第8話 「なかんずく」千年の重み

 ―――統一教会と接点を持っていた議員は立憲民主党や日本維新の会など野党にもいる。しかし、規模、質の両面で深い関わりを持っていたのが政権党の自民党、安倍派(清和政策研究会)所属の議員たちである。(東洋経済ONLINE:https://toyokeizai.net/articles/-/613877 より)


 ここで「」というのは「」安倍派は、という意味。


 「なかんずく」という言葉に「千年の歴史がある」というのは、あくまでも推測。もしかしたらそのルーツはもっと古いかも知れない。


 初出は、調べてもわからなかった。ただ、約千年程前から「就中」を「なかんづく」と読んでいたらしい、ということは、推察できるのだ。


『今昔物語』という、同じく平安時代末期に成立した(らしい)説話集がある。


 ここにすでに「なかんづく」という言葉が見られる。


―――なかんづくに伊勢の国は・・・(以下略)


 と「に」が入るものの、相当古い例として『岩波古語辞典』(岩波書店)にも掲載されている。


 「就中」→「中にく」→「なかんつく」→「なかんづく」→「なかんずく」と変化して、現代に生き残っている。


 意味としては「特に、とりわけて」。


 では「特に」とか「とりわけて」と言えばよいところを、どうしてわざわざ現代においても「なかんずく」というのか。

 

 上記『岩波古語辞典』によれば「特別の事情や条件を説明するときに用いる語」とある。


 最初に挙げた、東洋経済ONLINEの記事の引用文、これを「言い換えて」みる。


 ―――統一教会と接点を持っていた議員は立憲民主党や日本維新の会など野党にもいる。しかし、規模、質の両面で深い関わりを持っていたのが政権党の自民党、安倍派(清和政策研究会)所属の議員たちである。(東洋経済ONLINE:https://toyokeizai.net/articles/-/613877 より)


 これでも別に、意味は通じる。しかし、この「なかんずく」をあえて使う意味としては、


「特別な事情や、条件があるんですよ」


 ここを強調し「とても重たいことなんですよ」と伝えたいとき、


「特に」や「とりわけ」を用いてもよいところを、あえて「なかんずく」と古い語を用いる。


 そう仮定すると「なかんずく」が千年生き残ってきた理由が見えてくるのではないか。


 例えばこんな例は、違和感しかない。


―――パスタを美味しくゆでるには、大量のお湯と、絶妙な塩加減、このふたつが重要なんです。(筆者談)


 これは別に、「特に」や「とりわけ」を用いても良さそうな例である。私は毎日自炊していて、パスタ料理がいちばんの得意分野であるが、塩加減を少し間違えても、後で調整すれば大失敗まではいかないし、お湯も大量でなくても、何とかなる。少量のお湯で電子レンジでチンする「パスタをゆでる専用の」タッパーが百均で売っているが、これも、そこそこ美味しいパスタはできる。


 ところが、これはもう「なかんずく」しかないだろう。


―――今やわが国は有史以来の偉大なる政治的社会的精神的変革を遂げつつある。われらはそれを通して平和と道義の真正日本の建設と新日本文化の創造を為さなければならない。これこそはわれわれ学徒が精魂を傾けて成し遂げねばならぬ偉業であり、心血を注いでのわれらの新たな戦―「理性」を薔薇の花として、それと厳しき「現実」との融和を図る平和の戦である。(昭和21年、3月30日。東京大学安田講堂にて開催された「東大戦没並に殉難者慰霊祭」における、南原繁総長の式辞より引用。『東京大学の式辞』 石井洋二郎 新潮新書)


 日本は一度、倒れた。「大日本帝国」は、滅んだ。しかし我々日本人は、滅びない。再び立ち上がるときが来た。新しい日本の建設と、あたらしい日本の文化の創造を為さなければならない。


 それこそが、特に・・・というと、なんだか弱い。とりわけ・・・というのも、まだ軽い。やはり、南原総長の選んだ「就中(なかんづく)」こそ、ここでは、相応しいチョイスだったのだ。


 南原総長が、そしてこの日、南原総長のスピーチに胸を熱くした若人たちが、いま令和の日本を観たとき、何を思うだろう。


 戦争で散った若者たちが、いまのこの日本の現状を知ったとしたら、何を思うだろう。


 まさか、スシローの醤油のフタをペロペロした動画が拡散されて、国会議員の給料が上がり、生活必需品の価格が高騰する中で、国民の所得は減り続け、海外の支援にはお金をばらまき、売れ残りの旧式兵器を買い漁り、生命を賭して全人生を懸けて戦っている人たちの所へ行って無邪気に「しゃもじ」をプレゼントする首相がいて。


 そんなことを考えたところで、何がどうなるわけでもないのだが、日本とは、高い精神性と、道徳と、清潔さと、美しさを、大切にする国ではなかったか。


 中国から伝わった「礼儀作法」は、日本において「魂の文化」として華開いたと思っていた。


 しかし最近では、会社でも上司や同僚からの挨拶を「無視」する若者が増えているという。


 待て待て。ここは、じじぃの愚痴を披露する場ではなかった。


 「なかんずく」さんが、いかに長命なことばであるかを、確認したかった。


 平安時代の末ごろには、すでに今のかたちで用いられ、同じ意味でずっと使われ続けてきて、令和の時代になっても、変わらず活躍しているすごい言葉。


 どなたか、いかにして「就中」という語が生まれ、それがいつ頃から「なかにつく」とまれ、それが音便化して「なかんづく」となり、それが現代にまで使われ続けている、その変遷を、ひとつの学問分野として、研究してもらえないだろうか。え?ある?


 だいたい、国文学の語彙研究において「上代」が専門なら、奈良時代の研究だけに終始してしまい、「中古」が専門なら、平安時代だけの研究しかしない。「中世」なら、鎌倉~室町がメイン。「近世」の専門家は、江戸時代だけを扱う。「近代」なら明治~戦前だけの範囲しか扱わない。


 それでは「なかんずく」さんが、どうやって生まれて、どんな青春時代を過ごし、どんな紆余曲折を経ていまもお元気で活躍されているのか、あやふやなままである。


 そこは「国語学」の出番だろう。故・大野晋博士の遺志を継いで、研究を続けておられる方々・・・


 これ、何が難しいって『萬葉集』や『古事記』などの上代文学を学術的にちゃんと読めて(当然古代中国の古典・仏典もちゃんと読めないといけない)、更に『源氏物語』の表現にも精通し、『里見八犬伝』や『雨月物語』などの江戸期の文学作品をすべて網羅しながら、明治・大正・昭和前半の近代文学にも専門性を持ち、更に現代の文学を学問としてちゃんと扱える人じゃないと、研究として、まったく成り立たない分野なのだ。


 そんな無茶苦茶な事ができたのは、後にも先にも、本居宣長翁か、大野晋博士だけだったのではないか?・・・AIさんに頼るしかないのか・・・それは寂しいぞ。なんだか。

 

 そう考えると、国語辞典を編纂されている先生方、偉いなあ。頭が下がる想いです。

 



 

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