第35話 絶望の檻、二つの双剣

 黒いゴブリンへの変化を遂げた一級使徒ベリウス。

 そして明かされた『死に至る福音タナトス』としての素性と目論見。


 そんなイレギュラーに直面した俺達の決死の逃走は、また意外な形で阻まれた。


「この、このおっ!」


 ヒナタが必死な感じで扉を押したり叩いたりしている。

 しかしそれが外に向けて開かれることはない。


 黒いゴブリンが寒々しく俺達に告げた。


「僕ガ女神ラナンシア様ヲ崇敬スル一級使徒デアルコトヲ忘レテハ困ルヨ。ゴブリンノ姿ニナロウトモ、ソノ奇跡ノ力ヲ借リルコトハデキル」

「なん……だって?」

「『排魔の聖域ディスシナーズ』。女神ノ意思ニソグワヌ者……ツマリ『洗礼』ヲ受ケタ使徒以外ノ進入ヲ拒ム結界ヲ張ラセテモラッタ。本来ハゴブリン等ノ邪悪ナル者ヲ退ケルタメノモノダガ、コウシテ領域ノ内ニ閉ジ込メルコトモ、デキルノダヨ」

「…………、」

「ツイデニ、コノ結果ニハ防音効果モアルカラネ。近所迷惑ノ心配ハ無イヨ。コレカラ騒ガシク、ナルダロウカラ……破壊ノ音ト君達ノ悲鳴デナ!」


 ベリウスは黒い腕を背後へと伸ばす。

 そして礼拝堂の最奥に掲げられた翼十字をひっ掴むと――ズオオオオ!

 轟音を奏でながらそれを強引に引き抜いた。


「あわわわわ……」

「なんつうことしやがる……!」


 揃って愕然とする俺とヒナタに黒い瞳が向けられる。

 ドス、ドス、とゆっくりと歩きだし――ザッと一気に加速。

 巨大な十字架を携えて俺達へと迫ってくる!


「グオオオオオオオオ!」


 長さ五メートルを超える重厚な翼十字が、力任せに振るわれる。


「よけろヒナタ!」

「おわあっ!」


 俺とヒナタは翼十字の下を潜るように跳んで回避。

 そのまま礼拝堂に並んだ長椅子を盾にするべく反対側へと回り込むが、


「フンッ!」


 ベリウスは構わず翼十字を横薙ぎにする。

 轟音と共に破壊された長椅子の残骸が舞う。「くっ……!」「ひええええ!」その合間を縫って逃げる俺達。ベリウスは草刈りでもするように、進行方向にある長椅子を破壊しながら、俺達の方へと近づいてくる。


「つ、次は! この次はどうするのコカゲ!」

「とにかく走れ!」


 とりあえず逃げる。

 が、礼拝堂から出られない以上、それにも限界があるだろう。


「大地の聖霊よ! 我が身に汝の大いなる息吹を宿せ!」


 走りながら術式を詠唱、


「『土くれの巨人ビルゴレム』!」


 足元から力強いエネルギーの本流が伝わるのを感じた。よし、女神の結界内とやらでも精霊の力に影響はないみたいだ。


 走る俺の全身が茶色い光で纏われる。

 土精霊の恩恵で肉体を強化しつつ、すぐに反転。


「オオオオオオオオオ!」

「ぜああっ!」


 ――ガギン!


 振り下ろされる翼十字を、二本の短剣――『玄武』でどうにかガードした。

 ベリウスはさらなる追撃を仕掛けてくる。


 ――ギン! ギギン!


「ぐっ……」


 冷静に距離と軌道をはかりながら、なんとか『玄武』で防ぐが――

 この翼十字、『ビラムの森』で武器にしていたバールなんかよりもリーチが長く質量も段違いだ。重い!


