第10話 ―蒼緒― A Bride and a Vampdoll 1

 〈花荊はなよめ〉は自らの主人あるじである〈吸血餽〉の出撃の際には帯同を義務づけられている。後方支援が主な任務となるが、最も重要なのは「兵糧ひょうろう」としての役目だ。

 特に負傷した際など吸血をすると治癒も早く、また一時的にではあるが痛みも軽減される。

 ――のだが。


「い、衣蕗いぶきちゃん、大丈夫!?」

 

 主人パートナーであり幼馴染みである衣蕗の血だらけの腕を見て、蒼緒あおはみるみる顔を青くさせて駆け寄った。アームカバーはボロボロで血まみれだ。噛まれたのだとすぐにわかった。

 

「いや、こんなのかすり傷だよ」

 

 いやどう見ても違うでしょ。

 しかし、蒼緒の心配をよそに衣蕗はさっさと歩き出してしまう。

 訓練を受け、配属されて一ヶ月半。大なり小なり、彼女が怪我を負わない出撃はなかったが、それにしても今日の怪我はひどい。どう考えても平気なわけがない。痛みだって相当なはずだ。

 

 彼女は人間だった頃から剣術をたしなんでいて武道の心得はあったが、どうにもその気概が空回りする傾向にあった。つまり無茶ばかりする。

 道場の師範代からも勇み足が過ぎると常々叱られていたのを蒼緒はしっかりと覚えているが、その性分は〈吸血餽〉になっても治るものではなかった。

 とは言え、今や衣蕗は特務機攻部隊の主力の一人だ。

 ただし蒼緒としては活躍をするより、怪我なく任務を終えて欲しいと思うのだが、その願いは大抵叶わなかった。――今日みたいに。

 

 二言目には「人間のために戦うなんて嫌だ。戦いたくもない」とか言うくせに、すぐこれだ。ツンデレか。……いや、デレてはいないけれど。

 

「ほんとに大丈夫? 痛くない? あああ、痛くないわけないよね。えっとえっと衛生兵――は、兵営から離れてるし、おおお、お医者様は――!?」

 

 言いながら蒼緒の目がぐるぐると泳ぐ。蒼緒自身は大きな怪我など負った事もないから、余計に心配でたまらない。それに衣蕗はすぐ平気な振りをしたり強がるから、なおの事心配なのだ。

 

「いや、蒼緒の方が落ち着けよ。……止血してるから大丈夫だ。それより思ったより被害が出なくて良かったよ。蒼緒の索敵のお陰だな」

 

 ありがとうな。そう言って頭を撫で、にこりと笑顔を浮かべる。

 確かに索敵なら自信がある。今回だって、あの広い工業地帯の中、スムーズに〈狼餽〉を追い詰める事が出来て良かった。ただし射撃は驚くほど当たらないが。

 それはともかく。

 

「じゃあ帰投するか!」

 

 にっこり笑って爽やかに言う。

 ここまで来ると強がりも筋金入りだ。

 

「平気なわけないよね? 痛いよね!?」

 

 本来なら立っているのだってやっとのはずだ。止血だってそう長くしていられない。〈吸血餽〉だから長くて半日ほどは耐えられるが、それ以上は壊死えしする事もある。壊死してしまったら〈吸血餽〉と言えど、切断するしかない。

 しかも切断したとて、出動が免れるわけではない。特務機攻部隊は常に人手不足なのだ。

 とにかく大きな怪我である事は間違いない。

 それなのに衣蕗は聞く耳を持ってはくれない。のらりくらりと矛先をかわそうとする。当然それには理由があって――。

 

「お前らは大袈裟なんだよ。この程度の傷――」

「ふーん、この程度ねぇ……」

 

 雪音が横目で衣蕗を見やる。

 やがて、工場の角を曲がり、人々の死角になった時だった。雪音が彼女の(負傷した方の)肩をつついた。

 

「うぎゃっ!」

 

 その瞬間、衣蕗が飛び跳ねたかと思うと、見事に膝から崩折れた。

 蒼緒が顔を青くして叫ぶ。

 

「いいい衣蕗ちゃん!」

「ほらご覧なさい。無理して強がるから」

「うぐぐ……つ……強がって、なんか……ない……。こ、これはたまたま、石に、つ、つまずいたんだ……」

「うーん、石なんてないけどね。でも痩せ我慢もし過ぎると身体に良くないし、先輩もあんまり意地悪しちゃダメだよ」


 言われているそばから青白い顔でダラダラと大量の脂汗をかき始める。その肩を蒼緒が支えて、壁に寄りかからせた。

 衣蕗に冷静に突っ込んだのは紗凪だ。彼女の言葉に雪音が、しゅんとなって黙る。

 

