あなたが誰であっても


 あなたが誰であっても、あなたが世界中の敵になっても、わたしはあなただけを愛しつづけるよ。



 よくある恋愛話だ。


 わたしたちの恋のはじまりは、所詮、物語にも現実にもよくある恋愛話で、彼は高校生になってからの初々しい青春を一緒に過ごした相手。


 ありもしない永遠を追い求めて、「あなたが誰であっても、あなたが世界中の敵になっても、わたしはあなただけを愛しつづけるよ」なんてうさんくさい台詞までスイートコーティングできるくらいの。


 ――そんな、ただ、よくある恋。

 



 けれど、わたしたちの恋のはじまりこそ、よくある話だったけれど、そのあとはあんまり普通じゃなかった。


 わたしたちは普通じゃなくなってしまったから。


 デートに行ったり、たわいもないことで笑いあって、喧嘩したり、でもすぐ仲直りしたり、そういう普通のことさえ、できなかった。



「妊娠した」


 両親にそう告げたとき、物静かでどちらかといえば控えめで、理知的な雰囲気を持っていた父親が想像以上に逆上したことがショックだった。


 トロピカルティーのコップの底に溶け残ったガムシロップみたいに、リビングに気まずさとも言えない痛々しさが漂っている。


「相手は?」


 心あたりはないの? と半ば泣きそうになりながら言う母親を、滑稽なピエロみたいだな、なんて頭の片隅で思っていたわたしは、なんにも考えずに、


「心当たり? ……ありすぎて分からない」


 なんて告げたら、スイカのように顔を真っ赤にした母親が、ぴゃーーっと泣き出したからどうすればいいのか分からなかった。



「どこで育て方を間違えたのかしら」


 寝静まった夜、両親が話しているのを聞いた。


 高校生のわたしはじっと廊下に座り込んで、絶え間なく続くわたしへの不安をもらす言葉をBGMに目を閉じた。


「ショックよ……」


 いつもは活気のあって、ハリのある母の声が、に沈んでいた。


 でも、それよりも、腹の中にいる子の父親が、わたしの愛した彼じゃないことが一番、わたしにとってはショックだった。



 わたしはそうして、違う学校に編入した。


 生きるのさえ諦めた。頑張るのをやめた。彼とも別れた。このまま付き合っていてもどうしようもないから。


 彼はずっと理由を聞かせてと、わたしのことを心配していたけれど、もう、どうだっていいんだ。


 あなたのことを忘れられるのなら、忘れてしまいたいけれどわたしはそう簡単にはいかないだろうから。


 愛しいあなたを恋い焦がれて、心臓に宿った恋の熱で全身焦がされて死んでしまえばいい。



 元、がついた彼氏に背を向けて、腹にかかえた胎児を守るように手を当てながら帰路についた。



 高校生のとき振った彼氏が、何度だって夢にみては甘くて痛いくらいの思い出を甦らせた愛しい彼が、殺人犯として全国に指名手配されたと聞いたのはわたしが24になった頃のことで。


 編入先の高校では、陰気くさいキャラで突き通して、誰にもわたしが妊娠するようなやんちゃな子だとは知らせずに、こそこそと逃げるように卒業した。


 子供は途中で中絶した。わたし一人だけの手で、育てられる自信がなかったから。


 そうして、そこそこ名の知れた大学まで出て、中途半端に大きい企業に事務として入った。


 そこそこ真面目に仕事はしていたから、誰にもなににも言われることはなく平穏に過ごしていた。


 相変わらず、帰省した実家には濃度の濃いが沈んで、わたしの足元を濡らしていたけれど。



 そうして24のある日、たまたま見かけたテレビに懐かしい顔を見つけた。


 彼だった。全国への指名手配だった。殺人を繰り返し、何度も逃亡して、ついに指名手配されたんだと。


 スマホで、急いで彼のことを調べた。


 いろんな全科がのっていた。なんで指名手配されたのかものっていた。殺した人たちはみんな――妊娠した、高校生。


 血の気が引いた。


 わけもわからず、立ち食い蕎麦のお店で嗚咽しながら、やけに甘い醤油の味がするつゆにつけて、ざる蕎麦をすすった。



 ああ、どうなってもこんなにも彼が好きだ。


 ガムシロップに頭から溶かされてもいい。全世界を敵にまわしてもいい。妊娠した子の相手があなたじゃなくてもいい。なんだって、どうだっていい。


 ただ、彼に会いたい。


 少しでいいから話がしたい。


 彼が望んでいるかどうかなんて分からない。でも、わたしの最後の望みくらい、叶えようとしたっていいでしょう。



 会社をやめた。適当に嘘をついた。ほかにやりたいことができました。上司は怪訝そうにわたしをみて、辞職願を受け取った。


 貯金を切り崩しながら、彼を探した。


 無謀だなんて分かっている。でも、彼を探していないと自分が自分じゃなくなりそうで怖かった。


 そうして何日も、何週間も、何ヵ月も、彼を探した。



 彼に奇跡的に再会できたのは、たまたま彼が高校生を殺しているところを運良く見つけることができたから。


 そうじゃなかったら、わたしたちは一生出会えなかったと思う。


「ねぇ」


 声をかけた。できるだけやさしく。


 彼は振り向いて、無表情でわたしをみた。なんにも変わっていなかった。わたしが好きだって彼の面影そのままだった。


 名前を呼ぶと、彼は数秒たってからわたしが誰か気がついたみたいにわたしに抱きついてきた。


 あったかかった。


 触れようとして、夢の中で何度も指先をかすめた体温だった。


「愛してる」


 うわ言のようにつぶやいた愛の告白。彼のことを抱きしめて、強く抱きとめて、耳元で。


「あなたが誰であっても、あなたが世界中の敵になっても、わたしはあなただけを愛しつづけるよ」


 ってつぶやいた。



 彼の手からナイフをとって、わたしの腹に向ける。彼はあわててわたしに手をのばしてきたけれど、

「聞いて」

 と真剣に向き合ったら、しずかに耳を傾けてくれた。


 いままでのことを話した。なんであなたと別れたのか。ぜんぶ話した。包み隠さず。すべてを。


 彼はしばらくわたしの話をきいていた。朝日がのぼりはじめたころになって、ようやく口を開いた彼は、

「じゃあ。俺たちこれからどうする?」

 ってきいてきた。


「あなたと一緒に生きる。あなたがどうなっても、わたしだけはあなたを愛してるから」



       了

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