『世界に解けた少女』

 狭い空間に本が舞い。空間は文字で満たされる。

 私はその意味のない海に潜る。何処かに真理があると信じて。


 だ。

 無限の空間を埋める書架。そこに私達は暮らしていて。

 だから。人類を名乗る前にこういう、「司書のふみです」と。

 この図書館が何の為にあるのか?私には分からない。

 しかし。


                ◆


「文さんや」と眼の前のろう司書は問う。

「おはよう」と私はこたえて…なんとなく朝な気がするだけ。仄暗い光に満たされた世界では昼夜のべつは曖昧だ。

「見つけれたかい?は?」そう期待しつつも、諦めの声で聞かれる。

「何時も通り。意味のない羅列だけ」

「真理なんぞ―ないのかも知れんな」そういう老人は寂しげで。

「私達はないものに踊らされてるだけなのかもね」と私はシニカルに言う。

「そう思うと。生きていることに意味はないのか?と問わざるを得ない…何時でも投げ込んでくれて良いからな?シャフトに」そう彼は言う。シャフトとは。六角形の図書室の中央の穴の事だ。こいつが何処に繋がっているのかは知らない。死んだ司書はそこに投げ込まれる。

「生きたまま放りこむのはゾッとしない」と私は控えめに言うが。その気持ちが分からないでもないのだ。

「この図書館という空間では。生きてても死んでてもそう変わらないと思わないかね?」

「明確な差を感じるな、私は。まだ若いからかな」生と死の分水嶺。そこには明確な区切りがある。のだ。

「かもな。そそのかすような事を言って悪かった」と老人は謝る。

「良いんだ。そういう言質も聞いてなきゃ、だからね、私ら若い司書は」そういう自己正当化は若者の特権なのかな。

「良い良い…自らを疑うなんて。歳を取ってからでも出来るのだから」にこやかに言う老司書。

「…じゃあ。私は―この妙な確信をもって旅に出るよ」空間を占める無限の六角形への遍歴へんれき。真理という本を探しに私は旅に出る。

「狂うなよ」見つからない真理、それに耐えられず発狂するものも多い。


                     ◆


 遍歴の旅。無限に続く六角形をなぞって、目指す一冊を追い求めて。

 


 独我論どくがろん的な世界観。私から世界が開けているととらえる…この無限図書館を、無限書籍を、無限文字を


 それならば?私という存在は何になる?頭に浮かぶは自己相似じこそうじ図形。野菜のロマネスコを思い出して頂きたい。あのように。集合を成すものは実は自己に似たものである…


 そう。私の中にも図書館がある?しかし、そこに潜るのは難しい。アクセス法を私は知らない。


 だから横着な私は。今日も今日とて世界を探り…を求める。

「誰か―私を教えてよ」そうつぶやいてはぺーじをめくり。そこには意味を成さない文字列しかなく。

 

                   ◆


 

 世界の全ては本でしかなく。それを構成する文字が全てだから。

 表音文字25種。それが私達に与えられた全てで。

 それでどれだけの意味を表すことできるのだろう?それを思うと憂鬱で。

 言葉という不完全なもので意味という不完全なものを成し。それを組み合わせて本は出来、その本が詰まった書架が世界を満たす。


 そこに何の意味を求めよ、と?

 そう。分かってる。と。

 しかし。動物的欲求だけで生きるのはあまりにも空虚で。

「世界は言葉と共にあり…ね」

 そう呟く声は厳かに、静かにそびえる書架に吸い込まれ。消えていく。


                  ◆


「順調かい?ふみ?」そう問いかけるは同じく巡礼の司書。

「いいや。余計分からなくなったよ」私は彼女に愚痴る。

「意味を求める病なんて―かからない方が良いんだよ」とうそぶく彼女。

「だがしかし。意味がない事なんて本だけで十分だと思わない?」私は何時もの言葉を投げかける。

「…?神とやらは」そう応じる巡礼。メガネのフレームを弄る手。それが彼女を意味づけてはいないだろうか?

