第13話 ―衣蕗― A Monster of Misanthropy

 蒼緒あおに吸血させてもらったお陰で、だいぶ痛みは緩和した。二時間程度なら、痛みを気にせず済みそうだった。

 ……が。

 吸血した後からだろうか。なんとなく蒼緒の様子がおかしい気がした。おかしいというか、少しだけよそよそしいというか。だが原因まではわからない。


 それはそれとして。


「言っただろ。人間なんかに頼ろうとするだけ無駄だって」

 

 衣蕗いぶきはむっすりとして吐き捨てた。


 失血した分の体調不良は吸血で緩和されたものの、えぐられた傷口は開いたままだった。止血帯を取る事も出来ないままあちこち回って診てくれる医者を探したが、徒労に終わった。

 〈吸血餽〉だとわかると、皆恐れて門戸を閉ざしたのだ。

 そうなると衣蕗としては面白くない。

 というかそもそも医者嫌いな上、出会う人間たちにことごとく邪険にされ、腹が立った。頑固親父のように医者にはかからないと言い張ると、蒼緒がなだめすかした。

 そのくせ、なんだか目を合わせない――気がする。


 ようやく探し出した三件目の医者の門を叩いた頃には、衣蕗は辻斬りみたいな目をしていた。

 その衣蕗を、男がじろりと舐め回すように見る。

 

「あんたら……何モンだい? 軍人さん……ってのはわかるがね」

 

 女性の軍人は珍しい。おまけに衣蕗は苛立ちを隠そうともしない。

 喧嘩腰になってしまう衣蕗の代わりに、蒼緒が頭を下げた。


「すみません。腕の治療をお願いします……!」

「治療、ねえ。……そういや紡績工場で〈狼餽〉が出たって話じゃないか。……あんたらアレだろ。他を当たっとくんな」

「っ、困ってるんです。お金ならあります! 応急処置だけで構いません。危害を加えるような事は――」

「頼むよ。うちは小さい子供がいるんだ。〈吸血餽〉なんて勘弁してくれ!」

 そう言っては怯えるようにピシャリと引き戸を閉められた。

 

「……くわばらくわばら」

 

 去っていく足音と共にそう聞こえた。三軒目の医者に断られると、最早打つ手がなかった。

 衣蕗はうなだれる蒼緒の肩に触れると、踵を返した。

 

「もういいよ、蒼緒」

 

 兵営に帰投するにも、この町からは馬を使っても半日はかかるし、どのみち〈吸血餽〉に馬や馬車を貸す人間などいない。

 巷には闇医者もいるというが、あてもなかった。

 

 牙が生え、〈吸血餽〉として発症して軍に接収されて、二ヶ月半。衣蕗はいかに〈吸血餽〉が恐れられ、そして気味悪がられているかを知った。

 まあ、自分もそうだったし。

 噂程度にしか〈吸血餽〉も〈狼餽〉も存在を知らなかった上、新聞でどこそこの町に〈狼餽〉が現れて、被害者が何人出たとか報じられるのを、他人事のように見ていただけだ。その対応に〈吸血餽〉が充てられているのも知ってはいたが、化け物が化け物を退治している、くらいの認識しかなかった。

 

 〈狼餽〉だって、衣蕗たちが住んでいた谷潟やがた村では、ほとんど現れなかった。蒼緒と衣蕗が幼い頃に襲われたくらいで、被害は聞かない。襲われたのだって村の中心ではなく、郊外の湖のほとりだ。だから自分が〈吸血餽〉として発症するなど、思いもよらなかった。

 ただ、小さい頃から施設の大人たちからは、夜中に出歩くと〈狼餽〉に食べられちゃうぞ、と口をすっぱくして言われた。でも幼い衣蕗にとっては、農作物を食い荒らす猪や野犬の方がよっぽど嫌で怖い存在だった。

 

 化け物――とは言え、見たことがなければ御伽噺おとぎばなしの中の鬼と同じだ。

 

