第9話 すれ違うお姉ちゃん

 空は曇っていて、日も差していない。放課後、私はパソコンの専門店に一人で向かっていた。肌寒さに手をポケットに突っ込みながら歩く。そうしていると、スマホが震えた。お母さんから、返信が来ていた。


「分かったわ。クリスマスパーティー、開きましょう」


 私は返事をする。


「ひまりには秘密にしておいてね。びっくりさせてあげたいんだ」


「分かったわ。宮下にも秘密にしておくわね。私も宮下をびっくりさせてあげたいから」


 私はふふっ、と微笑む。驚くひまりの顔が今から楽しみだ。それをきっかけに、仲良くなれたらいいんだけど。


 クリスマスのどこか浮足立った雰囲気の中、ひまりにプレゼントを渡す。するとひまりはためらいがちに袋を開けて、中身をみて喜ぶのだ。なぜならそこには最新型のノートパソコンが入っているから。


 ひまりはパソコンが古くて、最新のゲームは遊べないと告げていた。だから私はこれまでにためたお年玉やお小遣いを全て使って、ひまりにいいパソコンを買ってあげるのだ。そうすればもっとアプリ開発は円滑になるだろうし、ゲームだって遊べるようになる。


 私のことも、お姉ちゃんだと思ってくれるようになるかもしれない。


 私は幸せな未来を想像しながら、パソコンの専門店に入って、貯めたお金で買える一番性能のいいノートパソコンを購入した。ひまりのノートパソコンは三、四年前のハイスペックだからスペック的にはかなり向上している。


 きっとひまりは喜んでくれるはずだ。私はスキップをしたい気分で、パソコンの専門店を後にした。


〇 〇 〇 〇


 私――宮下 ひまりには絶対に忘れたくない、色あせさせたくもない思い出がある。それはお父さんと過ごしたクリスマスの記憶だ。お母さんは仕事で忙しいから、家には帰って来てくれない。でもお父さんだけは、毎年家にいてくれた。


 お父さんは無精ひげをはやして、黒縁の眼鏡をかけたお世辞にもかっこいいとは言えない人ではあったけれど、本当に大好きだった。プログラミングのことを教えてくれたりもそうだけど、なにより、私が一人ぼっちにならないように配慮してくれていたのだ。


 小学校の授業参観もお母さんはいつも来られなかった。でも私は一人ぼっちじゃなかった。他の子のお母さんたちに混じって、たった一人だけ私のお父さんがニコニコ微笑んでいた。私が先生の質問に手をあげて答えると、とても嬉しそうに手を振ってくれていた。


 周りの子たちはなんで私だけお父さんなのか疑問に思っていたようで、からかう声もあったけれど全然気にならなかった。だってお父さんは、私の最高のお父さんだから。


 でもお父さんは私のことを心配しているみたいだった。


「本当に僕みたいなのが、ひまりのお父さんをやれているのだろうか」と。


 だから私はそんな不安を払いのけたくて、宣言したのだ。


「私は将来、世界で一番のプログラマーになる。お父さんと同じくらい立派なプログラマーになるからね!」と。するとお父さんは優しい笑顔で私の頭を撫でてくれた。


 でもお父さんは中学一年生の頃、病気で死んでしまった。プログラマーという職業柄、運動不足がたたったのだとお医者さんは告げていた。私は泣いた。涙が枯れるまで泣いた。


 頭の中に思い浮かぶのは、どれもこれも幸せな記憶ばかりだった。もう二度と、その幸せを経験できないのだと思うと、とても悲しかった。だからこそ、記憶を守ろうと思ったのだ。


 特に、クリスマスの記憶。


 お父さんと二人っきりで過ごした大切な大切なクリスマスの記憶。


 手先の器用でないお父さんは料理がそんなに上手じゃない。お母さんよりは上手だけど学校の給食には負けるくらいの味だった。それでもクリスマスだからと豪華な料理を苦心して作ってくれたのだ。


 上手く焼けていないチキンとか、少し奇妙な味になってしまったカボチャのスープとか。そういうのをテーブルに並べて申し訳なさそうにするお父さんの姿が、本当に、本当に、嬉しかった。


 あの日、プレゼントしてくれたノートパソコンは今でも大切に使っている。


 私のためにお父さんは頑張ってくれる。そんなお父さんが、私は大好きだった。記憶を忘れたりなんてしたくないのだ。いつか死ぬまで覚えていたいのだ。


 もしも同じ行事を経験したら、上書きされてしまいそうで怖かった。だから、クリスマスに関する話題が、今の家で出ないことに私は安心していた。それは記憶を薄められることのない安心感だった。凛さんには申し訳ないと思う。きっと私と姉妹になりたいと思ってくれているはずだから。


 私だって本当は、姉妹になりたい。


 お父さんが死んでからは、夢の中の「お姉ちゃん」だけが心の支えだった。


 でも私にはどうしても譲れないものがあるのだ。

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