十九、花冠

 何が申し訳ないというのか。

 それがわかったのは、長い長い人の列がある程度解消されてからだった。

 まったくではなく、ある程度だ。

 時間が経つにつれ列に並ぶ人の数は順調に減りはした。しかし昼を過ぎてもちらほらと新たな野次馬が来ては列に加わる。見かねたオネットが「今日はこれで終いだよ!」と打ち切っていなければ夜通し続いていたかもしれない。

 リッドとユイルは顔を見合わせ「助かった」と息をついた。夕刻を告げる鐘が鳴るほんの少し前のこと。いつもならば聖堂前に立つ市場の各店はとっくに店じまいを終えている頃合いだった。

「すまなかったね」

 とオネットが言う。

「いえ、こちらこそ」

 ユイルはぺこりと頭を下げた。

 始めこそ動揺と困惑で会話もままならない様子だったが、慣れてくると自然と笑顔も出るようになった。魔女に関することをうまく隠しながら薬づくりについて上手に説明する一幕もあった。

 そうしているユイルは、森で薬を作っているときと同じくらい、いやそれ以上に活き活きとして見えた。楽しんでいるようにリッドには見えた。

 しかし「申し訳ないわ」と言ったユイルの悲しい顔を思えば、本心がどうかはわからない。

「なあに?」

 考えながら長く視線を向けていたせいでユイルが不審がる。

「いや、なんでもないよ。さすがに疲れたんじゃないかなと思ってさ」

 だってこんなにたくさんの相手をしたんだものとリッドは脇に積んであった木箱や樽を指した。ユイルに贈られた品々だ。人々の感謝は言葉だけにはとどまらず、大量のプレゼントとなってどんどん積まれていった。終わってみれば、リッドの背よりも遙かに高い山ができていた。

「どうしたものだろう」

 顎に手を当て考える。

「マルシャンの倉庫でいったん預かってもらって、後日取りに来るというのはどうかしら」

 幸い食べ物の類いは日持ちしそうなものばかりだと、箱を覗きながらユイルが言う。

「マルシャンのことだから快く場所を貸してくれるだろうね。だけど問題は倉庫までどうやって運ぶかだ。言っておくけど、僕に力仕事は期待しないでね」

 リッドが言うとユイルが反応するよりも早く外野から「情けないね」と声がかかった。

 オネットだ。

 胸の前でしっかり腕組みをして、フンと鼻息を荒くする。

「ユイルはともかく、男のあんたがこれくらいどうにかできなくてどうすんだい」

「これくらいって簡単に言うけれど、結構な量だよ」

 リッドは山を見上げた。その横にもうひとつ大きな山が現れる。

「……ああ、なんだコレールか」

 肉屋の旦那がこれ見よがしに腕まくりをしてみせた。

 その隣りに立ってオネットが言う。

「こいつはコレールに任せて、あんたは彼女を送ってやりな。私たちの大事な調合屋なんだから、頼んだよ」

 ドンとリッドの背中を押したその力はたくましく、実はコレールよりもオネットの方が力があるのではと思わせる。

 リッドは軽く咳き込みながら「言われなくてもちゃんと送るさ」と返した。言ってから失敗したと気がつく、悪い癖。

 オネットの冷ややかな目と、構えた右の拳が目に入った。

「じゃ、じゃあ、今日はこれで。ユイル、行くよ!」

 慌ててユイルに目配せをして、そろって市場をあとにした。




 ふうっとリッドは大きく息を吐いた。肩を落とすと余計に疲労を感じる。

「すごかったわね」

 ユイルがここに来るまでのことを思い出して笑った。

「まさか、市場以外でもあんなことになるとはね」

 同じように思い出してリッドは苦い顔をした。自然とため息がこぼれる。二度目のため息はうめき声のようだった。

 ユイルを森に送る前にどうしても聞いておきたいことがあった。それで寄り道に誘ったのだが、その道中で問題が起きたのだ。

 人の噂というものは、本当にあっという間に広がるものだ。

 少し歩いては「やあ、リッド」と呼び止められる。知っている顔もあるが誰だか思い出せない者もいる。いずれもリッドが正体不明の調合屋を連れているとどこかで聞きつけてきたようだった。

 一人二人ならまだいい。しかしそれが十や二十……さらにとなると、嬉しさよりも煩わしさが勝ってしまう。

 二人はすっかりくたくたになりながら、何とかして人ごみから逃れた。

「人気者と歩くのは大変だな」

 まだどこかに誰か潜んでいやしないかと辺りを見回す。まるで逃亡者にでもなった気分だ。

「どっちのせいかしらね」

「僕のわけがないだろ」

「旅人なのに、みんなが名前を知っていて気さくに声をかけるんだから、あなただって十分人気者じゃない?」

「なんだ、もしかして羨んでいるのかい?」

「迷惑しているのよ」

 ユイルは石の手すりにもたれた。眼下に広がる街並の赤いスレート屋根は西日に照らされ、炎のように力強く輝いていた。

 二人は街の西側、街と川とを見渡せる高台にいた。街の富豪が所有している庭園で日が暮れるまでは街の人たちに開放されているという場所だ。昼寝するのにちょうどいい芝生があるため通っていたら、手入れを任されている使用人とすっかり仲良くなって多少の融通が利くようになった。

