第3話 風嫌いな猫と、猫好きの風

 霊泉先生の歴史の授業の後は、明楽君と真護と三人でゲームをして遊ぶのが週末のいつものパターンになってきたので、明楽君と真護は、最近、どこのEスポーツ大会かよ、とツッコミたくなるほどに腕を上げてきた。私は、運動音痴がいい仕事をして、完全に二人のカモだったが、最近では、カモにもならないらしく、後ろで二人の対戦を、静かに後ろで見ていることが多くなってきた。もちろん、お茶をぐびぐび飲んで、お菓子を食べ食べ、見ているものだから、制御を身に着けてちょっと痩せたはずが、また、元の木阿弥、子豚のふーちゃんに逆戻りだ。


「若様・・・、あのぉ、若様ぁ」


 猫又が、気がついたのか、遠慮がちに【風壁】をこんこんと叩きながら、ヒマそうに座っている私を呼んだ。


「パンチ君、気がついた?」

「若様、ここは、どこですか。ものすごい魔力と妖力が漂っているような・・・」


 さすが妖。小さくても、魔力と妖力には敏感だ。


「うん、我が家だよ。人外魔境とも言うね」

「じっ、じ・・・じんがいまきょう?」


 まぁ、猫又も人外だから、そんなに怯えなくてもいいと思うんだけど、恐怖のせいか、パンチ君の尻尾がぼわっと膨らんだ。


「うん、だから、お迎えが来るまで、その【風壁】の中にいるといいよ」

「おおおおお、お迎えと言うと、魔神か何かに生贄に差し出されちゃうので?」


 いやいや、猫又パンチ君、我が家を、どんな黒魔術集団だと思っているかな。確かに、うちには魔王と冥王が住んでいるけど、猫又なんか食べないってば。多分。


 ぼわぼわに膨らんだ尻尾を抱え、怯え切った目で私を見た黒猫が、ほろりと涙を流した。あ、これ、ダメなやつだ。


「ほええええええんんっ」


 大泣きを始めた猫又に気がついた明楽君が、ゲームのコントローラーを放り出して、私たちのところにやってきた。


「どうしたの、猫ちゃん、大丈夫?」


 明楽君が、話しかけたというのに猫又は、また、「つーん」とばかりに、顔を背けるという生意気な態度で明楽君を無視した。この猫又、本当に態度が悪いな。わざわざ、ゲームを放り出して、明楽君が心配して駆けつけてくれたというのに、それはないよ。


 大泣きする猫又と私を交互に見つめる明楽君。まずい。明楽君は、私が猫又を泣かしたと考えているに違いない。


「ふーちゃん、猫ちゃん、どうしちゃったの?」

「えーと、ちょっとした誤解があってね。パンチ君、お迎えというのは、明楽君のお家のことだよ。うちみたいな、濃厚な魔力や妖力が漂っている人外魔境だと、パンチ君もくつろげないでしょ。だから、明楽君のお宅でちょっとだけお世話になる方が君のためなんだよ」


 明楽君の疑いの視線に耐え切れずに、必死で猫又に説明を試みるも、当の妖は、おいおいと泣き続ける。いやいや、明楽君、私じゃないから、そんな目で見ないでよ。私は、無実の人畜無害の良い子豚だよ。


「ちょっと、パンチ君、私の言ったこと聞いてた?」


 私の焦る姿に、猫又の口角がくいっと上がった。


「うわああああんんっ。若様が私をどっかに追い払っちゃうよーっ。黒龍さまに怒られちゃうよーっ。千台に帰りたいのに、帰れないよーっ」


 ・・・どう見てもウソ泣きだよね、それ。


「猫ちゃん、めちゃくちゃ棒読みだね」


 さすがに、猫好きの明楽君も、パンチ君の下手すぎるウソ泣きには呆れていた。面倒くさいので、とりあえず放置しておくか、と考えていたら、部屋の外から牧田の声が聞こえた。


