第13話 忍び寄る魔の手

 魔法学園の生徒は、皆寮で暮らしている。

 しかし、学園の外を出歩いてはいけないという決まりがあるわけでもないので、王都に別邸を持つ上級貴族の子弟は、ほとんどそちらで寝泊まりしていることも少なくない。


 もっとも、それが彼らにとって良いことであるかどうかは、人によるだろうが。


「数日ぶりだな。元気そうで何よりだ……と言っておくべきかな」


「…………」


 カーディナル家当主、グレゴリオ・カーディナルと向き合ったルクスは、学園で見せる強気な態度が鳴りを潜め、顔を俯かせていた。


 とにかく無駄を嫌い、余計なものが省かれた無機質な執務室。


 質実剛健と言えば聞えは良いが、五年間共に過ごしたルクスには、それがグレゴリオの非情さの現れであると理解している。


 自分にとって不要なものは、何であれ切り捨てる。例え、それが息子であろうとも。


「入学試験の話は聞いた。首席だったそうだな」


「それは……も、申し訳ありませんでした!!」


 グレゴリオから放たれる無言の圧力に負け、ルクスはいち早く頭を下げる。


 そんな彼に、息子との対話中だろうとお構い無しに書類仕事に精を出していたグレゴリオはピタリと手を止め、顔を上げた。


「何を謝っている?」


「それは……あの平民、ダルクを相手に無様に敗北したことです。もう二度と、あのような醜態は晒しません、次の機会さえくだされば、必ずや雪辱を晴らして見せます!!」


 必死に懇願するその姿は、端から見ればもはや命乞いに等しい。とても、親子が交わすような会話ではないだう。


 だが、そうなるのも必然だ。


 実の息子であるダルクさえ、魔法が使えないという理由で追放されたというのに──養子でしかないルクスがそれ以下だと見なされてしまったらどうなるか、考えるまでもない。


 そんな彼に、グレゴリオは冷たい口調で言い放つ。


「“次の機会”は与えられるものではなく、自らの手で掴み取るものだ。お前は戦場で敗北した時も、相手の慈悲に命を託すのか?」


「っ……!! そ、それは……!!」


 言葉選びを間違った。父の機嫌を損ねてしまった。


 頭の中が真っ白になり、恐怖のあまり震えそうになる体を押さえ込むので手一杯となる。


 そんなルクスに、グレゴリオは深い溜め息を溢した。


「まあいい、今回は私が手を回してやる。カーディナルの名を背負う者として、これ以上無様な姿を晒すなよ」


「は……はい!!」


 失礼します、と頭を下げたルクスは、執務室を後にした。





 自室に向かう気にもなれず、別邸を後にしたルクスだが……学園に戻る道すがらも、頭の中は先ほどグレゴリオが口にした言葉でいっぱいだった。


『今回は私が手を回してやる。カーディナルの名を背負う者として、これ以上無様な姿を晒すなよ』


 グレゴリオは、やると言ったらやる男だ。必ずや近日中に、ダルクに雪辱を晴らす機会は巡って来るだろう。


 しかし……果たしてそこで、ダルクに勝てるのか? と自らに問い掛けた時、ルクスは自信を持って頷くことが出来なかった。


 魔道具という未知の力。

 “魔力がない”という欠点を埋め、完璧に使いこなすだけの戦術と立ち回り。


 そして……ルクスでさえ惚れ惚れするほどに卓越した、魔力制御技術の高さ。


 客観的に見て、ダルクの力はこの学園内でもトップクラスだろう。それを、ルクスは嫌というほど理解させられた。


 そんなダルクを相手に、ルクスが求められているのは単なる勝利ではない。“カーディナルの名を背負う者”としての勝利だ。

 平民相手に接戦を演じるようなことになれば、仮に勝てたとしてもグレゴリオは納得しないだろう。


 ダルクを相手に、圧倒的な勝利を掴む。一度敗北した事実を塗り替え、カーディナルに相応しいと誰もが認めるほどの力を見せ付ける。


 それを成し遂げるビジョンが、ルクスにはどうしても思い描けなかった。


「くそっ……俺は、まだ……カーディナル家に捨てられるわけには……!!」


 頭をかきむしり、歯を食い縛る。

