二十一、故郷を思う
優しい睡魔に襲われている。
そんなときに何かを話そうと思えば、ついいらない何かまで掘り起こしてしまうというものだ。
語る必要などないのに、リッドはどこから始めればいいだろうなどと自分の中にある欠片に手をのばす。霞の海をふわふわともがいているような感覚の中、一つめに手に触れた欠片は故郷に関するものだった。
「僕らは西の大陸の出身で――と言えば、たいていの人は境遇を理解してくれた」
霞に飲まれてしまわぬよう、最後の抵抗とばかりに背もたれの誘惑だけは撥ね除けた。
「遠くの国のことだから詳しくは知らないけど、国同士の争いが激化して情勢が安定していないんだろ?」
テーブルの下、サージュが足を組み替えた。
「国同士、ね」
ラパスが嫌な笑い方をした。そんな風に伝わっているのかと、木の実を口に放り込みガリッと噛む。
「概ねサージュの認識で間違っていないよ。ただまあ僕らの国はちょっと違って、内部のごたごたというか」
「そういうことで混乱しているうちに、横から出てきたやつにかすめ取られたんだ」
「ラパス、それは説明としては少し乱暴すぎやしないか」
「そうか? でも実際そうだろ? 馬鹿げた跡目争いのせいで国を失ったっていうんだから滑稽な話さ」
「国はなくなってはいないだろ」
「よそ者と腑抜けの王子が継いだ国が俺たちの国だと?」
笑わせるなと、また一本空にする。
どうも故郷の話となるとラパスは荒れる。
「当たり前だ。最後の希望だったお前はさっさと国を出てしまって国の奪還は叶わなくなった。俺たちは散り散りになるしかなかったんだ」
「僕にはそのつもりがなかったからね」
リッドはあくびを必死に堪えて言った。
二人のやりとりを聞いていたサージュが怪訝な顔をする。
「ちょっと待ちな。話がまったく見えてこないよ。最後の希望っていうのはどういうことだい。リッド、あんたそんなに凄いやつだったのか?」
そんな風には見えないと言わんばかりの視線がリッドに突き刺さる。
「彼が勝手に言っているだけさ。なにせラパスは昔から僕のことが大好きだからね」
「何を言う。好きとかどうとかの話じゃあない。俺はお前たち兄弟の中ではお前が一番優秀だったと思っている。お前こそが国を継ぐべきだったんだ」
ラパスが嗤った。
「兄弟とか、国を継ぐとかって、それじゃああんた一国の王子――」
「いやいやいや、そんなものに見える? 彼は酔っているんだ」
「俺は酔ってなんかいないぞ」
口ではそう言っても空のグラスに肘を当てたことにも気づかないようでは説得力に欠ける。ラパスのことだから本当に酔ってはいなくて熱くなりすぎたせいなのだろうが、酔っていることにしておいた方が都合が良さそうだとリッドは思った。
「とにかくさ、そんな感じだから僕は故郷に戻りたいという気持ちはこれっぽっちも湧かないんだ。それならいろんな国を見てひとつでも多くのことを学んだ方が有益だと思っている。でも彼女は」
言いかけてリッドは口ごもった。
ここからは慎重にしなければいけない。眠気に負けて口を滑らせてはならないのだ。
まわりの視線がさっきよりも集まっているのを感じて、リッドは囁くように続きを告げた。
「ユイルは……ユイルもまあ、僕とはまったく違うけれど、それでもこの国に対して複雑な思いがあってさ。それは僕の口からは言えないんだけれど、でも国を捨てたっておかしくない事情を抱えている。それでもこの国で生きたいと願っている」
その気持ちが僕にはわからないのだと、リッドは言った。言葉にしてみると、それはただ言うのではなくてまるで懺悔でもしたかのような心持ちになる。
「なあ、ラパス。僕はもう、すっかり変わってしまったあの国を故郷だと懐かしんだり執着したりはできない」
「それは……何度も聞いたよ」
それがどうしたと、ラパスは酒を注いだ。もうその辺にしときなよとサージュが酒瓶を取り上げる。残りの酒はサージュのグラスへと余すことなく注がれた。
「だから興味があるんだ。すっかり変わってしまった故郷だというのに、それでも執着するのはどうしてなんだろうって。それがわかれば僕は――」
僕は、何を言おうとした?
リッドは眠気を振り払い二人の顔を確かめた。二人とも、リッドの言葉の真意を測りかねるといった様子で、心配の色を含んだ視線をぶつけてくる。
リッドはあくびをした。
わざと大きな仕草でしてみせた。
「ごめん。限界だ。サージュの煎じ薬が効いてきたみたいで、もう眠くて眠くて仕方がない。何の話をしていたっけ」
リッドはもうひとつ、いっそう大きくあくびした。
「なんだ、そんなものを飲んでいたのか」
ラパスはサージュに視線を投げた。
サージュは何も言わずに口の端を上げる。
「まあ、つまり僕とユイルとは何でもないよ。成り行きで助けることになったけど…………ふわぁ……これが終わったら、僕はまた…………旅に」
いよいよ睡魔が優勢となった。
リッドは何度か落ちかけてはとどまり、閉じようとする瞼を必死に開ける。瞼というものはこんなに重いものだったろうかと感じながら、「あれ? どうして僕は抵抗しているんだっけ?」などと、もう正常に考えられなくなっていた。
「ごめん」
リッドはそう言い残してテーブルに突っ伏した。鼻先につまみの木の実がこうばしく香った。
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