十、世間知らずなお嬢さん

「思ったよりあったわね」

 ハの字に下がった眉。

 ユイルはリッドに指摘された事柄を紙に書き出し、思わずため息をついた。

 クセや道具についてならば対策できることもあろう。しかし材料ともなると変更は難しい。

 先ほどリッドのために作ってくれた薬の材料は、半分くらいが魔女の森でしか採取できない植物だった。

「魔女の森の植物をまったく使わなくても作れる薬ってあるの?」

「効力が少し落ちるけど――」

 言いながらユイルは本棚から何冊かの本を選ぶ。

「たとえば、咳止めの薬にはカンパニュルという花が有効。主に根を使う」

「一泊」

「ルーファは炒めて食べても美味しいんだけれど、絞り汁は肌を整える力があるから湿疹なんかの治療に使える」

「一泊に二食が付くな」

「ベイベリィの実はね、お腹の調子を整える薬によく使われるわ」

「三日三晩遊べるよ」

「……さっきから、何?」

「材料の市場価格。宿とか『遊び』だとわかりづらいなら、君の薬の値段と比べてみるけど?」

 リッドはさらさらとペンを走らせる。それぞれの植物を両手のひらに一杯分買うのに必要な金額をユイルが作った滋養強壮の薬の個数で表わしてみせると、ユイルはざっと目を通しただけでその紙をくしゃっと丸めてしまった。

「確かなの?」

「薬草には明るくないけれど、高価な植物はそれなりにね。なんたって路銀を稼ぐには都合がいいから」

 道中でよく採取する希少な植物をいくつか上げる。ひとつ名前を口にするたびにユイルの表情が険しくなっていった。

「日常的に使う薬を作るためにそんなものを材料に使ってみせたら、まず疑われるだろうね」

「そ、そんなに?」

「そんなに。まあ、魔女の森の植物の代用品ともなれば簡単には手に入らないか」

 ため息交じりに「これじゃあ審査は難しいかな」などと呟くと、ユイルは右の眉をぴくりと動かした。

「大丈夫。まだ他にもあるもの」

 気丈に振る舞うが動揺は隠しきれず。机の上に積んだ本の山に肘を引っかけ豪快に倒してしまっていた。

 それでも素知らぬ顔で次の本を探す。

「たしかあの本の三百ページくらいだったと思うんだけど――」

 背伸びをして、高いところから一冊の本を取り出す。無造作にページをめくっているように見えて、しっかりと内容に目を通しているらしい。

 突然ぴたりと手を止めて、開いたページを熱心に読み込んだ。

「やっぱり。これなら大丈夫。ファブールの家庭料理にも使われる野菜や香草が主な材料だからきっと安く手に入れられるわ。作ったことがない薬だから練習が必要だけど」

「材料を替えるとかじゃなく、そもそも作ったことがない薬?」

「そうよ」

「まったく?」

「そう言ってるでしょ」

 何が引っかかるのかとユイルは眉をひそめる。

「いやあ、何百年生きていてもまだ作ったことがない薬があるんだなあと思ってさ」

 リッドが取り繕うと、ユイルはふうっと軽く息を吐いた。

「いくらでもあるわ。作れるから作るんじゃなくて、必要だから作るんだもの。それと、何百年もじゃなくて三百年とちょっとよ」

 ユイルは細かいことを指摘してから本棚の前に立った。

 この一画は読んだと教えてくれた範囲は、全体の四分の一ほど。必要な本ほど何度も読み込むのでなかなか進まないのだという。

「それじゃあこの辺はあまり需要がない分野ということか。見落としているだけで意外と必要だったりするかもしれないよ」

 リッドは未読の棚に並んだ本の背表紙をざっと眺め、そのうちの一冊を抜き取った。

 ユイルを真似てパラパラとページをめくる。

「どれどれ」

 ユイルが隣りに来て覗き込んだ。リッドの手を止めさせて、開いた一ページに目を通す。

「呪詛の判別と解き方なんて、後回しで問題ないでしょ」

「結構使えそうなのに」

「ここは魔女のいない国だもの」

「呪いは魔女じゃなくても使うよ。そうだなあ、むしろヒトの方が使うかもしれない」

 彼らは強欲で嫉妬深い生き物だから、とリッドは言った。君がいちばん知っているじゃないかと続けそうになって慌てて飲み込んだ。

「なにそれ。他人事みたいに言うのね。……でも、それもそうね。魔法が使えなくても呪う方法はいくらかあるものね。覚えておいて損はないかも」

 真剣な顔でページをめくる。いつのまにか、本はユイルの手に渡り、リッドはそれを眺める形へと変わった。

 さらっと読んでみる。そんなつもりだったはずなのだが、ユイルはすっかり好奇心を働かせてしまった。目はキラキラと輝く。まるで魅力的な物語を読み込む幼い子どものようだ。魔女が博識なのはただ長く生きてるからというだけではなさそうだ。