「若様、小野子爵が明楽君のお迎えに来られましたよ」

「ぎぃいいいいいいいっ」


 扉を開けた牧田の姿を見た途端に、猫股がぱたりと気絶した。


「猫ちゃん、気絶しちゃったよ。どうしたのかな」


 心配そうな明楽君を前にして、私と牧田は苦笑するしかない。まさか、銀狼の妖力にあてられて気絶したとは言えないよね。


「泣き過ぎて、疲れちゃったんじゃない?」

「それより、小野子爵がお待ちですよ」


 牧田が、そそくさと、床の上に放り出されていた明楽君のカバンと上着を拾い上げて、明楽君を促した。


「今日は、峰守お爺様じゃなくて、お兄さんなんだね。真護、明楽君、この【風壁】、解除してよ」


 私も、牧田と一緒になって、明楽君の気を逸らす。猫又の入った【風壁】の箱は、真護と明楽君の合作なので、二人に解除してもらった。でろんと、だらしなく仰向けにひっくり返って気絶している猫又を明楽君に渡すと、明楽君は、嬉しそうに受け取ってくれたけど、そんなに嬉しそうにされると、私の良心が疼くよ。


 この猫又は、何故か態度が悪い。他の妖達は、私の友達だと言うと、フレンドリーとはいかないまでも、それなりにちゃんとした態度で接してくれるのに、パンチ君は、妙にツンツンしている。


「牧田、この子、明楽君や真護に態度が悪いんだよ。このまま小野家に引き取ってもらっても大丈夫かなぁ」

「僕は、無視しようとしてたから、あんな態度になるのは当然かと思うけど、優しく接してくれる明楽君に、あの生意気な態度はないよね」


 真護も帰り支度をしながら、私の言葉に同意した。


「そうですか。それは問題ですね。我が家を出る前に、ちょっと釘を刺しておきましょうか」

「うん、よろしくね」


 はい、猫又パンチ君、教育的指導が入ります。死なない程度に頑張りましょう。うひひひ。


 猫股を抱えて嬉しそうに、にこにこしている明楽君の隣で、にやにやしている私。その後ろを訝し気な真護と、苦笑しかできない牧田。四人で、私の部屋のある瑞祥邸から、渡り廊下を通って、嘉承家の玄関ホールに移動すると、小野子爵が両手をぶんぶんと振っていた。


 相変わらず、明楽君激ラブだよね、この人。


「明楽、お家に帰るぞ。ん、何だ、その猫ちゃんは?」

「お兄ちゃん、この子、千台の黒龍さまのお使いの猫ちゃんだよ」

「は?千台のコクリュウサマ?」


 小野子爵は、西都に領地を持つ公家ながら、生まれも育ちも帝都だ。根っからの西都民にとって、妖は、日々の生活に時々絡んでくる存在なので、「ああ、黒龍様ですか」という反応になるんだけど、小野子爵は、黒龍と言われて、きょとんとしている。


「千台の山間に、那智の黒羽と呼ばれる黒い龍が御住まいなんですよ。この子は普通の猫ではなくて、妖なんですけど、その黒龍様のお使いで、西都まで私に会いに来たそうなんです」


 私の説明を聞くうちに、小野子爵が目を瞑って考え込んでしまった。


「ふーちゃん、今、龍って言った?」

「はい、言いました」

「いるんだ、やっぱり」

「はい。西国には、貴船の白龍様と、那智の黒龍様がいらっしゃって、瑞祥の水の魔力持ちは、毎年、春先に白龍様にご挨拶に上がってますよ」


 小野子爵が、頭を抱えながら、「落ち着け、俊生、ここは魔都だ。お前がいるのは、嘉承大魔王家だ。何でもありなのは、分かっていたじゃないか」と、ぶつぶつと言い出した。


 小野子爵の態度に、明楽君が「ごめんね」と謝ってくれた。明楽君のせいじゃないし、小野子爵がちょっとアレなのは今に始まった話じゃないから、別にいいよ。


「小野子爵、それより、この子、猫じゃなくて猫又なんですけど、小野家で悪さをしないように言い聞かせますから、連れて帰ってもらってもいいですか」

「は?えっ、何?猫ちゃんじゃないの?妖?」


 黒龍の衝撃から、まだ立ち直れていない小野子爵は、続いて出て来た猫又という存在に理解と理性が追い付いていないようで、ただただ目を泳がせていた。


「えっ、えっ、ちょっと待って。この子、妖なの?普通の猫にしか見えないけど。危なくないの?」


 普通は、そう考えるよね。牧田やきつね先生のように、高位の存在は、妖力も、ほとんど神威と言っていいくらいで、人間よりも遥かに知的で理性的だけど、小さい妖は、悪戯好きが多くて、帝国全体では、妖は、人に悪さをしては裏でほくそ笑んでいる厄介な存在と認識されている。ちなみに大きな妖は、天災扱いで、特級は傾国、超特級は国の滅亡と言われている。うちに、超特級サマが若干一名存在するのは、トップシークレットだけど、どう考えても、うちの冥王の方が危険度は高いと思う。


