第4話 ―少女たちの夜― A Vampdoll and a Bride

 衣蕗いぶきは改めて、ベッドにたたずむ少女を見つめた。

 思わず息を飲む。ひどく緊張していた。剣術の昇段試験だって、こんなには緊張しなかったというのに。

 

「い……いいか? 蒼緒あお?」

「待って、衣蕗いぶきちゃん。……その、恥ずかしいから……電灯、消してくれる?」

「ごっ、ごめん!」

 

 衣蕗は慌てて壁のトグルスイッチを押し下げ、明かりを消した。早速失敗してしまった。顔が熱くなる。

 ……が。

 正直なところ〈吸血餽〉なので夜目が利く。であるから、相変わらず露出の高い彼女が見えてしまっていた。そのせいではだけた胸元をどうしても意識してしまう。ワンピースからのぞく胸許は、たとえ寝転がっていてもふわりと小高い丘を形作っていた。それが衣蕗を余計に恥ずかしくさせる。

 

「……ご、ごめん。じゃあ、する、から」

「……うん」


 〈正しい吸血の仕方・三、女の子といい雰囲気になります〉


 ――いやわからん。

 性的に興奮させるため、まずはリラックスさせいい雰囲気になるというのは理屈ではわかる。だが実際にそうなるために何をすればいいのかさっぱりわからない。というか果たしてこれはいい雰囲気なのか? ――ドキドキはしているが。

 

「……あの、衣蕗ちゃん。…………吸っても、いいよ?」

 ……気を使わせてしまった。三は無理だ。よし、四だ。


 〈正しい吸血の仕方・四、女の子を押し倒します〉

 

 押し倒すってなんだ。いい雰囲気だって作れているかどうかわからないのに。いやでも、これは、まあ優しくやれば問題ないだろう。ゴクリと息を飲む。

 

「……あ、蒼緒。じゃあ……」

 

 じゃあ、ってなんだ。

 セルフツッコミをしながら、蒼緒の肩に触れた。彼女が察して寝転んでくれる。結局衣蕗自身はほとんど何もしていないが、とりあえず覆いかぶさった。ギシリとベッドが軋む。

 ……近い。押し倒しているのだから当たり前だが。

 ……と、ふわりといい匂いがする事に気がついた。

 

「蒼緒……、その、なんかいい匂いがする……な?」

「あ、うん。紗凪ちゃんから石鹸のおすそ分けしてもらったから、それ、かな。……嫌じゃ、ない?」

「いや、いい匂いだ」

「そっか。……良かった」

 

 そう言って蒼緒がはにかんで顔を赤らめる。なんだかドキリとした。

 それに本当にいい匂いだ。花の香りだろうか。微かに香る。そのお陰か少しリラックス出来た気がする。いや、こっちがリラックスしてどうする。

 気を取り直して深呼吸し、ゆっくりと首筋に顔を寄せた。嫌がる素振りはない……と思う。それから白い首筋に唇を寄せた。

 ――が、

 

「ひゃっ、」

「……っ!」

 

 唇の感触がくすぐったいのか、蒼緒が肩をすくめる。衣蕗いぶきは慌てて唇を離した。ただでさえ赤い顔にさらに熱が込み上げる。

 

「ごっごごごごごごごごごご、ごめんっ! ……や、やや、やっぱり嫌だったか?」

 

 顔が熱い。湯気が立ってもおかしくないほどに。

 顔を上げ問うと、慌てて蒼緒が小刻みに首を振る。ふるふると蜂蜜色の髪が揺れた。

 彼女の頬も真っ赤だった。

 

「……いっ、嫌とかじゃないの! ……私、こういうの慣れて……ないからっ! ご、ごめんね、いつまでも上手く出来なくてっ」

「い、いや、私が下手なんだよ、多分」

「い、衣蕗ちゃんは下手なんかじゃないよ。私が――」

「いや、私が――」

 

 ……ごめんね。

 ……ごめん。

 

 互いに謝り、青磁色の大きな瞳を逸らし顔を赤らませる幼馴染みの姿に、衣蕗の頬も耳も真っ赤に染まる。こんなふうに照れる彼女に慣れない。

 ……それに。

 慣れてないのはお互い様だ。なにせ「こんな事」は初心者同士なのだから。

 ベッドの上、

 シーツにしどけなく広がる蜂蜜色の髪、

 頬を赤らめて肩をすくませるのは誰よりも見知った顔。それを押し倒したりしているなんて。

 

「……ごめん」

「謝らないで? 私が決めたの」

「いや私が〈吸血餽〉なんかに――」

 

