ある大学生の追憶

第1話 邂逅

 これは、私が西都大学法学部に一年という期限付きで国費で留学していた頃の話だ。留学というと、一般的には海外で学ぶことをさすが、この曙光帝国では、西都留学という言葉が古くから成立している。外国よりも、衝撃的なカルチャーショックを受けると言われるのが魔都・西都だからだ。先ず、魔都の二つ名の通り、魔力持ちが異常に多い。魔が魔を呼ぶのか、妖も多い。精霊と呼ばれるいにしえの存在も普通に存在しているという訳の分からない土地だ。言葉が違うだけで、隣国に留学した時の方が、よっぽど普通に暮らせたと思う。


 その何もかもが出鱈目な魔都で、私は、西都の七不思議と言う都市伝説を耳にすることになる。


 あの千年都市で真しやかに囁かれる話の中に嘉承公爵家の家令が不老不死ではないかというものがある。嘉承家には牧田という家令が千年もの間、仕えているそうだ。実際のところ、この話は、帝国の歴史の語り部を担っている大宅世継おおやけのよつぎ夏山繁樹なつやまのしげきのように、その名を代々世襲しているのではないかというのが真相らしい。


 都市伝説というのは、きちんと調査すると、着地点は、だいたいそんなものばかりだ。夢がないと言われればそれまでだが、非科学的なことを妄信されては、帝国の発展に影響しかねない。


 それなのに、西都の連中は「まぁ、嘉承公爵家ですからね。本当に千年生きているかもしれませんよ」と、すべからく笑って済ませている。西都民というのは、公家も一般市民も、ことごとく、あり得ないことを「まぁ、嘉承公爵様ですから」という伝家の宝刀で、普通に受け入れてしまうという謎の生活を送っている。


 そんな西都の商店街を歩いていたある日のことだ。西都の繁華街の真ん中を走る大きな商店街は、老舗ぞろいで、なかなか良い品物を手頃な値段で置いているところが多い。私は、そこにある大きな本屋が気に入っていて、週末毎に欠かさず通っていた。西都大学の教授たちも通うと言われて納得の専門書の充実ぶりは、帝都でも見かけないような規模で、この一年で、予算の許す限り良書を手に入れようと思ったからだ。


 その本屋から少し歩いたところに、傷だらけの薄汚れた子供がうつ伏せになって倒れていた。髪はボサボサ、着ている服もボロボロだったが、それより何より、私の目を引いたのは、その子供に大きな尻尾と、三角の耳が生えていたことだった。


 すぐに人が周りに集まったが、誰も、尻尾の生えた子供を見ても騒がなかった。帝都のご婦人達なら、直ぐにでも叫び出しそうなものだが、ただただ、誰もが皆、純粋に心配しているだけのようだった。人々が、西都総督府に連絡をなどと言い合っていると、涼やかな白の狩衣姿の不思議な雰囲気の青年が、ふいに声をかけてきた。


「ああ、これは間違いなく嘉承案件だね。誰か稲荷屋を呼んで来てくれないかな」


 何だ、そのおかしな案件名は。さらにおかしなことに、それに何の疑いもなく、その場にいた全員が頷いた。


「はいっ、僕が呼んで参ります」


 西都公達学園の高等科の緋色のネクタイをした少年が、元気に手を上げた。


「そうかい、ありがとう。よろしく頼むね」

「はい、任せてください!」


 実直そうな少年がぺこりとお辞儀をして、走り去っていく姿は、何とも微笑ましいが、ちょっと待て、西都民。その嘉承案件とは何だ?


「やっぱり、西都公達学園は、いい教育をしているねぇ」

「長年の東久迩学園長の功績が認められて、この秋にも男爵から子爵に爵位が上がるそうだよ」

「ああ、陛下も見る目がおありじゃないか。東久迩学園長は、それは熱心な教育者だからね」

「そのご子息も、素晴らしいよ。うちの娘の担任なんだけどね」


 噂好きらしい西都民が、ひとしきり東久迩男爵の話で盛り上がったところで、ふと神官と思しき青年の立っていた方を見ると、もうそこには誰もいなかった。


「あれ、いつの間に」


 青年がいなくなったというのに、誰もそれをおかしいとは思っていないようだ。


「さっきの狩衣の青年が消えたんですけど」

「そりゃ消えるでしょう。お稲荷様もヒマじゃないんだから」


 はあああああ?


