第14話

 激しい頭痛。

 頭の中に鳴り響く鈍痛の鐘楼に、ペルーシュカは強制的に意識を覚醒させられた。


「う、ぅ……ぁ……痛ッ……」


 全身の痛みに、表情が歪む。

 それでも何とか現状を把握しようと瞳を開くと――そこに、見覚えのある顔があった。


 ごつごつした、石ころみたいな四角い輪郭。

 短く刈った芝生みたいに、ざらざらした無精ひげ。

 太い眉と小さい瞳が、にっと笑いながらペルーシュカを見下ろしていた。


「あ……ガラ、さん?」


 名前を呼ばれた男――ガラは、目を覚ましたペルーシュカにゆっくりと頷く。


「チビ、久しぶりだな。ようやく目を覚ましたか」

「お久しぶり……です――ここは……」


 見れば、そこはエルムンド施療院にある病室だった。

 ペルーシュカは横になったまま、疲れたように溜息を洩らした。


 全部、思い出した。

 自分は戦いに負けたのだ。


「随分うなされていたみたいだが、平気か? 水でも持ってきてやろうか?」

「ええ、大丈夫……です」


 頷くけれど、ペルーシュカの顔色は悪いままだった。

 夢を見たような気がする。

 

 それは家族と、両足を失う夢。


 数年前。

 ペルーシュカの住む村を、盗賊が襲った。

 例年でも稀に見る作物の不作により、近隣の村落の男たちが盗賊と化し、ペルーシュカの住む村を襲ったのだ。


 村の建物は全て焼き払われ――抵抗した両親は殺された。


 まだ幼かったペルーシュカは、炎上する家から逃げ出そうとして、倒れてきた燃えさかる支柱に両足を挟まれてしまった。


『痛み』という意味では、これから先の人生、あれを上回る痛みは感じることは無いだろう。感じたとしたら、その瞬間に死んでいる。


 両足が炭になったところで、助けに現れたのはルーデットだった。

 まだ”魔導爵”に成りたての彼女は、たまたま近くの街に診療に来た帰り道で村の異変を感じ取り、立ち寄ってくれたのだ。


 圧倒的な魔力で盗賊を追い払い、両足が焼けたペルーシュカを救出。

 次にペルーシュカが目を覚ましたのは、今と同じ……エルムンド施療院の一室で、白い天井を眺めていた。


 そこでペルーシュカは、自分の足も、両親も、村もこの世からなくなってしまったことを聞かされた。


 恐ろしい夢だ。

 怪我をしたり、落ち込むことがあると、絶対に見る悪夢。


 忘れていたはずの『絶望』という名の生き物が、眠っている間に最悪の思い出を耳打ちして消え去るような、吐き気をもよおす気分である。


 窓の外を見れば、そこに闇が広がってる。


 ペルーシュカの記憶では、大男と戦っている時は昼間だった――戦いに負けた自分は、半日近く気を失っていたらしい。


「……あの、ルーデット様は?」

「さっきまで、ここにいたぞ。つきっきりでお前の手当てをしていたぜ。でも、今はちょっと席を外している」


 ペルーシュカの表情に微妙な笑みが生まれた。

 ルーデットは、とっても優しい。

 それは嬉しいのだが――けれど、今の自分はどんな顔をして主に会えばいいのだろう。


「サーラちゃんは……?」

「サーラってのは、お前たちが保護していた獣人の少女だったな。あの子なら、連れていかれちまったみたいだぞ。俺がもう少し早く合流できていればよかったんだが……すまんな」


 言いながら、低く頭を下げるガラ。

 ペルーシュカは首を横に振る。


 ガラは、悪くない。悪いのは、自分だ。


 弱い、自分だ。


「ま、気を落とすな。ルーデットも何とかしようと、動いてくれている。お前はちょっと寝ていろ。眠れなくてもいいから、何もするな。今は、そういう時間だ」

「…………はい」


 ガラは傷だらけの分厚い手で、ペルーシュカの頭をぽんぽんと叩く。

 サーラの事が心配で、気持ちとしては居ても立ってもいられない。

 けれど、身体が言う事を聞かなかった。


 ペルーシュカは疲労に押しつぶされるように、ゆっくりと目を閉じる。

 それからすぐ、穏やかな寝息が病室に響いた。


▽▼▽


 翌朝。

 ペルーシュカは日の出よりも少しだけ遅く目を覚ました。

 

 毎朝、ルーデットを起こしに行く時間だ。

 規則正しい生活のお陰で、たとえ肉体が傷つこうとも体内時計はいじらしいほど正確。

 ぐっすりと眠ったおかげで、体力もほとんど回復。

 義足があれば、問題なく歩くことが出来るだろう。


 けれど、今日はルーデットを起こしには行けない。

 疲れて動けないから――では、無い。


 ペルーシュカが目を覚ますと、ベッドのすぐ隣にルーデットが椅子に腰を下ろしてこちらをジッと見つめていたから。


 朝日に、長い黒髪が艶やかに輝く。

 目つきが悪くって、女性にしては威圧感のあるルーデットの顔だが、口元を笑わせると、途端にそこに愛嬌が生まれる。


 なんだか、安心する笑顔。

 そんな主の顔を見入っていると、ルーデットは不思議そうに小首を傾げる。


「おはよう、ペル。どうした、私の顔が珍しいのか?」

「あ、いえ……すみません。おはようございます、ルーデット様」

 

 さすがに、朝からルーデットのまともな顔を見て驚いた、とは言えない。

「あはは」と取り繕う様に笑って――ペルーシュカは視線を落とす。


「昨日は、すみませんでした……私、負けちゃったみたいです」


 その言葉の意味。

 重さ。

 ペルーシュカは、誰よりもそれを理解しているつもりだった。


 ペルーシュカは”調律兵”である。

 盗賊に襲われ、家族、そして両足を失った彼女は、ルーデットに協力し”調律兵”となることで、あらたな家と足を貰ったのだ。


 その恩に報いるため、ペルーシュカは一個人としてだけではなく、一つの兵器としてルーデットの障害を排除する使命を担っている。


 そうした活動は、遠回しにだが義肢の技術発展に貢献し、ルーデットの身を護る大切な任務へとつながる。

 だから、『戦いに負ける』ということは、ペルーシュカの存在意義の敗北でもあった。


 ペルーシュカは主の細い瞳を見つめ、深く頭を下げる。

 けれど、当のルーデットは気にしていないという風に首を横に振った。


「気にするな。私も油断した。あんな化け物が出てくるとはな」


 化け物……それは、右腕が獣のような体毛に覆われ、尖った爪を伸ばした大男のこと。

 あれは、何だったのだろう。

 人とも獣とも違う――本当の意味で、怪異を見たような気がする。


「本気で戦ったら、勝てるかな……」


 ぽつりと言葉をこぼすペルーシュカ。

 小さなナースを見て、ルーデットが低く笑った。


 勝てるかどうか。

 それはペルーシュカの心の刃が、まだ折れてはいないことを意味していた。


 彼女の密かな戦意を感じ取ると、ルーデットはゆっくりと話を続ける。


「なぁ、ペル。それで、サーラのことなんだがな」


 サーラ。

 その言葉に、沈んでいたペルーシュカの表情がはっと我に返る。


「……サーラちゃん、どうなっちゃうんでしょう」


 落ち込んだ声に、黒い魔女は「それについて、今から話がある」と短く前置き。

 一呼吸おいて、ルーデットは染み込ませるような、ゆっくりとした口調で呟いた。


「サーラを攫った連中の正体が分かった。明日の夜、そいつを捕えに行くぞ」

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