 謝罪を重ねようとして、それを留めて頬に触れられた。

 

 

「私が、決めたの。衣蕗ちゃんの〈花荊〉になるって」

 

 

 蒼緒がきっぱりとそう言った。凛とした姿に、はっとする。

 ……綺麗だった。

 いつの間にこんなに綺麗になっていたのだろう。

 蒼緒の決意に衣蕗の顔が淡く染まっていく。それは白磁の西洋人形に頬紅を差したようだった。まるでこの世のものとは思えぬほどに、生身の人間・・・・・よりずっと美しい。

 そう、


 ――衣蕗いぶきは人間ではなく、〈吸血餽〉――ヴァンプドール――だ。蒼緒を目の前にして吸血欲求を感じると、それを嫌というほど自覚した。


 吸血鬼とは御伽噺おとぎばなしの中だけで存在するのではなかった。

 その美しさは人間の――とりわけ無知でいたいけな少女を誘惑するためだとまことしやかに囁かれているが、事実彼女の知る同胞は皆、恐ろしいほどに美しかった。衣蕗もまた、歳を経るごとに美しくなっていった。

 

 以前――軍隊に入隊させられる前――、横ノ濱へ一度だけ観光をしに行った事があった。生まれてこの方、見たこともないような立派な洋館が立ち並んでいた。その店先で見かけた西洋人形を見て、蒼緒が言ったのだ。――衣蕗ちゃんみたい、と。

 それは日本人形とは違う華やかさがあった。村外れの道場に通うようになってから日本刀ばかり握っていた衣蕗には人形の事などさっぱりわからなかったが、それでも綺麗だと思った。

 だから誉めすぎだと口をへの字に曲げたが、瞳をきらきら輝かせて人形を見つめる蒼緒の瞳に、なんだかこそばゆくなったのだった。

 

 蒼緒は幼いながらに、何かを感じ取っていたのかも知れない。今なら自分が美しいと、人形のようだと言われる理由が嫌と言うほどわかるが。さりとて自分の容姿などどうでも良かった。

 けれど本人の意に反し、この世のものではないと思えるほどに少女は美しかった。言うなれば衣蕗は和製西洋人形といったところか。今でも時折蒼緒がお人形さんみたいだと言う。相変わらずこそばゆいが、蒼緒にきらきらした瞳で見つめられるのは悪い気はしなかった。

 

 今も、電灯の光を反射させ、きらきらとした瞳で見つめて来る。なんだか胸がうずいた。

 でもこれはきっと本能・・のせいだ。そうに決まっている。そうでなければ蒼緒おさななじみに性的興奮なんて覚えるはずがない。そう思うのに、衣蕗の中で、勝手に吸血欲求が高まって行く。

 ……嫌なのに。こんなの駄目なのに。

 どうにもならない葛藤の中、彼女は改めて自らの〈花荊〉に覆い被さった。組み敷いた少女の大きな青磁色の瞳が潤む。


 〈花荊〉――はなよめ――。


 〈吸血餽〉が血を吸うために寄り添う少女をそう呼ぶ。まるで伴侶のように、一人の〈吸血餽〉に一人、いるからだ。

 〈吸血餽〉は美食家が多かった。若く美しい少女を好み、これと決めた少女をじっくりと味わった。その間、他の者の血は吸わない。愛するようたった一人の少女の血を飲む。

 衣蕗が和製西洋人形ビスクドールのような顔立ちだとしたら〈花荊はなよめ〉である蒼緒はべべドール――幼女の人形だ――のようだ。瞳は大きく、頬のラインはふっくらと丸みを帯び、触れると西洋菓子のマシュマロのようで。

 それでいて人を見透かすような、雨上がりの朝を彷彿とさせる青磁色の瞳は淡くきらめいて、可愛らしかった。

 ――そんな事、本人には言えやしないけれど。

 

 「……衣蕗、ちゃん?」

 

 じっとしたままでいるのにいぶかしがった蒼緒が、目だけでこちらを見上げる。

 

「ご、ごめん、なんでもないから」

 

 謝るのはこれで何度目だろう。

 改めて決意を固め、彼女の首筋に顔を寄せかけたその時、蒼緒が言った。

 

「……あのね、衣蕗ちゃん、〈吸血餽・・・なんか・・・なんて……言わないで」

「え?」

「それに、謝らないで、……いいから」

「……蒼緒」

 

 だが、蒼緒に〈花荊はなよめ〉でいるのを強いているのは自分が〈吸血餽〉になってしまったからだ。彼女には普通の人生を歩む選択だって出来たはずなのに。もう二度と普通の暮らしには戻れない。