 何で、そこでお稲荷様が出る?しかも、何で、全員、疑問を一切持たずに頷く!?


 子供が倒れている場所は、由緒正しい寺院や大社の多い西都内でも、ことさらに大きな門構えを持ち、参拝者の堪えない節美ふしみ稲荷大社の前だった。


「いや、ちょっと、皆さん、おかしいですよ。お稲荷様って何なんですか」

「節美のお稲荷様が、この子のことを心配して見に来て下さったんですよ」


 皆、何を当たり前のことを言うんだという怪訝な顔で私を見た。いや、私がおかしいのか。そんなはずはないだろう。


「この子、妖ですよね。陰陽寮に通報するのが曙光国民の義務でしょう」

「滅多なことは言わないでくださいよ、お兄さん。お稲荷様が嘉承案件と仰ったんですよ。その通りにしないと罰が当たりますからね」


 だから、その謎の案件は何だ!罰が当たると言った男の言葉を受けて、その場にいた全員が、ここから見える大きな赤い鳥居に向かって手を合わせた。


「ほら、お兄さんもちゃんと手を合わせて。罰が当たるよ」


 謎だ、西都市民の生態は。あまりに謎過ぎる。何で、そんな非現実的なことに誰も疑いを持たないんだ。


「皆さん、お待たせして、すみませんねぇ」


 私が悶々としているところに、えびす顔の福々しい男が、にこにこしながら現れた。


「ああ、稲荷屋さん、良かった。妖の子供が、ここで落ちていたんだよ。拾って嘉承公爵様に届けてくれるかな」


 だから、妖は拾うもんじゃない。国民の義務だ、陰陽寮に通報しろ、西都民!


「さっきお稲荷様が現れてね、嘉承案件だって仰ったんだよ」

「お稲荷様が仰るなら間違いありませんねぇ」


 のんびりとした口調で、えびす顔の男が同意すると、周りも、うんうんと頷いた。どうやらこの男が、名に聞こえた帝国一の菓子屋の稲荷屋の主人らしい。稲荷屋は、古都である西都でも一、二を争う歴史のある菓子屋で、その売り上げは、帝国の菓子業界では、大きな菓子会社でも敵わないほどに群を抜いている。それは、ひとえに、西都の魔力を持つ公家を全て顧客に持っているからだった。特に、曙光貴族の中で、一番位の高い嘉承公爵家と瑞祥公爵家の一ヶ月の菓子代は、帝国の平均的な四人家族の一年の生活費よりも、遥かに多いと噂されている。


 このえびす顔男は、どこまでも、おっとりとしていて、とてもやり手の商売人には見えないが、人は見かけによらないのかもしれない。


 人垣が、稲荷屋の主人に道を開けた先に、尻尾と三角耳の生えた子供が倒れていた。いまだに、気がつく様子がない。まさか、死んでいないよな。


「はい、はい、確かに。これは、間違いなく嘉承案件ですね。うちから、嘉承公爵家にお知らせに上がりますので」


 稲荷屋が、その場に集まっていた人々に頷いてみせると、誰もがほっとした表情になった。


「さてと、どうやってこの子を嘉承公爵の元に運びましょうかねぇ」


 えびす顔の稲荷屋は、おっとりと首を傾げた。いやいや、そんな簡単に一般市民が公爵家に行けるはずがないだろう。下手すりゃ不敬罪で捕まって、店が潰されるぞ。それは困る。私は、稲荷屋のお菓子のファンだ。特に季節の和菓子は秀逸だ。あれが無くなるのは困る。母も弟も妹も困る。


