第9話 ―衣蕗― A Horrible Monster
果たして責任者と思しき人物は、工場の正門を出た所にいた。働き手らしき婦人たちの前で喚き散らしている男がいる。まだか、とか、誰か見て来い、だの言っているが自分が身を呈するつもりはないらしい。
「責任者は?」
そう声をかけると、男がこちらを見てぎょっとした。明らかに不審そうな目で上から下へと視線を走らせる。
「あんた方、いったい何だ? 軍人様じゃないのか?」
軍服を着てはいるが、男じゃない。それが気に食わないらしい。衣蕗はふんっと鼻を鳴らした。
そこへ、部下と思しき男性が、声をかけた。
「だから言ったじゃないですか、工場長。ゔぁ……〈
「あ? ……ああ!」
その時、〈吸血餽〉の名を聞き場がざわついた。小さく悲鳴まで上がる。
男も怯えた目をして、部下を押し出し盾にして、下がる。
――下衆だ。
男が部下の陰に隠れたまま問う。
「あんたら……本当に、そうなのか?」
「……帝國陸軍特務機攻部隊の
ぶっきらぼうにそう説明したが、ざわついたままだ。男が鼻をしかめて小さく舌打ちした。
「あ? なんだ化け物が偉そうに……。おい、田宮。お前先に戻って見て来い」
吐き捨てるように言って、先程の部下にそう命令する。
化け物と聞いて衣蕗が眉をしかめた。
「なんだと?」
こっちは左腕を喰われながら倒してやったのに。確かに傷の治りは人間よりはよっぽど早いが、痛いものは痛い。牙でえぐられズタズタだし、これでは三日ほどは激痛に悩まなくてはならない。止血はしたもののろくに治療もできないのに。痛みもあって、いらだった。
「――これだから人間は嫌なんだ」
ぼそりとつぶやく。
状況終了後の人間の反応は、大概がこうだ。どれほど過酷な現場だろうと、何体退治しようと、〈吸血餽〉の名に怯えて化け物と罵る。左腕がジクジクと痛んだ。
「……あ? 化け物が何か言ったか? 化け物を化け物と言って何が悪い」
「……っ、自分たちじゃ何も出来ないくせに、〈吸血餽〉と見るとつけ上がりやがって、反吐が出る。命令だから守ってやってるだけなのに。――もう一度言ってみろ」
衣蕗が赤い目で睨みつけながら一歩踏み出すと、肩から下げたライフルがガチャリと揺れた。血まみれの腕に銃を下げたただならぬ姿に男がひるむ。……が、言い返さずには気が済まないらしい。
「ば、化け物は化け物だろ。倒したんならさっさと行ってくれ! 化け物がいなくなったと思ったらまた化け物かよ」
「なんだと貴様――」
その時だった。
「だめよ、衣蕗。軍務規定違反よ。下がって」
雪音が衣蕗の肩に手を置き、諌めた。そして男に向き直る。
「申し訳ございません。怪我を負って気が立っているのですわ。わたくしから謝罪いたします」
そう言ってにっこりと微笑み右手を差し出す。
雪音も〈吸血餽〉であるので、衣蕗に負けず劣らず美人だ。そもそも人間であった時から美しい人であったし、〈吸血餽〉になって華やかな妖艶さが増していた。衣蕗が涼やかな美人であるのと対照的に、雪音は人気役者のように大輪の花を思わせる美しさだった。
その雪音ににこりと微笑まれて、男の頬がついゆるんだ。
「い、いや、謝ってくれたんならそれでいいんだよ。……こっちも悪く言って済まなかったよ」
そう言ってヘラヘラと笑いながら、つられるように右手を差し出す。雪音がその手をやんわりと取り、もう一度花のように微笑んだ瞬間だった。
「ぐぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃあぁぁぁっ!」
男が悲鳴を上げた。――ペキ、という小指の骨が脱臼する音と共に。
「どうかなさいまして? さ、衣蕗、行きましょう。長居は無用だわ。以後、言葉遣いにはお気をつけくださいませね」
そう言って踵を返す。
男は鬼のような形相で何か言い返したそうにしていたが、痛みで言葉が出ず、涙を浮かべてうずくまるしかなかった。
*
「……お前、えっぐいんだよ、やり方が……」
数歩離れた所で、衣蕗がドン引きしながら言った。
正直自分も人間は嫌いだが、雪音は雪音で正直過ぎる。
「あら? 粉砕せずに脱臼で済ませてあげたんだから、むしろ褒めて欲しいくらいよ。貴女のその腕と比べたら安いもんでしょ」
しれっと言う。
いや、むかつく男だったとは言え、民間人相手に正直どうかと思う。
まあ雪音が止めなかったら、力一杯どついてたとは思うけど。
「いや、私のは折れてないってば」
「それだけボロボロになって何を言ってるのよ」
確かにひどい有様だ。防刃素材の
とは言え、雪音は仲間想いなのだ。――やり方がえぐいだけで。
男は逃げるようにそそくさと婦人たちの中にまぎれていくが、それを皆次々に避けていく。恐らく〈吸血餽〉と接触したから、気味が悪いと避けられているのだろう。なにも感染したりしないのに。
男はその間もこちらをにらんだままだった。
人間は〈吸血餽〉と見ると、あの男ほど露骨ではないものの、少なからず皆同じような態度を示した。衣蕗だって配属されてしばらくは、人助けだと使命感に燃えていた時もあったが、今ではすっかり人間嫌いになっていた。要はいじけているのだ。
〈狼餽〉退治など誰が好き好んでするものか。
そんな衣蕗の態度を見て、雪音も苦笑する。
その時、敷地の中から同じく軍服に身を包んだ少女二人が現れた。
それを見て男が顔を青くさせながら、野良犬でも追い払うように、しっしっと手を振った。
蒼緒と紗凪は〈吸血餽〉ではなく、人間だ。だが民間人にとっては同類なのだろう。
見ると、婦人たちも同じような、不安と気味の悪さを入り混じらせた顔をして、こちらを見ていた。
男たちの様子を見て、衣蕗の〈
「な、何かあったのかな?」
「――さあ?」
とは言うものの、二人もなんとなく察する。
詳細はわからずとも、雪音の〈花荊〉であるので紗凪は事態を察して、苦笑いを浮かべた。
蒼緒もまた、衣蕗の「人間嫌い」が出たのだと理解した。
――が、しれっとしているものの血まみれの衣蕗の腕を見て、蒼緒が素っ頓狂な声をあげた。
「い、衣蕗ちゃん、大丈夫!?」
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