「ぐ、ぐうう……」

「コカゲええ」


 十字に交差させて受け止めた『玄武』が、じりじりと翼十字に圧し返される。

 ヒナタは俺の背中に隠れるように、ただワタワタするだけだ。


「残念ダッタネ。君達ノヨウナ子供二人ガ、コノ僕ヲ出シ抜ケルトデモ思ッタノカナ? 『朽ちた黒羽レイヴン』ト言エド、二人デ半人前トイウノハ本当ラシイネ!」

「まったく、返す言葉もねえよ」


 俺は『玄武』を必死で支えながら言葉を吐く。


「毒への免疫に、教会から逃がさない結界か。あの黒いゴブリンとの戦闘にまでもつれこむことなるとは、さすがに想定外だ」

「威勢ガイイノハ口ダケカ? イザ戦闘ニナレバ逃ゲノ一手トハナ! ソノ二本ノ刃デ僕ヲ攻撃シヨウトハ思ワナイノカネ?」

「残念なことに、こいつは護身用でな」


 翼十字を押し返す反動で後ろに跳び、距離を空ける。


「防御には適してるが、肝心の切れ味は程度だ。モニクさんの大剣ですら難儀したあんたの固い肉体、かすり傷一つ付けられるようにはできていない」

「ソレハ傑作ダ! アノ『朽ちた黒羽レイヴン』ガ扱ウ武器ガ、不良品紛イノ代物トハナ!」


 ベリウスが楽しそうに嘲る。

 これには俺も苦笑を返すしかなかった。


「『朽ちた黒羽レイヴン』の頭領に言われたよ。半人前が下手に武器なんかを持ってしまうと、変に気持ちだけが強くなって碌なことにならないってな」

「……ホウ?」

「戦闘は避けて逃げることを選択する。戦闘が避けられない場合は攻撃を一切排除し防御のみに意識を集中させる。俺みたいな奴が生き延びるにはそれしかない」


 だから俺が手にしたのは防御に特化した武器。

 俺がひたすら磨いたのは、徹底した防御の技術。

 つまり、こと戦闘においてはあくまで防御専門。


 攻撃は――まさに『二人で半人前』とされる俺の片割れの役割だ。


「ヒナタ。許可する。を抜け」

「……了解」


 俺の背中で、ヒナタは静かにそう呟いた。

 両手をだらりと下げての前傾姿勢。

 その瞳は獲物を狙う獣のように、じっとベリウスへと向けられている。


「フフハハハァ!」


 哄笑と共にベリウスが翼十字を叩きつけてくる。

 二人まとめて叩き潰すかのような荒々しい一撃を、『玄武』二本で受け止め――きれない。圧倒的な力に押し負けた俺は「があっ!」大きく後方へ弾かれる。


「――しッ」


 しかし俺のガードにより攻撃を逃れたヒナタが、入れ替わるように疾走。

 翼十字を振り降ろしたベリウスの、その背後へと一瞬で駆け抜ける。


 ぶわりと。


 黒い液体――ゴブリンの血液が噴き上がった。


「ナ、ナニイ!?」


 ゴブリンの腕から肩口にかけて、ざっくりと深く刻まれた傷。

 黒い血飛沫が舞い散る中、ヒナタは空中でくるりと反転。


「――ふッ」


 左右の手を広げるように払うと、今度はゴブリンの背中が十字に切り裂かれた。

 おびただしい量の血が噴出し、足元にドクドクと滴る。


「ガ……ガハッ! コノ肉体ヲ、タヤスク切リ裂クダト!」

「気をつけろよ。そいつの短剣の切れ味はモニクさんの大剣にも引けをとらないぜ」

「短剣……ダト?」


 黒い瞳を大きく開くベリウス。

 ヒナタの左右の手には、確かに柄らしきものが握られていた。

 光を受けることで、薄く透き通った刃が幽かに輪郭を浮かび上がらせる。


 俺の『玄武』と同じく『朽ちた黒羽レイヴン』の武器技師が作製した武器だ。名は『白零』。その透き通った刃はガラスのような繊細さと鋭さを併せ持つ。非常に脆く砕けやすいが、代わりにズバ抜けた殺傷力を誇る。


 それをヒナタは左右の手で同時に操る。

 俺とは真逆の、攻撃特化の二刀流だ。


「オノレエエ!」


 ヒナタへと狙いを定め、翼十字を薙ぐベリウス。


「させねえよ」


 ――ギン!


 しかし、その前に俺が割り込む。

 ギン、ギギン、と翼十字の攻撃を二本の『玄武』で弾き、防ぐ。

 そして俺は攻撃の一つを瞬時に見極め、甲羅のようになった柄部分ではなく交差させた刃の部分で受けた。

 インパクトと同時に相手の攻撃の力と軌道を操作――


「うらあっっ! 『巨蟹崩し』ぃ!」

「ウオオオ!?」


 ――右方向へと受け流す。

 狙いを狂わされた翼十字は床を穿ち、ゴブリンの肉体が大きくバランスを崩す。


『玄武』の特性は『白零』とは真逆。

 殺傷力皆無のだが、『アダマント』と呼ばれる強固な素材で造られたそれは絶対に折れない。だからこそできる大胆な芸当。


 そして俺の背後に控える獣は、その一瞬の隙を逃さない。


「――しッ」


 一閃。

 態勢を崩すベリウスの左右の肩口に深い刃が刻まれた。

 鮮血が吹き出す。


「グウオオ! 馬鹿ナアアアアアアアアア!」


 防御特化の俺。

 そして攻撃特化のヒナタ。

 攻守の役割を完全に分断した連携こそが、俺達の本領。

 もっとも、それでも『朽ちた黒羽レイヴン』では二人合わせてようやく半人前のレベルなのだが。


「『朽ちた黒羽レイヴン』は一人一人が一騎当千級の戦闘力を誇る最強の『闇組織イリーガル』だ」

「ウ……グウウゥゥ……!」

を侮るなよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る