「稲荷屋、良かったら、手伝ってやろう。私は土の魔力持ちだ」


 食い意地に負けて、思わず稲荷屋の主人に話しかけてしまった。


「ああ、菅原伯爵家のご嫡男様でいらっしゃいますね。いつも御贔屓にありがとうございます」

「えっ、何で」


 帝都でも、私の顔を知っている商人などいないというのに、何で、この西都でこのえびす顔の福々しい男は迷わず、私の素性を当てたのか。


「お客様のお名前とお顔を覚えておくのは商売の基本ですから。菅原伯爵家には、いつも季節のお菓子とどら焼きを届けておりますので、当然でございます」


 稲荷屋は、おっとりとした声でそう言うと、丁寧な所作で頭を下げた。


「先月になりますが、伯爵夫人が、ご嫡男様が西都大学に留学されるので、西都のお公家様への挨拶と仰って、沢山の菓子折りを注文してくださいまして。誠にありがとうございました」

「ああ、母がそんなことをしていたのか」


 母なりに、人付き合いの下手な私のことを案じてくれていたようだ。それにつけても、何故、この稲荷屋は私の顔が分かったのか。会ったことなどなかったはずだが。稲荷屋に問い正そうとすると、集まっていた西都民の一人が先を越してしまった。


「稲荷屋さん、若様だよ」


 さっと人垣が割れると、その中から、生まれながらの王者のような風格を持った、やけに華のある男の子が現れた。公家の子か。


「こんちゃん、何かあったのか?」

「ああ、若様、本当に良いところに。今から御屋敷に伺おうと思っていたところですよ」


 稲荷屋が行こうとしていたのは、嘉承公爵家だ。ということは、この子は、そこの若様、嘉承の君か。その割には、商人相手にやけに気安くないか。


 とは言え、うちは伯爵家だから、父でも、この子自身の位よりも下になる。無礼は許されない。頭を下げて、声を掛けられるのを待つ。


「そこのお兄さん、土の魔力があるね?」


 ぎくりとした。確かにうちは、代々、土の魔力を持つ家で、私も土の魔力持ちだ。顔を上げると、少年が迷いなく私を名前で呼んだ。


「ああ、菅原の君か。なら、話が早い。ゴーレムを出してくれないか。この妖の子を家に連れて帰りたいんだ」

「は?いえ、あの嘉承の君。はじめまして。あの何で私の魔力と名ま・・・」


 嘉承の君に、しどろもどろで挨拶をして、何故、私の魔力を当て、名前もご存知なのか尋ねようとしたところに、また邪魔が入った。


「なー君、この子、ヤバいよ。毛が銀色だ」

「このまま連れて帰ったら、先生に怒られるかもよ」

「連れて帰る前に、誰か水の魔力持ちを呼んで、綺麗にしてもらおうよ」


 嘉承の君と同じ、西都公達学園の制服を着た男の子たちが、妖を見て動揺していた。公達学園は、帝都も西都も南都も北都も、全て同じ制服だ。胸のリボンが萌黄色ということは、まだ全員小学生のはずなのに、どの子もやけにふてぶてしい・・・じゃなくて、なかなか堂々とした佇まいの子たちだ。


「そうだな。誠護、お前、ひとっ走りして、お父さまを呼んで来てくれるか」

「うん、なー君、いいよ」


 誠護と呼ばれた子が、了承すると、あっと言う間に消えてしまった。あれは、風の魔力持ちだ。何なんだ、あの年齢で、もの凄い魔力を感じたぞ。


「あ、あの、嘉承の君、お父様をお呼びするということは、嘉承公爵がいらっしゃるということですよね」

「まさか。あんな大魔神を呼び出したら、半殺しの目にあうよ。水の魔力がいるんだから、瑞祥のお父さまに決まってるって」


 大魔神に半殺し?瑞祥のお父様!そうだ、嘉承家には、カッコウの伝統があって、嫡男は代々、瑞祥公爵家で養育されているという話だったが、あれは本当だったのか。


「なー君、この兄ちゃん、誰?」

「博實、あの人じゃないか。ほら、菅原伯爵家の」

「ああ、菅原の君か」


 なー君って何だ?いやそれよりも、おいチビっこたち、何で、私が菅原と分かった?



 これが、私と恐るべき子供達、嘉承の君とその側近の四人との邂逅だった。


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