第18話 お姉ちゃんになったお姉ちゃん

 私はリビングで朝食をとるひまりに微笑んだ。


「おはよう。ひまり」


「おはよう。凛」


 スマホはまた「妹アプリ」によってロックされていた。前回は「頭なでなで」だったのに今回は「ハグ」。まぁ、仲のいい友達ならハグくらいはするよね。頭なでなではしないと思うけど。


 まぁそれでも、ひまりをハグするような勇気は私にはない。


 大切だからこそ、嫌がられたらと思うと怖いし。


 だからひまりにアプリのことを告げて、同意をもらえたら抱きしめる。


 そういう感じで行こう。


「ひまり。また「妹アプリ」のせいでロックされちゃったんだけど……」


「今回はなんて書いてあるの?」


「ひまりにハグしろ、だって」


「そっか」


 突然ひまりは、私に両腕を向けた。夢の中でハグをねだってきた時のような姿勢だ。恥ずかしいのかほっぺが真っ赤に染まっている。


 私が戸惑っているとひまりは「ん」と促してくる。私もおずおずとひまりに近づいて、背中に腕を回した。ひまりはぎゅーっと私を抱きしめてくる。だから私もそうしたほうがいいのかと思って、ひまりを強くハグした。


 その瞬間、私の体は幸せでいっぱいになる。大切なひまりの暖かさを全身で感じられているのだ。幸せ以外に形容しようがなかった。


 温もりに浸っていると、ひまりは耳元でぼそりとつぶやいた。


「……お姉ちゃん」


「えっ?」


「って夢の中では呼んでたよね」


 びっくりした。一瞬、お姉ちゃんだと思ってくれてるのかと思ってしまった。


「……そうだね」


 ひまりがハグを止めないから、私もハグを止めない。早朝の静寂の中に、私たちの呼吸音だけが聞こえていて、不思議な気持ちになってくる。世界に私たちしかいないような、そんな錯覚。


 でもひまりとなら二人きりでもいいかも。そんなことを考えながら目を閉じていると突然、リビングにお母さんがやって来た。


「忘れ物忘れ物……。あら?」


 お母さんは抱きしめ合う私たちを見て、生温かい視線を送ってきた。


「あらあらあら。二人はもしかして、そういう関係なのかしら?」


 ひまりは顔を真っ赤にして、私から離れた。


「ち、違うよ。スマホにウイルスが入ってて、それでっ」


「ひまりちゃんは嘘が下手ね。好きなら好きだっていえばいいのに。私は全然気にしないからね? むしろひまりちゃんに凜をもらってほしいくらいよ」


 ひまりは耳まで顔を熱くして、あたふたしている。とんでもない的外れな推論になにを言い返せばいいか分からず、混乱しているようだった。


 だから代わりに私がため息をつきながら言い返す。


「お母さん。からかうのもいい加減にしてよ。そういうのじゃないから」


 お母さんは「あらあら」とつぶやきながら、机の上の資料を手に取った。そのまま後ろ歩きでリビングを出ていった。


「ひまり。ごめんね?」


「……ううん。いいよ。それより、スマホのロック解除されたみたいだよ」


 いつの間にかスマホはひまりの手にあった。私はそれを受け取った。本当にロックは解除されていた。私はすぐにソシャゲにログインしてログイン報酬を手に入れる。ちらりとひまりの方をみると、目が合った。


 ひまりはまた顔を赤くして、目をそらしていた。


 まったくお母さんは本当に。


 私とひまりはそういう関係どころか、姉妹ですらないのに。


 私はこの妙な空気を振り払いたくて、ひまりに微笑んだ。


「ねぇひまり。大晦日、一緒に二人で神社にお参りに行かない?お母さんと宮下さんにも話したんだけど、眠いから嫌なんだって」


 ひまりは気まずそうに腕を組んで横目で私をみつめている。


「別にいいけど、どうして?」


「神社でお願いしたいことがあるんだ。ひまりもある?」


 問いかけると、ひまりは明るい笑顔で頷いた。


「うん。あるよ。絶対に叶えたいお願い。それに、屋台で売り出される色んな食べ物とかも食べたいし」


「それじゃあ一緒にいこっか」


「うん!」


 ひまりは嬉しそうに目を細めていた。


〇 〇 〇 〇


 大晦日の深夜、私はひまりと二人で近所の神社に向かった。境内には人がたくさんいて、屋台も人の行列に沿うように並んでいる。あまりの混雑具合を不安に思って、私はひまりの手を取った。


「はぐれたら怖いでしょ?」


「ありがとう。凛」


 ひまりはぎゅっと私の手を握り締めてくれた。今の私たちは友達というよりは姉妹みたいだけど、ひまりは気づいてないみたいだから、黙っておく。これくらい、いいよね?