 いつもの場所いいかなと尋ねると、連れがいることを気にしつつも「どうぞ」と秘密の場所へ案内してくれた。

 使用人が休憩用に使っている小屋の前。庭園の草花を愛でるには都合が悪いが、静かに街を眺めるには絶好の場所だ。

「ここに来たことは?」

「初めてよ。あの頃は、ここには立ち入れるようにはなっていなかったと思う」

 眩しさに目を細めながらもユイルは景色から目を離そうとしない。

「今日は大変だったね」

「だけどおかげでいい材料が手に入ったわ。これであなたに選び方のコツを教えられれば完璧だったんだけど」

 実に残念そうに言う。

「もうその必要はないんじゃないだろうか」

 リッドはユイルの隣りに並んで街を見下ろした。昼寝のときとは違って、この時間の風はひんやりと首筋を撫でていく。

 ぶるっと身震いするとユイルがこちらに視線を向けた。

「買い物くらいならもう一人で来られるだろうって? あなたには申し訳ないけれど、そう簡単なことではないわ」

 そう言って微笑んだ顔に夕陽が差し込んだ。強かっただけの西日は徐々に赤い色を取り込んで、ユイルの顔色をうやむやにしてしまう。

「そう。それだよ」

 しかしリッドは構わず言った。

「さっきも言っていたけれど、その『申し訳ない』というのは、いったいどういうことなんだい」

 リッドが問うと、ユイルの視線はふたたび街の方へと向かった。

「あなたは私に『兆し』を見せてくれようとしたのでしょ。悲しい過去ではなく、未来につながる希望を見せたかったのでしょ」

 太陽の赤味が一段と増した。

「たしかに嬉しかった。街の中に私が存在してるって思えて、幸せだった。でもやっぱり考えてしまうのよ。『これは魔女ではないからだ』って。『これが魔女だったら?』って」

「それはつまり、『せっかく見せてくれたのに』ということ?」

「そうよ。せっかく見せてくれたって、嬉しいばかりで終わらせることなんてできないわ」

 ユイルは言った。視線は少し上向いて、街ではなく夕陽を追っている。街並みを通り越し、街を囲む大河を越えて、さらにその向こう。遠くの山の稜線にじわじわと近づく太陽を睨みつけていた。

「なんだ。そんなことなら申し訳ないなんて思わなくていいよ。だって僕にはそんなつもりはこれっぽっちもないからね」

 リッドが平然と言ってのけるとユイルは何を言っているか理解できないといった顔でリッドの方を振り向いた。頬が紅潮して見えたのは気のせいか。

「僕は別に君の悲しみを取っ払ってやろうなんて大それたことは考えていないよ。そんなことをする人間に見えるかい?」

 そう思われていたのならそれはそれで嬉しいけれどなどと冗談めかして言ってみるが、今のユイルには通じないようだ。

「それは……でも、だって、……私が喜ぶようなものを見せてくれたじゃない。決心させるためだったんじゃないの?」

 真っ直ぐに疑問をぶつけてくる。

「そういう事実があるよと伝えたかっただけさ。それを何に結びつけるかは僕が決めていいことじゃない。さあ喜べ、過去なんて忘れろと他人である僕が言うのは、あまりに傲慢な振る舞いだと思うけど」

「何に結びつけるか……」

「『これが魔女だったら?』のあとにどんな言葉をつなげるかということかな」

 これが魔女だったら、受け入れられないはずよ。

 なのか、それとも

 これが魔女だったら、もっと幸せ。……だから!

 となるのか。

「街にはさ、どちらもあるんだよ。受け入れがたい悲しみも、そばに置いておきたい幸福も。それを『諦め』に結びつけるのか『希望』に結びつけるのか、その判断をするにはどちらも見ておいた方がいいというのが僕の持論でね」

 リッドはシャルムの街並みに目を遣った。地形も建物も人の姿も似ているところなど一つもないのに、どうしてか自分の故郷の風景が思い出された。

 たくさんの悲しみと喜びを並べた上で『諦め』を選んだ街だ。だから僕は旅人をやっているんだよなどと言ってしまってから、これは今はどうでもいい話だと頭を掻く。おどけてみせてもユイルの顔から緊張は消えなかった。

「僕がそうしたからって、君には違う道を選んでほしいなんて言う気はさらさらないよ。第一そんなこと思ってもないし。あまりにも君の視野が狭まっているようだったからおせっかいを焼きたくなっただけさ」

