十二、シャルムの夜

 ユイルに材料をかき集め、家に届け、また街に戻る。夜はすっかり深くなっていた。

 王都シャルムの夜は夕食が済んだ辺りで一度終わる。多くの住民が明日に備え早々に眠りについたそのあと、間もなく二つ目の夜がやって来る。

 それはいわゆる、大人の時間で。

 酒に性に賭け事にと、快楽を求めた者たちが男も女も垣根なく街の一角に集まった。

 そこを通り過ぎたところにリッドの泊まっている宿がある。昼間に来て選んだせいでこんなところだとはあとで知った。毎日毎日、調査を終えたくたくたの体でこの道を通るのは、心身ともにこたえるものがあった。

「とはいえ、他の道ではかなりの遠回りになるしなあ」

 ふうっとため息をつくと誰かと肩がぶつかった。

 ああ、すみません。

 疲労のせいで半テンポ言葉が遅れる。

 ようやく出た声にかぶせるように「おお!」と知った声が響いた。

「リッドも来ていたのか。何だかんだ言ってシャルムを楽しんでいるようだな」

 リッドに面倒な仕事を押しつけた旧友がご機嫌な様子でそこにいた。

「いや僕は」

「どの店がお気に入りだ?」

 あの店は高いだけで教育がなっていないだとか、あっちの店は一人だけ美人なテクニシャンがいるだとか、そんな情報を嬉々として伝えてくれるが、リッドはまったく興味が湧かなかった。