「あ! 凛、私焼きそば食べたい! ……でも一人だと全部食べ切れるかわかんないね」


 屋台の焼きそばは確かにとんでもなく大盛りだった。あの量を中学三年生の小柄な女の子が平らげるのは厳しいだろう。


「だったら私と一緒に食べない? 私もちょうど食べたかったところなんだ」


 ひまりは白い息を吐きながら笑顔で頷いた。


「ありがとう」


 屋台に向かうと、店主さんが「二人は姉妹かい?」と笑う。私たちは顔を見合わせてからほとんど同時に「友達です」とつげた。すると店主さんは意外そうな顔をして「姉妹かと思ったよ」とつぶやいた。


 私は何とも言えない気持ちで、山盛りの焼きそばを受け取る。片手では支えきれなくて両手が塞がってしまう。このままでは焼きそば食べられないな、と思っているとひまりがお箸で焼きそばを掴んで私の口まで運んできた。


「凜は支えてて。私が食べさせてあげるから」


 有無を言わさず近づいてくる焼きそばに私は口を開ける。するとひまりは満足そうな笑顔を浮かべて、私の口に焼きそばを突っ込んだ。


「おいしい?」


「……うん」

 

 頷くと、ひまりは次から次へと私の口に焼きそばを運んできた。餌付けされているみたいな気分になっていると、ひまりは長い髪の毛を耳までかき上げてから、焼きそばを自分の口に運んだ。


 うん。美人だとしか言いようがない。なんか色っぽいし。実際、通行人たちの中にはひまりの姿に目を奪われている人もいる。でもひまりはそのことに無自覚らしく、私と目が合うと無邪気に微笑んでいる。


 これは高校入ったら、ひまり、モテモテになっちゃうね。


 焼きそばを食べ終えると、私たちはまた手を繋いで、人の列に入った。


「前にお父さんと来たときも思ったんだけど、屋台の焼きそばって美味しいよね。凛」


「えっ? それなら私は来ないほうが良かったんじゃないの?」


「ううん。今はいいの。お父さんとの記憶も大切だけど、凜と一緒の記憶も大切だって、今は思ってるから。……私は、思ってるから」


 ひまりは伏目がちにそんなことをつげた。


 私は心の底から嬉しくなって、満面の笑みで伝えた。


「私だって思ってるよ。ひまりとたくさん楽しい思い出作りたいって」


「……本当に?」


「うん! 九月までに、たくさん思い出作ろうね」


 ひまりはほんの一瞬、寂しそうな顔をした。でもすぐに意を決したような真剣な顔になって、私をみつめた。


「……お姉ちゃん、って呼んでもいい?」


 鈴の音が聞こえる。


「私、あとたったの九か月でお姉ちゃんと別れないといけない。だから後悔したくないんだ。お姉ちゃんって呼ばせてほしい。……お願い」


 その声色は演技とか、嘘とかではなくて、心からの切実な願いのように聞こえた。当然、断る理由なんてない。私は感極まって、ひまりをハグした。身長の差のせいで、ひまりの顔が私の胸にうずもれる形になるけれど、それを気にするほど冷静ではいられなかった。


「お姉ちゃ……」


「大好きだよ! ひまり!」


「……お姉ちゃん」


 ひまりは私の胸に顔を寄せて、嬉しそうに頬を赤らめていた。私は感極まって、ひまりの頭にキスを落とした。するとひまりは顔を真っ赤にして、私を見上げている。


 そんなことをしていると、私たちが神社の鈴を鳴らす順番がやってくる。


「ひまり。いくよ」


「……でも、私のお願い、もう叶っちゃった」


「えっ!? だったらどうしよう……」


 というか私もひまりと姉妹になるって願い事、叶っちゃったんだよね。どうしよう。


「大丈夫。もう一つ、お願い、生まれたから」


 ひまりはうるんだ瞳で私をみつめてくる。ひまりの願い事を参考にしたくて問いかけてみるけれど、恥ずかしそうに「言いたくない」と拒絶されてしまった。


 待っている人たちに迷惑をかけるわけにはいかない。私はお賽銭を入れてから、ぱっと思いついた願いを神様にぶつけることにした。


 鈴を揺らしてから、手を叩いて祈る。


「どうかこれからの人生は、ひまりがずっと幸せでいられますように」

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