第36話 あたたかくてやさしい町

 リリカちゃん握手会――もといフレスタ教会の布教活動は続く。


「クーデルト家の貴族である私に、あのような口をきいた子供はお前が初めてだ」


 次に来たのは紳士風の男だった。見覚えがある。

 確か、炊き出しでセルフサービスの水を要求してきた田舎貴族だ。


「とはいえ、小娘の分際でその度胸だけは見上げたものだ。敬意を表して、その『サムネの書』……だったか。記念にもらっておいてやるから、寄こしなさい」


 今も相変わらず偉そうだけど、この田舎貴族。

 話によると貴族でも爵位は高くなく、一方で領民からは不満をぶつけられるような苦労続きの日々を送っていたらしい。しかし気分転換に訪れた町で、当たり前のことを思い出さされた。自分も礼節や思いやりが必要な、一人の人間であることを。


 貴族という生い立ちもあり、これまで傲岸な振る舞いを諭してくれる者もいなかったのだろう。しかし一方で紳士風の男は自分の家名にも誇りを持っており、それも自分を形成する大事な一つなのだと。その上で、あくまで一人の人間として、無理なくやっていくのだと語った。


 田舎貴族はそんな感じで勝手に納得すると、どこか満足げに立ち去って行った。



「よお。俺のこと覚えてるか? この噴水近くでお前に臭いとか言われたんだが」


 次に来たのは屈強そうな肉体を誇る半裸の男。


 彼はその見た目通り、建設業において力仕事を生業とする男だった。目の前に立つ宿屋はこの男が建てたものらしい。父も祖父も代々同じ仕事をしており、この町には自分の祖先が建てた建物がたくさんあると得意げに語っていた。


 例えば自分のまだ幼い子供も、いつか同じ仕事を継いでくれたら。

 そうやって、この町に自分達が生きた証が形として遺されていくのなら。

 人としてこれ以上の無い幸せだろう。


 そんな思いに耽りながら町を眺めていたところ、男は幼いシスターに注意された。午前の仕事を終えたばかりで暑かったから半裸で涼んでいたが、確かにそんな自分が町の景観を壊したら世話ないと、苦笑しながら謝られた。


「ゴブリンにやられて死にかけてたところを助けてもらった冒険者です!」


 見るからに弱そうな四人組の冒険者パーティ。

 彼らは幼い頃から冒険者ごっこで遊んでいた仲良しだったらしい。そしてこの四人で冒険者になるという夢を叶え、意気揚々とダンジョンに向かったところをゴブリンにやられてしまった。


 瀕死だった戦士の傷が癒えると、なんと四人はまた懲りずに『ビラムの森』へと挑んだ。しかし前はリーダー格だった戦士に頼っていたことを恥じ、今度は力を合わせて戦い、乗り越えてみせた。


 目的を達成した喜び。

 大人になったんだという実感。

 彼らは宣言した。これからも四人で地道に頑張っていくと。森に棲むゴブリンがたまに街道に出て危ないから、自分達がこの町のことも守り抜いて見せると。

 傲慢だった自分達の目を覚まし、新たなチャンスを与えてくれた教会に感謝の言葉を告げると、四人はまたダンジョンへと向かっていった。


 それからも次々と色んな人がやってくる。

 一人一人がなにかしらの罪悪感を打ち明けてくる。

 その内容は様々だけど――共通して言えるのは、少なくとも、みんな悪い人ではないような気がしたことだった。


 人は誰もが罪を背負っている。

 けど、そのことに気付くには、切欠みたいなものが必要で。

 それを打ち明けるにも、気軽にそれができるような機会があれば、なお良くて。



 ――お前、布教をしようとする相手のこと、本気でそんな風に見てるのかよ。



 だからあの人は、こんなふざけた布教の方法を考えたのだろうか。


 大好きだった母と切り離され、流れ着いた町。

 何もかもが嫌いだった。

 でも、見ようともしていなかった。


 この場所も母と住んでいた町と同じくらい、あたたかくて。

 やさしい町だったのかもしれないのに。


 どんどん人が集まってくる。

『サムネの書』も行列もまだまだ残っている。先は長い。


 とにかく、この調子で握手とサインを――


「うっ……!」


 しかし握手のために上げた右手が、小刻みに震えていることに気付く。

 痺れるような痛みがはしり、思うように動かない。


「……、」


 ひとまず笑顔でごまかそうとすれば、今度は顔がひくひくと引きつった。

 鏡を見るまでもない。今の自分は笑えていない。


 まだたくさんの人が並んでいるのに。

 一人ずつ、相手をしていかなければならないのに。


 その時、自分の手に何かが重なるのが感触でわかった。

 緑色の小さい手。

 これは――ゴブリン人形?


