにとっては、魔力器官がぶっ壊れる覚悟で放つ最終奥義と言ってもいい強烈な魔法なんだぞ。
「教授、へらへらしていられるんなら、【爆炎】ではなく、【火球】か、弱めの【烈火】などではないでしょうか」
「そう思うのが普通なんですが、毎回、そこら中が焼野原になる勢いで燃えますから、間違いなく【爆炎】ですよ。嘉承の五人は、何が当たっても死にはしませんが、周りへの被害が尋常じゃないんです。それを、ふーちゃんが、式を使って、せっせと被害を抑えてくれるんですよ。良い子でしょう。あの子の式は四種類ありますから、それで、たいがい何とかしてくれるんです」
なんと、ふーちゃんさんは、式使いか。式使いというのは、今では、ほとんどいない稀有な存在だ。陰陽寮の土御門先輩のご先祖のような、超がつくほどに優秀で、魔力量の多い土の魔力持ちが使う方法と言われている。普通の魔力持ちなら、直接使う方が威力を弱めることなく放つことが出来るからだ。しかも、ふーちゃんさんは、四種類の式を使うのか。
「え、四種類というと、ふーちゃんさんというのは、もしかして、嘉承公爵家の四属性のご子息のことですか」
「ええ、嘉承の君は、西都では、人も人外も、ふーちゃんか若様と呼ぶ方がほとんどですよ」
また、教授が理解不可能なことを笑顔で仰った。西都大学の教授に対して失礼なのは、分かっているが、この人、発言がさっきから、かなり変だぞ。
「教授、人外も呼ぶというのが、どういうことか分からないのですが」
「だからー、そのままっすよ。若様は、爺様じゃないから、若様っしょ」
俺の後ろで、いきなり馬鹿にしたような声が聞こえた。驚いて、振り返ると、一目を引くオレンジ色の髪の二十代前半とおぼしき青年が立っていた。
「ちわっす!」
青年が軽い感じで、片手を上げると、教授が小首を傾げた。
「ごきげんよう。えーと、君は、ふーちゃんのお友達ですか」
「手下の狐っす」
「ああ、狐さんでしたか。南都の妖狐さんたちが、ふーちゃんのお仲間になったと弟から聞いていたんですよ。今日は、ふーちゃんに会いに、西都までいらしたんですか」
「今日は、うちの一族を代表してお使いっす。毎月、
・・・何だ、この会話。マジか。呆気にとられている俺の目の前で、教授とオレンジ髪の青年が真顔で会話を続けている。妖が商売繁盛のお礼にお稲荷様にお参り?お菓子のお土産?もしかして、木の葉のお金で騙して買うんじゃないだろうな。
「それは、遠いところ、ご苦労様です。妖狐さんたちは、信心深いですねぇ」
「あざっす!」
信心深い妖って、何なんだ。聞いたこともないぞ。
どこまでも丁寧な茶釜教授に、どこまでも気軽な妖狐(仮)。あまりに正反対な二人のやりとりを呆気にとられて眺めていると、オレンジ青年が、俺のほうを見て、にやりと笑った。
「お兄さん、西国の人じゃないっすね。妖に出くわすのは初めてなんすか」
「ああ、初めてだ。君は、本当に妖狐なのか」
俺がそう言って、まじまじと青年を上から下まで観察していると、青年が、くふりと笑った。何だよ、その笑い方。気に入らないな。何か、馬鹿にされたような気がするぞ。
「妖狐さん、実は、私達も今から、稲荷屋さんにお菓子を買いに行くんですよ。ふーちゃんが何を好きかご存知ですか」
「稲荷屋のものなら、若様は、何でも美味しく沢山食べるっすよ」
ふーちゃんさんっっ、何で、妖にまで何でも食べるって知られてるんっすか・・・まずい、この妖の喋り方がうつった。
「あ、でも、季節の限定商品なんかは、すごく好きそうっす」
「限定、というのは魅惑の言葉ですからねぇ。旬のものは体にもいいですし」
見るからにお人好しの教授は、道端で会ったばかりの狐の妖と意気投合したようで、一緒に稲荷屋にお菓子を買いに行くと言い出した。ちょっと待て。小さい頃に、良く知りもしない人について行くなと親から教わってないのか。ましてや、今、目の前にいるのは、人じゃなくて妖だぞ。
「施火くーん、何を呆けているんですかー」
・・・呆けている間に、教授と妖狐は、俺よりだいぶ先に歩を進めていたようだ。
「はい、すみません。今、行きま・・・」
おかしい。俺の目の前にいる、派手なオレンジの狐と、ほのぼのとした笑顔で手を振っている狸は何だ。
「うわあああぁあ、まさか、教授!?教授は、妖ポンポコ狸だったのかぁああ」
人目も気にせず、絶叫した俺に、周辺を歩いていた西都民は全く驚くこともなく、「妖に昼間から揶揄われちゃってる人がいるね」と半笑いだった。
これが俺の、魔都で初日に受けた洗礼だ。あの程度で、「魔都、こええよ」と思った俺は、この後で、もっと怖い連中がいることを知ることになる。
それと、西都中の妖どもが慕っている不思議な魔力持ちの少年のことも。
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