はるつげさんとほしみくん

CHOPI

はるつげさんとほしみくん

 暗い路地裏。湿ったアスファルトの臭いが鼻につく。冷たい雨が降っていて、濡れた身体は寒さで凍えて、ただただ心細くて。それが、ボクが物心ついた瞬間だと思う。一番、自分の中での古い記憶だ。


 「どうしたんだい? ずぶ濡れじゃないか」


 頭上から聞こえてきた声に、思わず頭を上げる。視界に入ったのは、濃いめのピンク色を主体とした番傘、そこに散りばめられた花の絵柄は雨水を反射して輝いている。延ばされた腕はキレイでフワフワな白い体毛に覆われていた。濡れ鼠で真っ黒な自分とは正反対だった。視界の半分を覆っていた濃い目のピンク色の番傘が少しだけ上に傾けられ、延ばされた腕の先、続いて見えたのは、キレイな三毛柄の三角耳と、こちらを射抜くような、それでいて慈愛に満ちたような、強くて優しい青色の瞳。


 「……行くところがないのなら、一緒に来るかい?」


 あぁ、なんて。なんてキレイな、声なんだろうか。


 ――……それが、ボクと『はるつげ』さんとの出会いだった。



 ******


 ぽかぽかと温かい日差しが気持ちのいい、午後2時。窓際に置いてあるラグが午後の日差しを浴びて程よく温まっていて、ボクはそこにお気に入りの厚手のタオルケットに身を包んでゴロン、と横になる。最近は少しずつ寒さが和らいできて、こんな日はお昼寝をするのに気持ちがいいんだよなぁ……と、ウトウトしてしまう。まだまだ寒い日が続く、と思っていたけれど、実はもうそんなに春は遠くないのかもしれない。


「おや? 全く、おまえは本当によく寝る子だね」


 やってきた眠気に抗えずに瞑った眼を開けなくて、だけどその独特な話し方であなただってすぐにわかるんだ。


「……はぅつげさぁん……」


 ふわふわとした思考の中、それでも大好きなあなたの名前を呼んだ。……ちゃんと、呼べていただろうか。いつの間にか隣に居た彼の、空気が少し、揺れた気がした。


「……ふふっ」


 それから何を言うでもなく。はるつげさんはただただ優しく、ボクの頭を撫でていた。


 ……そういえば、いつの間にボクの隣に来たんだろう、と寝ぼけたままの頭の片隅で考えた。はるつげさんは気配を消すのが本当に上手いと思う。ボクの大好きなあの白い腕が、優しくボクの頭を撫でてくれている。ふわふわ、ふわふわ。あまりに優しくて、あったかくて、ボクは夢と現実の間で、だけどちゃんとあなたの事を感じているのだ。


 するはずのない、甘い香りがしたような気がした。ボクが大好きな、あの甘い香り。……あぁ、そうか、そうだった。あの甘い香りは、春の訪れを告げるから、もう香り初めてもおかしくない季節になったのか。


 一瞬だけ、鼻先に感じたその甘い香りは、だけどすぐに離れていった。同時に感じていたあなたのぬくもりも、スッと離れていってしまって。


 あぁ、待って。嫌だ、行かないで。


 だけどそれらはうまく声にならない。いやだ、もう、暗いのも、寒いのも、独りなのも……


 暗い路地裏。湿ったアスファルトの臭い。冷たい雨が降って出来た水たまりに映し出された黒い身体、黄色い眼。ただ、黒い色で生まれてきた、それだけであまり好かれない存在だということを知ったのは、いつの事だっただろう。彼のくれる優しい甘さがだけが、ボクの全てだった。


「おや? 怖い夢でも見ているのかい?」


 はるつげさんの声が聞こえた。あぁ、良かった、そう思った。同時にバサァッ、と何かを広げる音がした。


「こっちへおいで。ワタシも一緒に、少し眠るから」


 そう言いながら、ボクのタオルケットに包まれた身体ごと、抱え込んでくれた。その時ようやく、やっとの思いで薄目を開けたボクが視たのは、大きめな毛布でボクを一緒に包んでくれたはるつげさんの優しい顔だった。その顔を見ただけで、さっきの不安は一気に無くなる。


 ……あぁ、はるつげさん。ボクは、アナタさえいれば、それでいいのです。


 ******


 ――……暗い路地裏。濡れたアスファルトの臭い。冷たい身体。ここはどこ。


 一寸先は死。そんなボクに、あの日アナタは、トクベツをくれた。


『「ほしみ」、それが今日からおまえの名だよ』


 優しい声で、優しい贈り物。ボクはその時ようやく、この世界に『在る』ことが出来たんだ。

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