「くふふふ。がんばるです。ゲーニッツ君もリリカちんのこと応援してるです」


 そう口にするのは一人のゴブリンマスクだった。

 胸に抱いたゴブリン人形から、それがラギだとわかる。


「うひひひ。リリカちんのほっぺ、もちもちで良質のパン生地みたいっす」


 今度は後ろから別のゴブリンマスクが顔をこねくり回してきた。

 この気安い態度と軽い口調は、間違いなくアギだ。


「大丈夫? 少し休む?」


 また別のゴブリンマスクが顔を覗かせてきた。

 マスクからのびる金色の髪からして、これはモニクだろう。

 こちらの異変に気付いたのか、こんなことを言う。


「あなたの右手は度重なる握手とサインで腱鞘炎になりかけてるみたいね。そして笑顔も心からのものではないから、表情筋を非常に酷使しているの」


 ああ、なるほど。

 つまり手と顔の痺れは、疲れによるもの。

 だから双子も右手と顔をやたらと触って来たのか。


 けど、余計なお世話だと思う。


「べつに……ぜんぜん、平気です」

「その意気よ!」

「えっ」


 するとモニクは嬉しそうに声をあげた。


「ざっと見たところ、『サムネの書』はあと百五十冊。つまり、あと百五十回! 時間に換算すると一冊で二分として三百分、たった六時間の辛抱だから!」

「えぇ……」


 この人は、なんでわざわざ命懸けの苦行みたいな言い方してくるのか。

 嫌がらせ?


「がんばって!」


 しかしモニクは両手を胸の前でグーにして、明るいエールを押しつけてきた。意外に脳筋な人だから、悪意とかは無いんだろう。多分だけど。


 モニクといい、双子といい。

 いつも素気なくしてるのに、どうしてここまで構ってくるんだろう。


 あれ? さっきのゴブリンマスクが、モニクってことは。


 あの人は。

 アルバイトのくせに、またどこかでサボってるの?



 ――笑えよ。

 ――見せてやろうぜ。俺達フレスタ教会の底力が起こす奇跡の逆転劇ってやつをな。



 わかっています。

 偉そうに言わないでください。クズのくせに。


「いえーい天使ちゃん! この前、激ウマなパン屋さんを見つけたんだけどさあ!」


 次の人が来る。

 今度はパンより軽そうな頭をしたハエみたいな男だ。

 早く相手をしないと!


「あなたは自分の罪を意識したことがありますか」


 しかし、なんでだろうか。

 疲弊していたはずの右手が少しだけ楽になっている気がする。

 顔もあたたかくて、ふわふわしている。


 ちゃんと笑えているのかは、わからないけれど。


「さあ、懺悔してください」


 もう難しいことは考えない。

 わたしは、ただみんなのことを受け入れてあげればいい。


 あの頃のお母さんが、そうだったように。


「このわたしが、全部聞いてあげますから!」

 


 そう口にする幼い使徒は、確かに笑っていた。

 表情筋だけで作られた、天使と形容するにふさわしい笑顔――ともまた違う。


 どこか勝ち気で、小生意気そうな。

 それでいて年相応の子供らしい。


 それはこの少女本来の、純粋な笑顔なのかもしれなかった。






 噴水広場ではまだまだ布教が続いているはずだ。

 果たしてどれだけの懺悔と赦しの言葉が交わされていることだろう。

 握手会なんてふざけた形をとってはいるが、それは誰にも侵すことのできない神聖な場所であるはずだ。


 そして同じく神聖な場所であるはずの教会。

 懺悔と赦しが交わされるはずの礼拝堂。


 しかし今は、血生臭い闘争が繰り広げられていた。


「さて、ベリウス。あんたの時間はそろそろ終わりだ」

「グ……ウグ……」


 もっとも、それももう間もなく終わる。


 礼拝堂の中央で黒いゴブリンが、苦しげな呻きを漏らす。肉体のあらゆるところに浅くはない裂傷が刻まれ、見るも凄惨な有様となっていた。


 俺達の連携は、いわゆる『必勝パターン』に入っていた。

 俺が防御に徹しつつ、隙を見たヒナタが着実にダメージを重ねる。

 こうなると、もはや時間との勝負。


「…………、」


 黒いゴブリンの攻撃を受け続けた俺の両手が痛みを訴えている。

 いつの間にかカスっていたらしい脇腹の激痛は凄まじく、気が狂いそうだ。

 何の問題もない。

 このまま押し切れる。


 さらなる想定外は、絶対に起こりえない。

 今までがそうだったように、今日も俺は無事に生き延びる。

 今度こそフラグじゃない。



 だから、あとはこのまま――

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