エピローグ2(最終話)

 眠い目をこすって隣を見る。

 小さく寝息を立てている横顔が手の届くところにあって、なんだか信じられない。

 いつもはもう一方のベッドに行っちゃうのに、隣で眠ってくれている事が嬉しかった。相変わらず寝坊助な顔に、蒼緒あおは微笑みかけた。

 

「おはよう、衣蕗いぶきちゃん」

 

 少しかすれた声で呼びかける。けれどやっぱり目を覚まさなくて、いつもと変わらない彼女に笑ってしまう。

 でも――、いつもと変わらない日々が嬉しかった。寝顔も、寝息も、ちょっぴりだけ悪い寝相も。白い頬にかかる綺麗な黒髪も。その黒髪を耳へと寄せて、まじまじと見つめる。ずっとそばにいたのに、こんなにも近くで見つめた事はあんまりない。……吸血の時はお互いに照れちゃうし。

 無防備で可愛い。日本刀を握っている時はあんなにも凛々しいのに。……だけど、凛々しい横顔も、ちょっと口元のゆるんだ寝顔も――


「……どっちも大好きだよ」

 

 そう言って、やわらかな唇に触れた。

 彼女には白く長い牙がある。牙が見えるからとあんまり笑わなくなっちゃったけれど。でも、いいんだよ、笑って。

 いっぱい笑って、いっぱい笑おうね。

 小さな事でいいから、これからもいっぱい笑おう。あなたが笑顔でいられるように、ずっと隣にいられるように、頑張るから。ずっとこれからも、あなたを一人にしないから。――あの日、あなたの手を握ったように。

 ……と、不意に赤暗色の瞳が開いた。

 

「……ん――、あお?」

「っ、い、衣蕗ちゃん? お、起きてたの?」

「ん……今……、起きた。……なんか、くすぐったくて」

 

 そう言って大きなあくびをする。いたずらがバレたみたいにどきりとしたが、まだ寝ぼけているようでふにゃふにゃしている。けれどこっちを見てふっと笑った。

 

「蒼緒。……寝癖」

 

 髪に触れ、覚束ない手つきで直してくれる。そう言えば昨夜は吸血されたまま寝ちゃったっけ。ちょっぴり恥ずかしい。そう思っているといたずらっ子のように彼女が笑った。白い牙が覗く。けれど隠そうとはしない。

 

「なんか、子供の頃から変わらないな。……この猫っ毛」

「え――、私だって本当は衣蕗ちゃんみたいなストレートが良かったよ。そしたら伸ばしたのに」

「いや蒼緒は、この猫っ毛がいいんじゃないか」

 

 そう言って猫を撫でるみたいに髪をもてあそぶ。

 

「……もう!」

 

 そうして二人で――笑い合った。


 あれからしばらく経ったけれど、お付き合いする前とあまり変わらない。相変わらず吸血は苦手だったし。……と思っていたら、雪音ゆきね曰く、「衣蕗の過保護が増した」んだそうだ。まあ元々彼女は心配性で過保護な方だけれど。

 ただ過保護と言えば、独占欲は強くなったのかも知れない。そもそも〈吸血餽〉は独占欲が強い傾向にあるらしい。〈花荊はなよめ〉にはわからないけれど、軍施設の中でも微妙に縄張りがあるらしいし。……なんだかワンちゃんみたいだ。

 雪音は過保護っぷりを見て、「ウザい」と言うけれど、雪音の紗凪に対する独占欲もたいがい重いと思うのでおあいこだ。まあ蒼緒も紗凪もそれが嫌ではないし、大事にされているなと思えて嬉しかったけれど。

 

 それから、数ヶ月に一度、軍には内緒で椎衣那に診察してもらう事になった。――のだが、その日は衣蕗の独占欲がひどくなる。軍には内緒なので、椎衣那の出張日と蒼緒の外出日を合わせて彼女の隠れ家で血液検査とか身体検査とかをしてもらい、それを闇医者にまわして精密検査してもらっているらしい。お陰様で問題はないみたいだった。

 けれどその日は衣蕗の独占欲がひどい事になるのだ。

 まあ……主に吸血面において。

 吸血がねちっこくなると言うか。それを紗凪さなから伝え聞いた雪音にはウザいと言われてしまうのだが、まあ……蒼緒としては大事にされてるんだと、かえって嬉しかった。


 そんなわけで、日常はあんまり変わらない。


 訓練して出撃して。……吸血されて。

 これからもずっと彼女の〈花荊〉で。それがたまらなく嬉しい。


 非常召集のラッパが鳴った。鼻の奥が少しツンとする。

 

 ――出撃だ。

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