 リッドは言った。

 少し喋りすぎたかなと思ったが、おせっかいついでだと、言葉を重ねたことに言い訳した。

「今日のことは答えじゃない。判断材料でしかないんだよ」

 太陽が山の稜線にくっついた。

 そこからはあっという間で、輪郭が滲んだかと思うとドロリと溶けて山も空も街も、すべてを真っ赤に染め燃え上がり、たちまちのうちに黄昏と静寂へと入れ替わる。

 色合いが変わったというだけで、肌に感じる風がぐっと冷ややかになった。ユイルの頬だけがまだ熱を持っているようだった。

「そろそろ帰ろうか。送るよ」

 ユイルは言葉を探している。

 リッドの目を真っ直ぐに見つめ、口を真一文字に結ぶ。全身に力が入っているのがわかる。必死に言葉をひねり出そうとしているのか。

「別に今すぐ何かを言わなければいけないわけじゃないよ」

 リッドは微笑んだ。

 ユイルはようやく口もとのこわばりを解いたが、いつものようにとはいかなかった。

「私は、」

 と何かを言いかけてまた黙り込んでしまう。

 まいったなとリッドは頭の上に乗せた手を動かせずにいた。

 そんな状況を打ち破ってくれるかわいらしい客がやってきた。

 そろそろ庭園も閉園時間だと伝えに来た使用人の後ろに隠れこちらをうかがう小さな女の子。と、

「ああ、よかった!」

 さらにそのうしろから現れた見覚えのある顔。

「ああ、花屋の」

 一昨日訪れた花屋の女主人が手を振っていた。

「ということは……その子は?」

 リッドが視線を向けると女の子は一歩前に立った。くりんとした目が印象的な本当にかわいらしい女の子だ。

 その子が短い腕をぐいと突き出す。その手には花を編み作ったいわゆる花冠というものがあったのだが。

「冠にしては小さいような」

 リッドの手のひらにのる程の径のものだった。

「ほら言ったじゃない。うちの姪っ子が例の調合屋にお世話になったって。それで今日街に現れたって話をしたら会いたいって言うもんだから急いで連れてきたんだ」

 まだいてくれて良かったと言いながらリッドの隣りに視線を移した。

「あんたが調合屋の……お嬢さん?」

 花屋の主人は「いつもお世話になってます」と言ってユイルの手を強引に握った。そうしてから女の子の背中をトンと押し目配せをする。女の子はウンと頷いてから小さな花冠をユイルの方へ向けた。

「おねえさん、おくすりつくるひと?」

 ユイルは何が起きているか理解できずリッドに助けを求める。リッドは花屋であったできごとを掻い摘まんで説明した。買い物の報告をしたときに街の人たちからの伝言をさらっと伝えてあったので、ユイルはそういうことかと納得した。

「ええと、私はユイル。調合屋よ」

 膝を折り、女の子と同じ高さになって言う。「調合屋ってわかる?」と尋ねると、一度花屋の顔をうかがってから

「おくすりつくるひとでしょ?」

 と返した。

「お礼、言いたいんでしょ」

 うしろで花屋が誘導する。

「そうなの! わたし、おねつでたの。おいしゃさまがきてくれたけど、それでもなおらなくって」

「それで?」

 ユイルはぎこちなくも優しく笑んで次の言葉を待った。

「くるしくって、うーんうーんってなってたの。でもね、おねえさんのおくすりのんだらすぐげんきになったのよ!」

 女の子の顔が一瞬にして笑顔になった。

「だから、これ!」

 手に持っていた花冠をユイルに手渡した。

「街にいるって聞いて急いで作ったからちっちゃいのしか作れなかったんだけどね」

 うしろで花屋の主人が笑う。

「なんて言うんだっけ?」

「ええっと、おねえさん、ありがとう!」

 女の子はいっそう明るい笑顔をユイルにぶつけた。

「応えないわけにはいかないんじゃない?」

 花屋の主人が姪っ子にしたように、ユイルのうしろでリッドが囁く。

 ユイルは受け取った花冠を右の手首に通した。頭にのせるには小さいが、腕輪にするにはちょうどいい大きさだった。

「ありがとう。大切にするわ」

 言うと女の子は満足そうに笑った。

「疲れているだろうに悪かったね」と言って花屋の主人と女の子は去って行った。

 見えなくなるまで手を振って見送ってから、ユイルは右手につけた花の輪を見つめた。

「判断材料、またひとつ増えたね」

 あんまり増えすぎるのもねとリッドが言うと、ユイルはそっと首を横に振った。

「こういうものならいくら増えてもいいわ」

 言って、口もとを緩ませる。しかし寂しそうな目をしているのを見つけてリッドは「そう?」と一声だけ返した。

「ねえ、リッド」

 あらたまった様子でユイルは言った。

「もっとよく考えなければいけないことだけれど、今の感情で言うのなら、私はやっぱり夢を見ていたいわ。そしていつか叶えたい」

 二人の残像を見つめながらユイルがそう言う。

「そうか。それはいつになるのかな」

 ここまで二百年かかった。

「今日会った人たちが生きているうちに……そうだったら幸せでしょうね」

 それは決意と呼ぶには弱々しい、祈りのような言葉だった。

 

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