「…神なんて。居ない、と言い切りたいよね?」

「だろうね。私達が産み出した―幻想だ」

「なのに居るとも思えるんだ」この世界を始めた者。それが居ないのなら。ここには秩序はない。少なくとも今の状態たり得ない。

か?」そういう彼女は確信に満ちていて。

「そうだったら。私はこういう風に彷徨さまよわずに済んでるんだけどな」自己に神が居るのなら。世界を彷徨うろつく意味はない。

「そうさ。君は―このシャフトに、身を投げ込めばいいさ」と彼女はこの図書室のシャフトに目を遣る。そこには暗い空虚が広がっていて。


                   ◆


 空虚。それは何もない、という事だが。

 この穴にはかつての存在のおりが溜まっている。それを私は感じる。

「落ちれば―巡礼の数が減るよね」と私は彼女に告げ。

「ああ。真実なんて探す阿呆を1人減らせる…こいつは私の存在の中では善だな」メガネの鼻元を気にする彼女。

「…貴女あなたの中の善…というのが気に食わない」彼女という存在の中の善など私には関係ないことで。

「言い換えよう。楽にしてやれる」

「貴女は何時から宗教家になったの?」

「たった今から」

「笑わせる」

「世はべて喜劇である」シニックな笑みが眩しい。

「どっちかって言うとスラップスティックドタバタ劇って感じだけど」

「我々にお似合いじゃないか?」

「まあね?」私達なんてこの図書館という世界の舞台を賑やかす端役でしかなくて。

「なんなら付き合ってやっても良い」彼女はそう言い。

「どうして?」と私は問う。

「良いかい?鹿は―んだよ」

「貴女。自分で神を創って―そこにじゅんじようっての?」。だがそれも生き方の1つではある。

「そういうこった…疲れたんだよ」そういう彼女の目の下はクマに縁取られ。


                    ◆


 私と彼女は手を握って。

 六角形の中心に進み出る…そしてそこに空いた穴に―ふたりで飛び込んで。


                    ◆


 無限に落ちていく体は。

 風の中にほどけて消えていく。

 そこに救いはあったのか?

 …ない。ただ。世界の中に私がかえって行くだけで。

 落ち続ける中で、体の肉ががれて。むき出しになった皮膚に風が染みて。骨を風が震わせる。そして臓器も何も暗闇にまれて。私はこの図書館に還元かんげんされて。


                    ◆


ふみ?」そう問う声が聞こえて。

「…ごめん寝てた」なんて私はこたえる。

の?」そう問う彼女のメガネにあかね色の夕日が反射して。その飽和した白の粒子が眩しくて。

「…選りに選ってボルヘスだよ」と私は『伝奇集』の文庫本を彼女に示す。

。いい夢見れそう」とクスリと笑う顔が可愛い。

「いやあ。アンタにそそのかされたよ?」なんて言い。

「私が?文を?そんな訳はないと思いたいんだけどね」

「いいや。無神論を傘に私に自殺を推奨したね。ゆうは」彼女は悠という。

「私は―どっちかって言うと神を信じる口だけどね?」

「むしろドラステックに無神論者なのは私」神なんて必要に応じた発明。それが私の哲学で。

「かく言う私も人が開発した神は信じないけど。対話という機能を失い、イデオロギーと化したモノ…そのデコイ祭り上げられたものなんて信用しない。あるのは自然という神だけ」

「私は自然にさえ神を見出さない…あるのは多くのモーメント機構。それが偶々たまたま神のように見えるだけ」

「そういう風に生きてると―生きがいを見つけるのは難しそうだ」

「全く持って。学校教育に意味を見出すのも難しい」。あの図書館の世界みたいに。


「…そんな事忘れてさ」

「…甘い物でも食べいく?」空虚な世界でも。存在はただあり。それを仕方なしに続けていく…それが私達矮小わいしょうな人類に与えられた自由だ。


                    ◆


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

『世界に解けた少女』―【二次創作】【ホルヘ・ルイス・ボルヘス】『バベルの図書館』 小田舵木 @odakajiki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