九、なくて七癖

 ユイルと出会ってから三日目の朝、リッドはいつもより早起きをした。

 日の出よりも早く起き、調査へと向かう。しかし大抵の店は始業前か、営業が始まっていても忙しい時間帯で、そんなところに、

「王室御用達の更新審査のための調査に――」

 などと現れればどんな目に遭うか。

 激しい剣幕で罵られた挙げ句、追い返されるのは当然で、どうしてそこに気が回らなかっただろうと反省するはめになる。

 それでも早起きしたことは損にはならない。

 日がまだ高いうちに今日の目標は達成した。

 そうやってようやく作った時間でユイルの手伝いをする。

 王室御用達の資格保持者に関しては登録情報の精査が甘く抜け道がありそうだとわかった。身分を偽装するのもまったく無理な話ではないようだ。問題は実技審査というものだ。

 彼女の家にたどり着くなり、リッドは役人から入手した情報をまとめた紙をテーブルに広げた。

「審査は基本的には審査官が各店舗に出向き行うらしい。作業場の造り的に人を招くことが難しければ、近所の広場に道具を持ち込んでということもできる……って、なにをそんなに怒っているの」

 相づちも何も聞こえてこなくて何ごとかと顔を上げてみれば、ユイルが不機嫌な顔でこちらを睨みつけている。

「どうしてすぐに来なかったの」

「まずは来たことを褒めてほしいな。あのお守りチャームを二度と使わないという選択肢だってあったんだから」

「来るって信じていたんだもの。当然のことが起きただけなのに、いちいち褒めたりしないでしょ」

「ありがとうくらいは言ってくれてもいいんじゃない?」

「お礼はすべてが終わってからよ」

 そう言って今広げたばかりの紙を押し退け、空いたスペースにティーセットを置いた。揃いのティーカップとティーポットはこの家の中では比較的新しいもののように見えた。

「昨日も一昨日も、香草を摘んで待っていたのよ」

 と拗ねるユイルの機嫌をとりながら、テーブルの上、こっそりと作戦会議のための領土を広げた。

「各店舗とか近所の広場って、それはどうにかできそう?」

 茶葉を蒸らしながらユイルがメモをのぞき込む。ふうわりといい香りが立ちのぼっているのに注ぐのはもう少し時間をかけてからだという。

「マルシャンに店を貸してもらえないか聞いておいた。使う道具によるけれど、最悪、倉庫を片付ければそれなりの広さは確保できるから心配しなくていいって言ってくれたよ」

「マルシャンって本当にいい人よね」

 感激したように言うユイル。

「親切心プラス好奇心みたいだけどね」

 そのときのことを思い出しながらぽつりと言ったがユイルの耳には届かなかったようだ。彼女の中でマルシャンの株が上がっていくことは別に悪いことではないので、リッドはそのまま話を進めた。

「次に審査方法だけど。薬は何種類かを納品して効き目を確認してからという決まりがあるんだけど、君の場合は実績があるからそこは免除されるだろう」

「なんだ。審査っていっても簡単なのね」

 それで終わり? と拍子抜けしたようなユイルに対してリッドは首を横に振った。

「実演がある。おかしなものを入れていないか、危険な作り方はしていないか、そういうところを見るらしい」

 リッドは深刻そうに言った。

 しかしユイルはそれがどうしたのかと首を傾げた。

「調合中は魔法を使ったりしないの?」

「普通の薬を作るときは何も。……ああ、でも、始まりの魔女の名前をおまじない代わりに読み上げることはあるかも」

 顎に手を当てて一連の動作を思い浮かべる。あれも危ないかしら、もしかしたらこれもと、次から次へと出てくると聞いているこちらが不安になってくる。

「そうだな。とりあえず、一度僕に作って見せてくれないか?」

 そうすれば問題点を見つけられるだろうと言うと、「そうね」と素直な言葉が返ってきた。

「それじゃあ、お疲れの調査員さんのために滋養強壮の薬を」

 ユイルはにこりと笑った。

 自分を労うために見せたものではないのだろうが、その笑顔にふっと心があたたかくなる。

「なあに? にやにやして」

「いや、別に」

 言いながらリッドは笑った。

「もう。間抜けな顔をしていないでしっかり見ててよ。ほら、まずは材料選びから」

「そこから? 僕、薬草はそんなに詳しくないんだけど」

「いいから!」

 そう言ったときには、ユイルはもうこちらを見ていなかった。

 壁を埋め尽くすように配置された大小様々な引き出し。札も目印も付けていないのにどこに何が入っているかすべて把握しているようで、迷わずに開けては材料を取り出す。

 作業台に並べられた材料は素人目にはどれも大差ないように見えた。乾燥した、何か。植物の根茎が主らしい。

 それをすり潰し粉にして天秤で量る。

「ずいぶんと多くない?」

「どうせだから今度納品する分も作っちゃおうかと思って」

「しっかりしてるね」

「そうでしょ?」

 ユイルは得意げに言って、かめに汲んであった水を大きな鍋に移した。そこに先ほどの粉末をそろりと入れて煮込む。

 櫂の形をした撹拌棒でかき混ぜる際は丁寧に、リズムよく。ぐるぐると、ゆっくり大きく回しながら、ユイルは何か歌を口ずさんでいるようだった。

 ピンと張った背筋に、しなやかな櫂さばき。美しい歌声と、薬草からにじみ出たいかにも体に良さそうな匂いが――しかしけっして不快ではない爽やかにさえ感じられる匂いが部屋中に充満すれば、きっと審査員の心を掴んで離さないだろうとリッドは思った。

 しかし、問題もある。

「やっぱり言ってるね、おまじない」

「え? 言ってた?」

 自覚がないようでユイルが驚きの声を上げた。

「それから口ずさんでいた歌は、魔女に伝わる歌だろ?」

「……そうなの?」

 こちらも自覚はない。子どものころから日常的に歌っていたものだから気にしたことがなかったという。

「歌詞はこの地方の古い言葉にもよく似ているからほとんどの人は気がつかないと思うけど、ところどころの節回しが西方で聞いた魔女の歌によく似ている。きっと魔女特有のものなんだと思う」

「へえ。知らなかったわ」

「あとは道具。撹拌棒のの模様。それもまずい」

「ああ、これは……ね」

 こちらはユイルも気がついていたようだった。

「数日中に新しいのを用意できればいいんだけど」

 リッドは自分で言っておきながら難しいだろうなと首をひねる。ユイルの反応も思わしくないので、リッドがそう感じている以上に替えを用意するのは面倒なことなのかもしれない。

 どうしようか、と声をかけると、ユイルは首をぶんぶんと横に振り、何かを振り払うような仕草を見せた。

「わからなくすればいいのよね? ナイフで傷をつけるとか、どうにかして模様を見えなくするわ」

 キュッと口を結んだ。

「でも、大事なものだろう?」

 柄に刻まれているのは、魔女が使う伝統的な紋様で、他の国で出会った魔女が家ごとに違うのだと言っていたことを思い出す。

 彼女にとっては、仕事道具というだけでなく家族との大切な思い出の品でもあるだろう。

「称号を得るためには、仕方ないわ」

 あきらめではなく、前向きな決意だと言わんばかりの強い眼差しでリッドを見つめた。

 まっすぐで陰りのない眼差しだというのに、どうしてか、リッドはユイルの宣言とその顔つきに違和感を覚えた。


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