第29話 妹と間接キスするお姉ちゃん

 お昼休みがやって来た。私はすぐにお弁当をもって、ひまりの教室へ向かう。紗月もついてきたそうにしていたけれど、私たちが仮とは言え「恋人」であることを知っているから、ついては来なかった。


 教室ではひまりはたくさんの人に囲まれていた。男女問わず、ひまりに話しかけている。ひまりは困り笑顔を浮かべて、その輪の中心にいた。


「ひまり!」


「あ、お姉ちゃん! みんなごめんね。お姉ちゃんが来たから」


 みんなよりも小柄なひまりがすたすたと私のところまで走ってくる。すぐにひまりは私の手を握って、笑顔を浮かべた。


「お姉ちゃん。えへへ」


 廊下を歩き、私たちは屋上まで向かう。そこには疎らに人がいた。春の日差しがぽかぽかして気持ちいい。ベンチに座って、私はひまりに声をかける。


「人気者だね。ひまり」


「ゲーム作ってるんだって話したら、私のこと、知ってる人がいたみたいで」


「そっか。告白とかされてない? 大丈夫? もしも困ってるのなら私がこの手で……」


 握りこぶしを作ってみせると、ひまりは慌てて首を横に振った。


「告白されてないよ。それにお姉ちゃんと付き合ってるんだってみんなに伝えたから、きっと大丈夫だと思う」


「そっか。それなら大丈夫だね」


「それよりもお姉ちゃん。姉妹百合のゲーム作るの手伝ってくれるって言ったよね」


「私、プログラミングとかできないけど大丈夫?」


「大丈夫。お姉ちゃんは私のお願いを聞いてくれたらそれでいいから」


「お願い?」


 ひまりは上目遣いで、私をみつめていた。体が触れ合うくらい、私のすぐ隣に座っている。


「うん。ストーリーで上手く書けないシーンがあるんだけど、そこを実際に体験してみたくて」


「どんなシーン?」


 問いかけるとひまりはお弁当箱を開いた。かと思うと、箸で玉子焼きを掴んで、私の口に差し出してくる。ひまりは恥ずかしそうにはにかんでいた。


「食べて。お姉ちゃん」


 私は口を開いてぱくりと玉子焼きを一口で食べた。咀嚼して飲み込んでから問いかける。


「えっと、どういうシーン?」


「学校の屋上でお弁当を食べさせあいっこするシーンなんだけど、どんな気持ちになるのかなって」


「だったら次は私の番だね」


 私は自分のお弁当を開く。玉子焼きを箸で掴んで、ひまりの口元へと運んだ。でもひまりはどうしてか玉子焼きを食べようとしない。


「えっと、その、具体的にはね、お姉ちゃんが箸を忘れちゃって、妹の箸で交互に食べさせあうってシーンなんだ。そのシーンで、妹はお姉ちゃんと間接キスをしてるってことに気付いて、ドキドキしちゃうんだ。それがきっかけで、妹はお姉ちゃんに恋してるって気付くんだけど……」


 ひまりは顔を真っ赤にしていた。


「だからね、お姉ちゃんの唾液が付いた私のお箸じゃないと、登場人物の感情にシンクロできないんだよ」


 なるほど。なかなかフェチズム溢れるシーンだ。それなら、確かに実際の心情は実演しないと想像できないかもしれない。


 私は卵をお弁当の中にもどして、箸もしまった。ひまりの箸を受け取ってまた同じようにしてひまりの口元に玉子焼きをもっていく。


「えっ? いいの?」


 ひまりはとても意外そうにしている。


「どうして?」


「だって、妹と間接キスだよ? 別に本当の恋人ってわけじゃないのに」


「私はひまりのこと、妹として大好きなんだ。だから、そんなの全然気にしないよ」


 私が微笑むと、ひまりは意を決したような表情で、ちっちゃな口を開いた。私がそこに玉子焼きを入れると、桜の花びらみたいな唇が動いて、玉子焼きをかじった。一口では食べきれないようで、半分くらい残っている。


 ひまりは咀嚼し終わってから、顔を真っ赤にして告げる。


「……本当に、いいの? こんなこと」


 ひまりはそれでも不安そうに私をみつめている。大丈夫だってことを証明したくて、私はひまりの食べかけの玉子焼きを、自分の口にいれた


「えっ!?!?」


 ひまりはあたふたしている。かと思えば顔を伏せてしまった。


 流石に気持ち悪かったかな。後悔していると、ひまりはつぶやいた。


「お箸、貸して」


 言われるままに箸を渡すと、また私に玉子焼きを差し出してくる。私はそれを一口で食べた。ひまりはその箸の先端を顔を真っ赤にして、じっとみつめている。箸の間に唾液が糸をひいていた。


 私もみつめていることに気付いたひまりは、恥ずかしさのあまりか、耳まで赤くしている。


「えっと、これは、その……」

 

 箸の間を光る唾液の橋を、ひまりは凝視していた。もしかすると、ひまりは唾液フェチなのかもしれない。

 

「……まぁ、その、唾液ってえっちだよね。私もそう思うよ? あはは」


 私が気休めにもならない言葉を伝えると、ひまりは上目遣いで私をみつめてくる。


「……お姉ちゃんともっと、間接キスしたい」


「えっ?」


 ひまりは突然、水筒を私に差し出してきた。


「これも、必要だから。姉妹百合のゲーム作るのに。お姉ちゃん。飲んで」


 ひまりは顔が真っ赤だった。何を考えているのかは分からないけれど、必死さは伝わってくる。お姉ちゃんとして断るわけにはいかない。


「……わ、分かった」


 私はひまりの水筒の飲み口に口を当てて、一口お茶を飲んだ。それを受け取ったひまりは、恐る恐るといった風に、飲み口に唇を当てる。なんだかその光景がえっちにみえてしまった私は、思わず自分の太ももをつねった。

 

 妹をそういう目でみるわけにはいかない。目をそらしていると、声が聞こえてくる。


「……えへへ。間接キス、しちゃったね」


 ひまりは赤面しながらニコニコしていた。可愛い。本当に、可愛い。


 だからこそだろうか。やっぱり誰かに取られたくないなぁ、と思ってしまうのだ。


 私は自分のお弁当箱から卵焼きを箸でつまんで、口に運ぶ。胸の中で、もどかしい気持ちが湧き上がってくるのを感じながら咀嚼する。


 果たして、私が抱いているのは、ただの姉妹愛なのだろうか? ただの姉妹愛なら、幸せを祈るだけなはずだ。なのに私は、ひまりを手元から離したくないと思ってしまっている。仮の恋人になったり、間接キスをすることすらも受け入れている。


 よくよく考えれば、ただの姉妹がこんなことをするのはおかしいのではないだろうか?


「お姉ちゃん! あーん」


 ひまりは懲りずにまた私にソーセージを食べさせようとしている。私は不穏な感覚に意識を向けないようにしながら、ひまりの笑顔に微笑みを返した。

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