「ごめんなさい」

 

 常に不遜な雪音も、大事な〈花荊〉である紗凪には頭が上がらなかった。

 

 〈花荊〉とは、〈吸血餽〉によって吸血される少女を指すが、彼女たちは人間だ。軍規として〈吸血餽〉一人につき一人の〈花荊〉と定められている。また、作戦行動中は常に行動を共にする事が義務づけられているため、それを伴侶のようだと言う者もいるが、厳密に言えばそうではない。

 ――が、時に信頼関係を深くする〈吸血餽〉と〈花荊〉は少なくなかった。

 

 例えば雪音と紗凪もそうだった。

 

 特務機攻部隊――特機の任務は過酷だ。命や背中を預け合うパートナーとして行動を共にするうちに、無二の友として、時にそれ以上の信頼を寄せ合っていく。

 また、軍には娯楽が少ない。民間人との接触は極力避けねばならず、パートナーとは常に行動を共にするため、自ずと絆を深くする者たちが多かった。


「先輩、めっ、だよ? 衣蕗ちゃんが心配なのはわかるけど」

「ええ、気をつけるわ」

 

 紗凪が背伸びをしながら雪音のおでこをペンっと叩く真似をする。雪音が微笑む。それだけのやり取りなのに、イチャイチャして見えるのはなんなのか。


 蒼緒はいいなあ、と二人を眺めた。

 ちらりと衣蕗を見ると、呆れてドン引きしていた。うん、気持ちはわかるけど。万年新婚夫婦バカップルか。

 

「……それはいいとして、衣蕗ちゃんもあまり無茶しないで。痛かったら痛いって言ってよ」


 蒼緒は衣蕗を見上げてちょっとだけにらむが、当人は、でも、と口をへの字に曲げた。

 

「なんか、人間らの前で痛いとか言ったら負けた気がするし」

「負けるって何に対してなわけ? ……もう! ほんとに意地っ張りなんだから」

「いや、だって――」

 

「……ほんとに心配してるんだからね。……ばか」

 

「っ、」


 蒼緒は、じわりと浮かんだ涙を拭った。

 こっちの気も知らないで、いっつも無茶ばっかりして。心配する私が馬鹿みたい。

 

 すると怪我の痛みより、幼馴染みの涙に弱ってしまったようで、衣蕗が怪我していない右手で頬を掻いた。

 そう言えば、「蒼緒は怒ったり泣いたりするより、にこにこと笑っている事の方が多いから、こんな時どうしていいかわからなくなってしまう」と前の作戦で言われたっけ。

 でも仕方ない。いっつも心配かけるから。不満を込めて衣蕗の上着をぎゅっと掴む。するとさらに弱った顔をして言った。


「わ、悪かったよ。次からは気をつけるから」

 

 それから頭をぽんぽんと撫でてくれる。

 子供の時から変わらない。蒼緒が泣いていると、頭を撫でて泣き止むまでそばにいてくれる。

 そうされると怒ってたはずなのに、結局、許してしまいそうになる。無茶ばっかりするけれど、……優しくて。

 蒼緒は顔を上げて、ようやく少し笑顔を見せた。

 そんな二人を見て、呆れ顔で雪音が声をかけた。

 

「はいダメ。チョロすぎよ、蒼緒。――衣蕗はただ吸血を回避したいだけなんだから騙されないで。ほら衣蕗、少し血を吸わせて貰いなさい。多少は回復が早くなるし、楽にはなるから」

 そう言われて衣蕗がひっくり返った声を上げる。

 

「――はあっ!? ここで!?」

「っ、」


 町の中心部から離れているとは言え、町中だ。蒼緒も顔を赤らめた。だが、逃がさないとばかりに雪音が捲し立てる。


「はいはい、何、二人して恥ずかしがってるのよ。ちゃちゃっと吸えばいいだけでしょう? ていうかそのために〈花荊〉が作戦に帯同しているんだから」


 ちゃっちゃって……そんな、お昼ご飯でも食べるみたいに……。いや、〈吸血餽〉にとってはそうなんだけど。

 でも路上でなんて……。その、良くない事をするみたいで、正直……恥ずかしい。

 蒼緒は昨夜の事を思い出してしまい、顔が火照った。……昨日もいっぱい……こ、声出ちゃったし。出来れば室内――がいい。とは言え、衣蕗の怪我は深刻だ。


「いや、ちゃちゃって、……なあ?」

 

 衣蕗が弱り切ってこちらに助けを求めるが、蒼緒は意を決して火照る顔を上げた。

 

「――わ、私はいいよ……!」

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