 躊躇している小野子爵に、明楽君が頼み込んだ。


「お兄ちゃん、お願い。うちに連れて帰ってもいいでしょ。僕がちゃんとお世話するから。ふーちゃんのお家は、毛の飛ぶ生き物は飼えないんだって。真護君のお家は猫は嫌いだし、うちが引き取らないと、この子、行く場所がなくなっちゃうんだよ」


 うちは、本当の猫なら、牧田は許してくれると思うけど、妖はダメなんだよ。牧田が、というより、妖が、この家に流れる魔力と妖力の強さに耐えられないから。それに、この子には、行く場所はあると思うよ。千台の黒龍様のところへ戻ればいいだけだよね。


 とは言え、必死に小野子爵を説得しようとしている明楽君の援護射撃はしておかないとね。


「子爵、小さい妖ですから、妖力もあんまりないですし、危なくはないです。普通の猫が二足歩行で、ぺらぺら喋ると思ってもらえば。でも、ちょっと、態度が生意気なので、私と牧田で言い聞かせますから」

「え?何で牧田さん?」


 しまった。余計なことを言っちゃったよ。


「西都の嘉承家で長年、家令を務めておりますと、妖の訪問も日常茶飯事になりまして」


 牧田が、にっこりと小野子爵に伝えた。うん、それは事実だ。


「なるほど」

「ええ、それで、態度の悪い妖には、うちの魔王閣下に生贄にして差し出すって言うと、皆、突然、お行儀が良くなるんですよ」


 ・・・噂の根源は、まさかの牧田だった。どうりで、パンチ君が、生贄に差し出されると、めちゃくちゃ怯えるはずだよ。


「なるほど、それは誰でもそうなりますよ。嘉承公爵閣下とは絶対に敵対できませんからね」


 そして、完全に納得する小野子爵。父様、何かごめん。


「というわけで、若様、猫股を起こしてあげましょうか」


 牧田の笑顔も、パンチ君のウソ泣き並みに、わざとらしい。そして、笑顔をキープしながら、猫又にデコピンをした。絶対やると思った。


「いだっ」


 パンチ君が文字通り、狭い猫の額を押さえながら目を覚ました。牧田は完全に妖力を隠しているけど、妖には伝わるらしいので、また気絶しないように、薄く【風壁】をパンチ君に纏わせる。


「パンチ君、私がいるから、大丈夫だからね。余計なことは言わないように。いいね」


 パンチ君が叫び出す前に、小さな猫の口を押えると、こくこくと頷いた。よし、牧田の前では、良い子だね。口に当てた手を退けても叫ばないので、話を続ける。


「パンチ君、黒龍様のところにご挨拶に行くという話は、私の保護者の許可がいるから、今日はお返事できないんだよ」


 白い毛が生えた口元をきゅっと結んで、こくこくと頷く小さな猫又。黙っていれば可愛い黒猫なのにな。


「お返事するまで、うちにいると、小さい君には辛いことになると思うから、とりあえず、西都にいる間は、明楽君のお家にお世話になろうね」


 ところが、ここで、猫又の首肯が止まった。


「猫ちゃん、うちに来るのは嫌なの?」


 明楽君の質問に、猫股が、ぶすっとした顔でぼそりと呟いた。


「猫ちゃんじゃないし。俺はパンチだし」


 こいつは、また、生意気な態度を!牧田の前でいい度胸じゃないか。


「パンチ君、はっきり言って、明楽君とここにいる小野子爵以外は、誰も助けてくれないよ。生意気な態度をとっていると、大魔王に差し出すからね」


 私がそう言うと、小さな妖は、きゅっと金色の目を瞑って、両手をぎゅっと握った。


「でも、若様、風は、嫌いなんです。特にこいつは嫌いだ」


 そう言いながら、猫股が、明楽君の腕の中から逃れようとした。


「パンチ君、何で、そんな失礼なことを言うの」


 私が咎めると、また猫又の金の目から、ほろりと涙が流れた。


「だって、若様。風は、俺から大事なものを取っちゃうから・・・」


 小さな妖が、えぐえぐと、今度は本当に泣き出した。

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