「今は審査対策が先だよ」

 リッドは苦笑いで言った。

「あ、そうだったわ」

 ユイルはエヘヘと照れ笑いを浮かべた。

 パタンと勢いをつけて分厚い本を閉じる。

「よし! 王室御用達の称号獲得のため、もうひと頑張りよ!」

 ふんと鼻息荒く気合いを入れる。

 そして一枚のメモをリッドに手渡した。

「何これ」

 書いてある文字は読めた。

 だけど、どういう意味でそれを渡されたのかがわからなかった。

「僕に買ってこいと言うのかい?」

 恐る恐る聞いてみた。

 するとユイルは笑顔で首を横に振る。

「とんでもない。命令じゃなくてお願いよ」

 リッドの手をとりこれでもかと笑顔を見せた。

「僕が行くの? いつものようにマルシャンに頼めばいいじゃないか」

「次の納品は三日後だもの」

 その時に依頼してまた次の納品の日にとなると間が空きすぎるのだという。

「審査までは余裕があるから問題ないと思うけど」

「その時間を待ち時間として使うのは勿体ないと思わない?」

「そんなに時間を無駄にしたくないのなら、自分で行けばいいのに」

 それが一番効率的だと言うと、ユイルは苦虫をかみつぶしたような顔をした。

「私が?」

「何か問題でも?」

 言うといっそう表情が険しくなる。

 どうせまた「私は魔女だから」とか「ファブールでは魔女は」とか「二百年経ってもそうなんだから」とかそういうことを並べるのだろうなと考えていた。そう来たらどう返そうかと先回りを企んでいると、予想外の言葉が返ってくる。

「だって店が開いているのは昼間でしょ」

 ユイルは深刻そうな表情であまりに当たり前のことを言っただけだった。

「そうだね。昼間だね」

 返答に困ったリッドはユイルの言葉を繰り返すしかなかった。そのあとに何かしらの言葉が続くものだと信じ待ってみても何もない。

 しばしの沈黙を会話の終点ととらえたようで、ユイルは先ほど崩した本の片付けを始めていた。

「いやいやいや。ちょっと待って。普通は『昼間でしょ』のあとに自分で買い物に行けない理由を続けるものでしょ。昼間に出歩けば魔女だとばれる可能性が高くなるからとか。まあ僕はそうは思わないけれど。とにかくそういうものがないと、『それじゃあ仕方ないね』とはならないものだよ」

「理由を続ければ快く引き受けてくれるの?」

「ま、まあ、」

「引き受けてくれるのね?」

「……あれだよ? だからって何を言ってもいいというわけではなくて、僕が納得するという――」

 リッドの言葉を遮って「言ったわね?」とユイルが念を押す。返事を待ちもせず、片付けの片手間のように「嫌なのよ」とまず言った。

 嫌だ、とはそれでは単なる我が儘ではないか。

 そう返されるのを予測してか、ユイルはリッドの顔色をしっかり確認してから、しかし間を空けずさらに続きを口にした。

「昼間だと、見えすぎてしまうから。だから、行きたくないの」

 言葉を選んだ上でそう言って、そっと目を伏せた。手にした本の表紙を撫でる仕草にどんな感情を込めたのか、リッドからの角度では読み取ることは難しい。何が見えすぎるのか、それがどう『行きたくない』に繋がるのかもリッドにはわからなかった。

 ただひとつ理解できたのは、これ以上このことについて話す気はユイルの方にはないということだ。

「快く引き受けてくれるんでしょ」

 様にならないしたり顔がこちらを見る。

「まいったな」

 リッドは自分の頭に手を置いた。しなやかな短い髪をくしゃっと触って目線を上げる。

 考えを巡らそうとして、途中でやめた。

 期待たっぷりの視線を感じながらでは、

「それじゃあ仕方ないね」

 と言うより他になかった。


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