 正確には衣蕗と蒼緒は、見てもいるし襲われてはいるのだが、気絶してしまったし幼かったのでほとんど記憶がない。当時は怖い怖いと言って回ったが、ひと月もすれば子供たちの恐怖など薄れてしまった。

 とは言え、あれは御伽噺の中の化け物ではない。

 栄えた大きな街に出る事は稀だが、山や森に隣接する町村ではそれなりに出没するので、こうして対狼餽部隊の特務機攻部隊が駆り出される。

 

 やつらは百年ほど前から姿を見せるようになり、四半世紀ほどして三つの村を数時間で壊滅させた事実が新聞で報じられると、人々は恐怖した。出会ったら最後、捕食されるしかない。

 当然、政府は対応を迫られた。だが当時の帝國議会のお偉い議員たちは対応を軍に押しつけ、さらに損な役回りを押しつけられたのが自分たちだ。

 

 帝國陸軍第一師管特務機攻部隊――通称、野犬殺しストレイ・ドッグ・カーネイジ


 だが、軍属ではあるが、人間ではない。

 いや、正確には元人間、だ。元人間の化け物。

 目には目を、化け物には化け物を、というわけだ。


 〈吸血餽〉は人間が変態したものだ。

 普通の少女がある日突然、病気のように発症する。原因は不明だし、発症する個体を事前に予想するのも不可能だ。

 

 数十万人に一人の割合で生まれ、幼少期はほとんんど普通の人間と変わらないが、二次性徴を迎える頃になると、異能と吸血欲求が発症する。その異能と吸血欲求のため普通には暮らせなくなり、軍が接収し、とある仕事に従事させる。行き場のない少女たちは仕方なく、その運命を受け入れるしかなかった。

 一度、〈吸血餽〉として発症してしまえば、市井では暮らせない。人の食べ物は受け付けなくなるし、生き血を吸うために人々を襲って暮らせば、いつか討伐されてしまう。それに化け物扱いされては平穏には暮らせない。

 軍に収容されて、同じ化け物退治に当たるしかないのだ。


 衣蕗はあんなに優しかった養護施設の先生たちが、牙の生えた衣蕗を、怯えた目で見て来たのを思い出し、その目を閉じた。

 〈吸血餽〉は感染する。血を吸われたら二度と人間には戻れない――いまだそんなデマが巷に蔓延している。

 実際には吸血したとして感染などしない。精々麻薬のように禁断症状に苦しむだけだ。

 

 またもジクジクと腕が痛み出していた。

 異能があったとして、医者にかかれなければ野垂れ死ぬ。


「……仕方ない、歩いて兵営に戻ろう」

「でも、その間にもっとひどくなっちゃうんじゃ――」


 蒼緒が心配してくれるが、仕方がない。

 その時、小さな悲鳴が聞こえた。衣蕗たちが門前払いされた医院の前で、何かあったようだ。

 振り向くと小さな女の子が尻餅をついていた。その少女の前にカタギではなさそうな派手な身なりの男たちがいた。襟の大きく開いた着流しに刺青モンモンが覗く。一番関わり合いたくない手合いだ。


「あ? んだこの餓鬼ガキァ。ぶつかっといて詫びも無しかァ?」

「ご、ごめんなさい。急いでて……」

 

 どうも子供にごろつきが絡んでいるらしい。軍務規定で民間人への不要な接触は禁止されている。可哀想だが、懲罰を受けるのは御免だ。

 まあ、親か周りの誰かが声でもかけるだろう。

 

「行くぞ」

 

 しかし、衣蕗が踵を返しかけた時。あっと思った時には、さっきまで隣にいた蒼緒がいなかった。その事に気づいて額に手をやりため息をついた。


「大丈夫?」


 ――……やっぱりだ。

 蒼緒が女の子に声をかけている。それからごろつきの前で、女の子を庇うように両手を広げた。

 ああもう、人間なんかのために懲罰を受けるのは嫌なのに。

 ――お人よしめ。

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