 ……本当に、ごめん。

 衣蕗はその言葉を飲み込んだ。

 

「……吸って。衣蕗ちゃん」

「……うん」

 

 もう一度、彼女の首筋に近づく。

 ……いい匂いがした。石鹸の香りとは違う。――〈花荊はなよめ〉の誘淫臭フェロモンだ。

 一度吸血して〈花荊〉になった少女からは、フェロモンが出る――はずだ。軍で最初にされた説明を思い出す。つまり、誘惑するのだ。

 捕食した主人たる〈吸血餽〉のため、身体が変化を起こす。月のものは止まり、代わりに〈吸血餽〉を誘う。

 誘惑する、というのはそのままの意味だ。実際、吸血しながら性的な行為をする〈吸血餽〉と〈花荊〉も少なくないと言う。はなよめ、と言われる所以の一つだ。

 

 ……いい匂いがする。石鹸の匂いじゃない。その変化は、蒼緒にもすでに始まっていた。こうしていると、自分の中で吸血衝動――性的興奮が高まってゆくのがわかった。嫌なのに。彼女をそんなふうに見たくはないのに。それなのに勝手に身体が熱くなる。理性までとろけてしまいそうだ。 

 けれど、血は吸わなくてはならない。吸血をこらえたところで飢えに苦しむのは自分だ。それに、一度吸血してしまったら、〈花荊〉とて禁断症状に苦しむ事になる。身体がそれを欲するようになるのだ。甘美な毒のように。

 

 ――蒼緒も、……欲しているのだろうか? 自分と同じように?

 

 いや、彼女も望んでいるだなんて、そんなわけがない。そんな都合のいい解釈をしていいわけがない。これはただの同情なのに。何度謝っても謝りきれない。もう一度胸の中でごめんと謝りながら、撫でるように優しく舐めた。――せめて、少しでも痛まないようにと。

 

「っ、」

 

 ……甘い。

 まさか幼馴染みの汗を甘く感じるようになるなんて。これも〈吸血餽〉になった・・・せいだ。香り立つフェロモンに導かれるように舌を動かすたび、ひくりと彼女が震える。

 

「っ、……っ、っ、」

 

 耳をくすぐるように吐息が聞こえる。それが衣蕗を簡単に刺激する。

 「初めて」の時はいきなり吸血してしまったために、彼女を痛がらせてしまった。今度こそ上手くやらねば。つまり、――気持ち良く・・・・・させる・・・のだ。痛まないように。


 〈正しい吸血の仕方・五、あれこれします。気持ち良くしてあげましょう。〉――だ。


 あれこれなんてわからない。けれど、衣蕗は蒼緒の白い首筋に舌をはわせた。――彼女が気持ち良くなるように。

 

「っ、っ、」

 

 羞恥心と罪悪感が衣蕗をさいなむ。

 衣蕗とて歳頃の少女なのだから、こんな事が突然平気になったりするわけがない。そのくせ自分の体液によって興奮する幼馴染みの姿を見せつけられ、さらにはフェロモンのせいでこちらまで性的に興奮してしまって。

 舌を動かすたび、蒼緒が身をすくめる。彼女の吐息にすら羞恥が込み上げる。

 顔が熱い。身体が勝手に……熱くなる。

 

「っっ、」

 

 彼女が懸命に声を噛み殺す。その震えが、触れ合った箇所から伝わる。

 じわりと下腹部が熱くなった。嫌なのに。なんで私は〈吸血餽〉なのか。

 

「っ、蒼緒……っ、」

 

 今度は首を咥えるように口を大きく開き、舌全体で舐めた。牙で彼女を傷つけないように気をつけながら。

 

「んっ!」

 

 彼女が震えた。その震えさえ刺激になる。

 

「っ、っ、っ、」

 

 舐めていると、ひくひくとした震えになる。内ももをこすり合わせるのがわかった。

 肩口を掴まれた。ただし押し返すような抵抗は感じない。……嫌ではない、のだと、思う。

 そのまま細い首を咥えるようにして、上下に舐めた。

 

「んんっ!」

 

 肩口を掴む力が強くなる。

 

「蒼緒、」

 

 彼女の名を呼び、咥えたまま、今度は舌先で撫でるように舐める。

 

「っ、っ、っ、」

 

 声を押し殺しているものの、触れ合った肌から震えが伝わる。たまらない。吸血、したい。彼女の甘い血を、飲みたい。飲んで、そして――

 

「……蒼緒、…………いい?」

「……待って、……っ、も、っ、すこし、」


 ……舐めて。

 

