第11話 お姉ちゃんなお姉ちゃん

「どうしたの?」


「ひまり、家、飛び出して行って」


 お母さんと宮下さんが心配そうな顔で玄関までやってきた。私は立ち上がって、靴を履く。ひまりを救うことのできる言葉なんて、私にはない。それでももしもひまりが逃げるのなら、追いかけたいと思ってしまう。


 そして、ぎゅっと抱きしめたいのだ。


 ひまりが夢の中で、私にしてくれたように。


「どこ行くつもりなの?」


 お母さんが心配そうに私に問いかける。


「探してくる」


 私はそれだけ告げて玄関を出た。二人は制止してくれたけど聞かなかった。


 街は寒い。白い雪がはらはらと落ちてきているくらいだ。こんな街をうろつけば風邪をひいてしまう。それに、クリスマスの夜の街をひまり一人で歩かせたくはない。ひまりに寂しい思いはしてもらいたくない。


 私は夜の街を走った。どこからか、メリークリスマス、という声が聞こえてくる。温かい声だった。今日、街は温かさで満ちている。でもだからこそ、一人はなおさら寒く感じてしまう。


 きっとひまりは孤独に震えている。だれにも自分の大切にするものを理解してもらえないと思い込んでいて、世界に自分が一人ぼっちだと思い込んでしまっている。


 でもそんなわけはないのだ。だって私がいる。私はひまりのお姉ちゃんだ。例え戸籍上だけだとしても、どんなことがあっても、絶対にひまりは見捨てない。ひまりが逃げるのなら、私はひまりよりもずっと早く、ひまりを追いかける。それだけだ。


 私は住宅街を走り抜けた。公園の中を探したりもした。でもひまりはみつからない。私は息を切らして、白い息を吐きながら、ひまりの作ったゲーム。「二人の少女と聖夜の奇跡」のことを思い出していた。


 ひまりはかなりのロマンチストだ。それはゲームのストーリーの節々からも伝わってくる。「二人の少女と聖夜の奇跡」だってそうだ。仲違いしたうえに、引っ越しまでして精神的にも物理的にも距離が離れてしまった二人が、本当に偶然に偶然が重なって、輝くクリスマスツリーの下で奇跡の再会を果たすのだ。


 ひまりならどこに救いを求めるだろう。


 考えながら、私はひまりにぶつけられた言葉を思い出していた。


「凜は私のお姉ちゃんなんかじゃない! 私のこと、何もわかってない癖に!」


 そうだ。私はひまりについてなにもわかってなかった。お姉ちゃんになりたいって願うくらいなのに、なにも知ろうとしなかったんだ。歩み寄って突き放されてしまうのを、恐れてばかりで、クリスマスがやって来るまで、何もしなかったんだ。


 だから、証明しなければならない。私はひまりのこと分かってるんだよって伝えて、ひまりがこの世界にたった一人でないことを示さなければならない。


 私は通学路の途中にある、巨大なクリスマスツリーを目指して駆け出した。


 ひまりは「天から落ちてきた少女と、地べたを這いつくばっていた女」でも絶望と希望のコントラストを徹底的に表現していた。


 幸せの中でこそ不幸は際立ち、不幸の中でこそ幸せは際立つ。今のひまりは不幸な状態だ。


 両親の喧嘩がたえなかったとき、私はじっと布団の中でうずくまっていた。でもひまりはロマンチストだ。それなら自分の不幸ですら、ありふれたものとしては消化したくないのではないか。ある種の芸術に仕立て上げてしまうのではないか。全てが推論だ。何一つとして確固とした根拠はない。


 でもなんとなくだけど、ひまりはクリスマスツリーの下にいるような気がした。


 公園の中を突っ走って、人気のない路地を抜けて、車通りの多い交差点を抜けて。


 ようやく、人通りの多い街の中心部にたどり着く。


 遠くに巨大なクリスマスツリーがみえた。


 カップルたちでにぎわう人波を裂いて、押し返されそうになるのをなんとか踏ん張って、私はついに巨大なクリスマスツリーの下に到達する。イルミネーションされたツリーは美しく輝いていた。


 そのふもとで、私の妹は、ひまりは、泣いていた。


 輝く舞台の上でたった一人、スポットライトを、浴びそこねてしまったみたいだった。


 私はひまりの所に駆け寄って、抱きしめた。ひまりは誰に抱きしめられたのかも分かっていないのか、すっかり怯え切っている。


「だ、誰ですか。なんで。叫びますよ」


 涙声でそんなことを囁くものだから、私はひまりから体を離して、微笑んでみせた。


「お姉ちゃんだよ。ひまり」


 するとひまりはえんえんと泣きだしてしまった。そんなに私にみつけられたのが悲しかったのだろうか。あるいは、嬉しかったのだろうか。


 それとも、両方だろうか。ぎゅっとひまりを抱きしめると、ひまりはますます心を波立たせて、嗚咽を漏らした。


「なんで、分かったんですか?」


「私はひまりのお姉ちゃんだから」


「違います。凜さんは私のお姉ちゃんじゃないです。だって私は、妹みたいなこと、何もしてなかった。せっかくの善意を、踏みにじってっ。クリスマスパーティーも、プレゼントも善意なのに、私は、私はっ……。いつまでも自分勝手で。忘れないといけないって分かってるのに、いつまでもお父さんに囚われてて……」


「私こそごめんね。ひまりから、大切な物、奪おうとして。……ひまりはお父さんとの思い出が大切なんだよね。私やお母さんは、それを邪魔する人でしかないんだよね。ひまりが望むのなら、私は「お姉ちゃん」なんて求めないよ。友達でいい。だから私と仲直りしてくれる?」


 そう告げると、ひまりはますます激しく泣いてしまった。私はひまりの背中を撫でてあげる。もう私はお姉ちゃんであることなんて求めない。踏み込みもしない。友達でいることを誓う。だからひまり。どうか。


「幸せになって。笑ってみせて。せめてクリスマスくらい、笑って終わろうよ」


 そうは言うものの、私だって悲しくなってきてしまった。お姉ちゃんでいられるのが今この瞬間で最後なのだと思うと、やっぱり辛い。寂しい。


 それでも涙は流さなかった。

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