 フラフラと幽鬼のような足取りで進む彼の姿は、周囲からはさぞ不審に映っただろう。


 そんな周りの目も気にならないほど、己の考えに没頭していたルクスは……気付けば、見知らぬ路地に迷い込んでいた。


「……? なんだ、ここは?」


 道に迷ったと、普通ならそう考えるところだろう。

 だが、ルクスはこの状況に、言葉に言い表せない違和感のようなものを感じていた。


 それは一体何だろうかと考えて──人の気配が全くしないことに気付き、背筋が凍る。


「ご機嫌よう、ルクス・カーディナル様。お会い出来て大変嬉しく思います」


 突然聞こえた声に驚き、ルクスは反射的に飛び退く。


 するとそこには、タキシードに身を包んだ紳士が一人、音もなく佇んでいた。


「貴様、何者だ……!? 認識阻害と人払いの魔法まで使って、俺に何の用だ!!」


 周囲の人間の意識や精神に作用するタイプの魔法は扱いが難しく、町中で使うのは正当な理由がない限り明確な犯罪行為だ。


 まして、自分一人だけ隔離するような使い方は、敵対行動と取られても文句は言えないだろう。魔力を練り上げ、精神への耐性を強く保ちながらルクスは叫ぶ。


 にも関わらず、その紳士風の男はルクスの反応に動じた様子もないまま、恭しく例を取る。


「これは失礼。私の名はスペクター……こちらにも事情がありまして、このような形での訪問となったことは心苦しく思います」


 ただ、と、顔を上げた紳士──スペクターは柔らかい笑みを浮かべた。


「私どもの提案は、必ずやルクス様のためになると確信しております」


「俺のためになるだと? お前のような怪しい人間が何を……」


「勝ちたいのでしょう? ダルク・マリクサーに」


 スペクターの言葉に、ルクスは言葉を詰まらせる。

 その反応に気を良くしたのか、スペクターはなおも続けた。


「実は、私の主もダルク・マリクサーが持つ“魔道具”というものの存在を大層憂いております。あれは魔法の価値を貶め、民衆をつけ上がらせる悪魔の手法。決して世に広めてはなりません。確実に叩き潰し、学園から追放すべきでしょう。そのために、私達も協力したい」


 そう言って、スペクターが取り出したのは小さな水晶玉だった。


 どこか不気味な紫紺のそれを、ルクスへと差し出す。


「これは、摂取した者の潜在能力を限界以上に引き出す魔法触媒です。効果の程は人によりますが、ルクス様なら間違いなくダルク・マリクサーを打ち倒すだけの力を得られるでしょう」


「……デメリットと対価はなんだ?」


「使用すれば、体には相応の負担がかかりますね。対価については、先ほども申し上げたでしょう? 私達はダルク・マリクサーと、彼が持つ魔道具の力が気に入らないのですよ」


 だから、これを使って打ち倒せと、スペクターは告げる。


 ダルクが中間考査の結果次第では退学になるという事実を、ルクスはまだ知らないのだが……なぜか、ダルクに勝てば彼を追い出せるという話に、欠片ほどの疑問も抱けない。


 それが真実なのだと、根拠もなく信じてしまう。


「さあ、どうぞ」


 ルクスは、この時点で二つミスを犯していた。


 一つ目は、スペクターと一対一になった時点で、素早く制圧にかからなかったこと。


 精神に作用するタイプの魔法は、相手との力量が相当に離れていなければ効き目が悪い。そんな先入観に囚われ、会話をしてしまった。


 そしてもう一つ、致命的なミスは──スペクターの話に、多少なりと魅力を感じてしまったことだ。


 ダルクに圧勝するための手段を模索していたルクスにとって、自らの力を高める触媒は文字通り喉から手が出るほど欲しているもの。だからこそ、心の奥底で願ってしまった。


 この話が、本当であって欲しいと。


 その願いが、ルクスの精神に張られた防壁を僅かに緩ませ、スペクターの付け入る隙となる。


「…………」


 いつの間にか、瞳から光を失ったルクスが、水晶玉に手を伸ばす。


 それをスペクターは、それまでとは違う、醜悪な笑みで見つめていた。

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