 潤んだ瞳でそうお願いされて、どうしようもなく胸がうずいた。ジンジンと身体の奥が熱い。

 

「……うん、」

 

 彼女の震えが性的興奮によるものだと意識すると、どうにかなりそうだった。

 幼馴染みのそんな姿を見てしまうなんて。なによりそんな彼女に自分が興奮しているだなんて。

 

「……蒼緒、」

 

 彼女のお願いの通り、もう一度首筋に唇をつけた。咥えながら撫でるように舌を動かす。……痛まないように、……蒼緒が気持ち良くなるように。……丁寧に、……優しく。

 

「っ、っ、っ……んんっ、」

 

 震えて身悶える彼女。こちらまでおかしくなりそうだ。……でも、その震えが嬉しいのも、事実で。蒼緒が、気持ち良くなっていてくれたら、……嬉しい。

 熱い。身体が。熱くて、たまらない。

 たまらず耳まで舐め上げる。耳を食んで、舐め、また首筋を舐めて。

 

「んんんっ!」

 

 大きく身じろぎし、シーツがよれる。顎を上げ、首が反る。まるで噛んでくれと言わんばかりだ。

 ……噛みたい。やわらかな首筋にかぶりつきたい。

 

「いぶき、ちゃ、……っ、やっ、」

「っ、……蒼緒……っ」

 

 けれど、まだ――だめだ。蒼緒の身体の準備が整うまでは、まだ噛んではいけない。焦れる。噛みたい。たまらない。

 こらえているせいで、荒い呼吸で牙が震えた。牙で肌を傷つけないようにして、舐める。舌先で撫で、掻き回すように円を描く。舌の感触に彼女が腕の中で震えるように身悶えた。

 

「んんんっ、やっ、いぶきちゃ、あ、あっ、」

 

 声が、甘い。そんな声で呼ばないで。たまらない。おかしくなりそうだ。――今すぐ噛みたいのに。

 

「蒼緒っ、」

 

 たまらず腰を抱いた。震える身体をいだきながら舐め上げる。身体が熱い。自分も、――蒼緒も。

 

「っ、……ぁっ、あっ、あっ、」

 

 彼女が震える。

 噛みたい。蒼緒を噛みたい。……モット、キモチヨクナリタイ。

 その時、少女の瞳から涙がこぼれた。

 

「い……っ、っ、い、ぶき、ちゃ、ぁ、ああ、っ……っ、おね、がいっ、……っ、」

「蒼緒……っ」

 

 咥えるように大きく口を開き、

 そして、


 ――牙を立てた。

 

「んんんんっ!」

 

 彼女が震える。

 少し牙を浮かすと、鮮血があふれた。甘い。たまらなく甘い。それを舐め、飲み込む。傷口を舌が這う感触に彼女が震えを強くする。

 

「んんんっ、んっ、んん、っ、っ、っ、」

 

 ビクビクと身体が震える。興奮は血を美味くさせる。彼女が興奮しているのが血の甘さからわかった。彼女が背を反らす。たまらない。

 そして、

 傷に唇を当て、強く強く――吸い上げた。

 

「んんんんんんん――――っ!」

 

 一際強くビクビクと蒼緒が震えた。衣蕗も震える。震えを感じながら吸い上げる。甘い。吸うほどに彼女は声も上げられないほど強く震えた。その震えさえ快感を際立たせていく――

 

 ……やがて、震えが引き、彼女が長く息を吐いた。

 互いに荒い息をつく。

 それから、そっと、顔を上げた。そんな微かな刺激にさえ敏感になっているようで、彼女が身じろぎする。

 ――が、そのままシーツに埋もれるように脱力した。

 吸血に慣れていないため、口元から血がこぼれた。それがシーツに染みていく。

 ああ、次はもっと上手く吸わなくては。


 そう思いながら、少女は下腹部に熱を感じていた。


          *


 〈吸血餽〉になる前はただの幼馴染みだったはずなのに。今も胸の動悸が静まってくれない。自分はどうしてしまったのか。蒼緒は蒼緒なのに。

 きっと彼女は幼馴染みだったから、〈花荊〉になってくれたのだと思う。放っておけなくて。擁護施設でだって、人の面倒ばっかり見て、いつだって自分のことは二の次にするような子だったから。


 ……同情だ。


 衣蕗は小さく息を吐いた。

 こぼれた血を拭き、衣服の乱れを丁寧に直し、蒼緒に掛け布団をかけてやる。それから布団ごと身体をポンポンと優しく叩いた。蒼緒が施設で小さい子らにしていたみたいに。


 せめて――蒼緒がゆっくり眠れますように、と。

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