「なんだ疲れているのか?」

「そりゃあね。毎日そこそこの件数をこなしているから」

「それにしたって疲れすぎだろ。まさか今帰るところだったりしないよな」

「そのまさかだよ」

 リッドは肩を落とし言った。

「他の調査員はそれほど大変そうには見えないがなあ」

「それはさあ。もう初日からずっと君に文句を言ってやりたかったんだ。僕のところにわざと厄介な案件ばかり集めていないか?」

「例えば?」

 いつの間にか並んで歩いている形になっていた。

 リッドは陽気な人混みをすり抜けるように進んで行く。旧友ラパスは、その隣だったり半歩後ろをくっついて歩いていた。彼も器用に人を避け、無傷のまま喧噪を抜ける。

 もう少しの間だけ騒音の中にあってもよかったなとリッドは後悔した。

 二人きり、まっすぐに話すには体が疲れすぎている。余計なことまで言ってしまいそうで、ラパスへの苦情はぼんやりとした言い方にとどめた。

「そういえば」

 宿の近くまで来たところでラパスが思い出したように声を上げた。『夜の街』とは違ってこの辺りの外灯の明かりは弱々しくて、彼の表情はよく見えない。

 目を凝らすと、それを避けるようなタイミングでラパスは空を見上げた。

 うっすら雲の張った空を見上げ、星を探すわけでもあるまいし。

 こんな時は何かを仕掛けてくるときだと感じた。

「お前の担当する中に、正体不明の調合屋というのがいるらしいな」

 一瞬、心臓が止まったかと思った。

「ああ」

 声を発してみて、動揺がさほど現れないことを確認してから話の続きを探る。

「いるね。それがどうかした?」

 何食わぬ顔で続けると、ラパスはこちらに顔を向けた。いつもと変わらぬ表情をしているが、何を考えているかとらえきれない。

「いや、ちょっと飲み屋で話題になっていたからさ。更新審査のために、ついに人前に姿を現すらしいって」

「誰がそんなことを言っているんだい」

「雑貨屋さ」

「ああ……」

 マルシャンか、と安堵とも落胆ともつかぬため息をこぼした。彼に悪気がないのはわかっているが、これはあまり嬉しくない情報だった。

「お前はすでに会っているんだろ?」

「まあね。審査の手続きなんかも手伝っているから」

「どんな奴だ」

「君がそんなことを気にするなんて、珍しいじゃないか」

 リッドが言うと、隣でラパスがふっと笑った。

「正体不明とは穏やかではないからな」

「だから、正体はわかっていると言っただろ」

「お前しか知らない段階では、『わかった』とは言わないんだ。白日の下にさらしてこそ、正体が明かされたと言える」

 リッドはごくりと唾を飲み込んだ。やけに喉が乾く。

「君は何か知っているのか?」

 単刀直入にぶつけた問いに、ラパスはしばし沈黙した。その間もずっと、彼の口もとはやわらかく笑んでいた。

「『何か』があるのか?」

 そう言われ、今度はリッドの方が黙った。

 まるで化かし合いをしているようだ。

 ふうっと大きく息を吐いた。

「君が心配するようなことは何もないよ」

「本当か?」

「本当さ」

 そう言ってもラパスは納得していないようだった。まだこちらの心の奥を覗こうとしている。そんな目でじっと見つめるのだ。

「わかっている。今までの君の苦労を無駄にしたりしない。約束するよ」

「それは有り難い。よそ者の俺がこれ以上を目指すには、ひとつの失敗も許されないんだ。頼むぜ、友よ」

 ドンと肩を打つ。

 リッドが少しよろけると、ラパスは笑いながら謝った。

「尋常じゃない疲れ方だな。精のつくものでも食べて明日に備えておけよ」

「明日くらい休めとは言ってくれないんだ」

「当たり前だ。まだまだ残っているんだろ」

「まあね。でも明日くらいは休んでやるぞ。構わないだろ?」

「間に合うのなら俺は何も言わないさ」

「帳尻合わせが得意なのはよく知っているだろ」

「そういえばそうだった。カルノ様がよくやっかんでいたな。いい加減なことをしてばかりいるのに、最後にはお前にいいとこをみんな持っていかれるって」

「兄さんは真面目だから、僕みたいなのが許せないんだよ」

「いやカルノ様だけじゃない。ジュバ様やコルシャ様だって似たようなことを言ってたぞ」

「まさかこんなところで兄弟たちからの評価を聞かされるなんて。それもあまり良くない評価じゃないか」

「そうか? 俺は褒め言葉だと思っていたが」

 二人は顔を見合わせ、声もなく笑った。

「全部終わったときにはシャルム一の店を紹介してやるから、精々頑張ってくれよ」

 そう言いながら彼は来た道を引き返した。

 喧噪に向かって去って行く背中を眺めていると、不意に立ち止まり振り返る。

「なあリッド」

 夜の闇に臆することなくラパスは声を張り上げた。

「お前なら、必ずうまくやり遂げてくれると、俺を喜ばせてくれると、そう信じているからな」

「大袈裟だな」

 リッドは笑う。

「大袈裟なものか。お前はそうやっていつもはぐらかす。いいか、俺の願いを叶えられるのはお前しか――」

 ラパスが飲み込んだ言葉が何であったか、リッドは知っている。

 その言葉に対してリッドが何と返すか、ラパスは知っている。

 不毛なやりとりにしかならないことを互いに知っている。

 だからラパスは言いかけて、やめたのだろう。流れとはいえつい口にしてしまったことにバツが悪そうな顔を見せた。

「……まあ、そういうわけだ」

 またな、と誤魔化すように微笑んでラパスは夜の街へ消えた。

「ああ。おやすみ」

 リッドは素知らぬ顔で旧友の背中を見送って、さっさと宿に戻った。

 部屋に入るなり飛び込むようにベッドに倒れ込んで目を閉じる。このまま眠ってしまいたい。

 しかし旧友の助言の通り明日に備えて何か腹に入れておきたいところだ。

「ああ、ユイルの薬があるじゃないか」

 思い出して鞄の中から小さな瓶を取り出した。マルシャンの店で売っている安物の瓶だという。

 そのふたを取って中身をぐいと飲み干した。

 魔女の森の匂いがした。

 滋養強壮の薬と言っていたが、力がみなぎるよりもまず安らぎがやってくる。それはとろんと眠気を連れてきて、リッドの意識をさらっていった。


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